上 下
57 / 60
遥人の結婚式 ―千夜一夜の物語―

引き金を引くだけだ

しおりを挟む
 
 遥人はあまり変わった感じのしない彼の顔を眺める。

 意外と感慨がなかった。

 年をとったと感じないのは、彼が老齢に達しているからだ。

 ある程度の年齢を越えると、十年二十年くらい経とうとも、あまり変化が感じられない。

「どうした。
 やらないのか」

 そう言い、政臣は車椅子を押して自分に近づく。

 遥人は先程、或る人物から受け取ったものをフロックコートの内側から取り出し、政臣の額に向けた。

『これを貸してやるよ』

 控え室に現れた彼は、突然の人の気配に身構えた自分にそれを渡してくれた。

『ナイフで刺すとか難しいぞ。
 技術的な問題もあるが、少しでも相手に情があるのなら、生身の人間に切りつけるのは人の心理として難しい。

 これなら、簡単だよ。
 引き金を引くだけだ』

 ほら、と桜田は自分の手に銃を握らせた。

 その異様な重厚さに、持ったことのない自分でも、それが本物だと感じた。

 すべてがもう、誰かの罠にからめとられて動いている気がしていた。

 それでももう止まれない。

「どうした。
 撃たないのか」

 政臣はまっすぐに自分を見つめてくる。

「早く殺れ。
 今はこうして座っているのもしんどいんだ」

 額に銃を当てられたまま、政臣は喋り続ける。

 こんなことが昔にもあった、と遥人は思った。

『お父さん、驚いた?』

 母に買ってもらったオモチャの銃を政臣の額に当てて、無邪気に遥人は笑っていた。

 この人が本当の父親ではないなんて、知らないままに。

 政臣は、以前にも、表に出て来ない時期があった。

 病気のためと言っていたが、それは違う。

 梨花の父たちが、会長の不在を知られたくなくて、彼を病気に仕立て上げたのだ。

 政臣は家を出て、遥人の母親と暮らしていた。

「……あんたさえ、あんたさえ、出ていかなければ。

 母はあんな風に身を落として生きていかなくても。

 あんな風に殺されなくても済んだのにっ」

 子供の自分にはなにがあったのかよくわからなかったのだが。

 母は、元々は政臣の会社で働いていたようだった。

 当たり前のことだが、政臣が居なくなっても、もう元の居場所には戻れない。

 子供を抱えて、職も見つからず、政臣に会社まで捨てさせ、逃げたやましさから、親にも誰にも頼れなかった母は生活に困窮し、夜の街で働き始め、そこで出会った男に付きまとわれて、殺された。

「参観日には来てくれるって言ってたんだっ。

 自分が行ったら、僕が肩身の狭い思いをするだろうって言いながらもっ。

 あんたさえ居てくれたら、母さんは惨めに汚い路地裏に転がって死ななくても済んだのにっ」

「だから、撃てと言ってるだろう、遥人」

 政臣は溜息をついてそう言う。

「どうせ、わしの命は長くない。
 なら、最後の瞬間をお前にくれてやろうと言ってるのに。

 母親ゆずりだな。
 決断が出来ないのは」

 遥人は唇を噛み締める。

 だが、悲しいことに、政臣がわざと自分を怒らせようとしているのが伝わってきて、余計指が動かなくなる。

「私は、お前の母親にこのまま逃げようと言ったんだ。
 だが、あの頃から、わしには、今の病気の兆候が見られたから。

 お前の母親がわしの家に連絡して、わしを実家に引き戻したんだ。
 わしに万全の治療を受けさせるために。

 あとから探してみたが、もうお前たちは姿を消していた。

 あの頃はまだ、わしの妻が生きていたからな。
 それを押しのけてまでというのは、お前の母親には出来なかったんだろうな」

 すでに遠くなった昔語りをするように政臣は語る。

「言い訳だ、そんなの」

「そうだ。
 だから、撃てと言っている」

 変わらないと思ったが、昔より骨ばった、だが、相変わらず大きな熱い手で、銃を持つ遥人の手をつかむ。

 そのまま、政臣の指が引き金にかかった遥人の指の上に乗った。

 すぐにも引きそうになる。

 遥人は小さく声を上げ、思わず、銃を離し、投げ出していた。

 よく磨かれた床を銃が転がる。

 荒い遥人の息遣いだけが、広いホールに響いていた。

 沈黙のあと、ひとつの声がした。

「気がすみましたか?」

 聞き覚えのある声だ。

 ずっと自分を寝かしつけてくれていた声。

 此処へ来てから、誰かの手の上で、からめとられ、動かされている気がしていた。

 誰か。

 いや、それが誰なのか。

 もう自分にはわかっていた気がする。

「……那智」

 那智が隅に寄せられた白い厚みのあるカーテンの陰から現れたところだった。

 政臣が那智を見る。

 那智は政臣に頭を下げ、言った。

「公安の桜田の娘です」

「ああ、君が――」
と言ったあとで、老いてなお鋭い眼光で那智を見やる。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私にだって幸せになる権利はあるはずです!

風見ゆうみ
恋愛
「お姉さま! お姉さま! シェールは、お姉さまの事が大好きよ! だから、ずーっとずっと一緒にいてね?」 伯爵家に生まれた私、ミュア・ブギンズは、2つ下の妹になぜか執着されていた。 小さい頃は可愛く思えていた妹の執着は大人になっても続き、やっと決まった婚約者の候爵令息まで妹の虜になってしまう。 私を誰とも結婚させたくないシェールの策略が裏目に出て私は婚約破棄され、仮住まいの家から追い出されてしまう。実家にも拒否され、絶望の淵にいた私に手を差し伸べてくれたのは…。 ※小説家になろうさんでも公開しています。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。 ※話が合わない場合はそっと閉じて下さい。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

【完結】公爵令嬢は王太子殿下との婚約解消を望む

むとうみつき
恋愛
「お父様、どうかアラン王太子殿下との婚約を解消してください」 ローゼリアは、公爵である父にそう告げる。 「わたくしは王太子殿下に全く信頼されなくなってしまったのです」 その頃王太子のアランは、婚約者である公爵令嬢ローゼリアの悪事の証拠を見つけるため調査を始めた…。 初めての作品です。 どうぞよろしくお願いします。 本編12話、番外編3話、全15話で完結します。 カクヨムにも投稿しています。

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

今日は何の日? →説明と随筆

ノアキ光
エッセイ・ノンフィクション
シンプルにタイトルの通りです。 各話は目次下からどうぞ。 (そうしないと無関係のページや他者の作品に飛んだりします)

処理中です...