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遥人の結婚式 ―千夜一夜の物語―

今夜は、なにを語ってくれるんだ?

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 たっぷり遊んで、夕食も食べて家に帰ると、なにかが鳴っているのに気がついた。

 鞄の中で、スマホが震えている。

 見ると、スマホはいつの間にか、マナーモードになっていたようだった。

 だが、自分で設定した覚えはない。

 鞄の中で当たって勝手になったのかもしれないが、おそらく――。

 亮太め、と思いながら出ようとしたが、もう電話は切れていた。

 見ると、五回も着信している。

 遥人からだ。

 もう今日はかからないと思っていた。

 いや、明日は式だから、もう永遠にかからないのではと思っていたのに。

 那智が慌ててかけ返そうとしたら、また鳴り始めた。

 その早さに、思わず、口から出てしまう。

「ストーカーのようですね」

 すでに電話はつながっていたらしく、遥人に聞こえてしまった。

『何処に行ってたんだ』
と機嫌悪く言われる。

「すみません。
 食事に。

 もう今日はかかって来ないかと思って」
とつい、言わなくていいことを言ってしまう。

 じゃあ、いい、と言われたらどうしよう、と思った瞬間、遥人が言った。

『誰がもう来なくていいと言った』

 すぐ返ってきたそのセリフに言葉を失う。

「はは……。
 相変わらずですね」
と呆れたように笑ってみせたが、実際は笑った瞬間に泣いてしまっていた。

 だが、遥人には悟られないようにする。

『今から迎えに行く』

「いいです。
 タクシーで行きますから。

 今日はお疲れでしょうから」

『……嫌味か?』
と言われたので、

「嫌味です」
と那智は笑って返した。



 遥人の部屋の前で、那智は鍵を手にとった。

 これでこの扉を開けることはもうないだろう。

 最後にチャイムを鳴らさずに開けてみようかな、と思ったのだが、やはり、いつものように鳴らした。

 出てきた遥人が、
「自分で開けて入ってこい」
と眉をひそめる。

 その顔を見て、ほっとした。

 もう二度と見ることはないかな、とちょっと思っていたからだ。

 出来れば、最後はいつも通りに過ごしたかったのだが、部屋は珍しく雑然としていた。

 雑然、違うか、と思う。

 整頓はされているが、余計なものが出ているので、そう感じるだけだ。

 リビングにダンボールが積み重ねられていた。

 遥人は部屋を整理していたようだった。

「此処、引き払うんですか?」

「……そうなるだろうな」

「新居は別に用意してあるんですか?」

「いや、急だったから、梨花が買ったマンションはまだ建設中で。
 しばらくは二人で此処に住むことになっている」

「それなのに、梨花さんは、此処に来てないんですか?」

 普通、新居に引っ越す前の雑事をしに来ていたりしないだろうかと思ったのだが、遥人は、
「家族で過ごす最後の夜だから、家でゆっくり過ごすと言っていた」
と言う。

 それでだろうかな。
 どうだろう。

 式の準備に行ったのなら、桜田さんとは逃げなかったのか、と思った。

 まあ、あの人と逃げられてもいろいろと困るし、ちょっと複雑だしな、と思いながら、

「手伝いましょうか」
と腕まくりすると、遥人は、

「遊び歩いてお疲れなんじゃないか」
と鼻で笑う。

「今、貴方に嫌味を言われたくないんですけど」
と言いながら、ダンボールの前に座ると、遥人は作業を再開しながら、

「誰と出かけてたんだ」
と訊いてくる。

「亮太ですよ」
 すでに詰め終わっているらしいダンボールの蓋を、那智は、えい、と閉めた。

「そうか。
 いいことだな。

 もう次の男が居るのか」

「次のもなにも、貴方には、膝枕して、お話してただけですから」
と言ってやると、

「……あの男とは」
と言いかけ、いや、いい、と言う。

 亮太となにかあったのか気にしているようだった。

 カピバラが誰と付き合おうが別にいいじゃないですか、と思った。

 なんか腹が立ってきたので、
「まあ、専務とよりは多めにキスしてるかもしれませんね」
と言ってやると、

「……淫乱だな」
と言いながら、少し笑ったようだった。

「なんですか、その小馬鹿にしたような顔っ。
 どうせその程度のことしか出来ないだろうと思ってるんでしょう?」

「いや、その程度のことだなんて思ってはいない。
 正直、腑は煮えくり返っているが、まあ、想像していたよりはマシだったかな、と思っただけだ」

「……なんの想像してるんですか」

 亮太の幸せなおじいちゃんおばあちゃんの妄想よりも、ずいぶんとドス黒そうだ。

 遥人は、那智が押さえているダンボールにガムテープを貼りながら言う。

「だが、俺が居なくなれば、お前は誰かと付き合って結婚するんだろう、とは思う」

 遥人の表情を見ていた那智は、さっき亮太が話していた、物語にもならないくらい平凡だが、幸せな一家庭の未来が自分の未来として確定したようで、泣きたくなる。

 遥人と出会う前だったら、それもいいかと思ったかもしれない。

 そういう未来も幸せかと。

 那智はうつむき、遥人の腕をつかんだ。

 テープを貼っていた遥人の手が止まる。

「……嫌です。
 一緒に縁側で並んでるのは、遥人さんじゃないと嫌ですっ」

「縁側?」

 当たり前だが、話について来れていない遥人が、訊き返してくる。

 那智は遥人の腕にしがみつく。

「なんで家とか片付けてるんですかっ。
 このまま此処で梨花さんと結婚して暮らせばいいじゃないですかっ」

「お前はそれでいいのか?」

 那智は間近に遥人を見上げて言った。

「死なれるよりマシです」
と。

 わかっていた。
 遥人は誰かを殺したあとで、警察に捕まるつもりなどないことを。

 那智は遥人を抱きしめた。

「誰と居てもいいです。
 死なないでくださいっ」

 しばらくして、ポンポン、と背中を叩いた遥人が言う。

「そうか?
 俺はお前とじゃないと嫌だが」

「専務……」

「さっきは、遥人って言ったろ?」

 そう囁いて笑う遥人の顔は初めて会った頃とはまるで違っていて、泣くまいと思っていたのに、泣いてしまう。

「荷物」
「……はい」

「なにか欲しいものがあったら持っていけ」

「いりません。
 なにか持って帰っていいのなら、遥人さんを持って帰ります」

「……重いぞ」
と遥人は那智の頬に触れて笑う。

「引きずって持って帰ります。
 タクシーの運転手さんは、重いものは抱えて、トランクに入れてくれるし」

「俺は死体か」

 そう笑ったあとで、そっと口づけてきた。

 那智の瞳を見つめたまま、
「今日はもう帰れ、那智」
と言ってくる。

「帰りません。
 だって、今日帰れって……明日がないのに?」

 遥人は那智の唇に人差し指を当てて言った。

「今日はなにも語ってくれなくていい。
 帰れ、シェヘラザード」

「嫌ですよ。
 帰ったら、王様が死ぬから」

 そう言ったあとで、気づく。

「シェヘラザードは途中からは王を見張っていたのかもしれませんね」

「見張る?」

「王が途中から改心していたのなら、自分の罪を悔いて死んでしまうかもしれないから。

 だから、シェヘラザードは王に子どもを与えたんですよ。

 子供可愛さにこの世にとどまるように」

「俺は子どもは作ってないぞ」

「でも、なんだか出来てそうな気がします」

 例え、キスしかしていなくとも――。
 
 那智は大真面目にお腹に手をやって見せる。

「どうやって」
「根性で」
と言うと、遥人は吹き出した。

 だって、ずっと遥人への想いが身体に沈殿していっている気がするから。

「専務。
 最初は専務の方が浮気しようって誘ってきたのに、なんで最後までなにもしなかったんですか」

「最初はお前が嫌がったからだろ。

 途中からは……
 俺が嫌だったからだ」

 遥人は自分の腕をつかんでいる那智の手を外させ、その手を重ねると、握りしめた。

「お前に触れるのが怖くなったからだ。
 俺はこの世から居なくなるのに」

「貴方が心配しているのは、自分のことですか?
 私のことですか?」

 両方だ、と遥人は言った。

「お前に触れて、計画が実行できなくなるのも嫌だし。

 うぬぼれかもしれないが。
 そんな関係になったあとで、お前を一人残していくのは、お前に傷をつけて去るようで、嫌だったんだ」
と視線を逸らす。

 那智は遥人に手を握られたまま、身を乗り出し、初めて自分から口づけた。

 遥人は驚いたようにじっとしていた。

「どっちかって言うと、貴方を知らないまま消えられる方が嫌です。
 一生、心の傷になりますよ。

 それから、どのみち貴方は消えてしまうのなら、ずっと心に傷を背負うのは私だけでしょう?

 私なら大丈夫ですよ。

 そのうち、傷が癒えたら、誰かと小さな家でも建てて、狭いながらも小さな我が家で、やさしい旦那様と子供たちに囲まれて、幸せに暮らしますから。

 最後は夫と、縁側で並んでお茶を飲んで、庭で駆け回る孫たちを眺めるんです」

「リアルすぎて腹が立つな」
と遥人が苦笑する。

 遥人はもう荷造りは諦めたようだった。

 手を離し、那智の腕をつかむと、自分から口づけてくる。

「じゃあ、泊まっていけ」
「はい」

「で?」
「はい?」

「今夜は、なにを語ってくれるんだ?
 シェヘラザード」

 そう笑う遥人に、
「……語ることなんて、もうなにもありませんよ」
と那智もまた、少しだけ笑ってみせた。


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