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遥人の結婚式 ―千夜一夜の物語―

近づく終焉

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 長いようで、短かったな。

 そんなことを思いながら、那智は会社の廊下から窓の外を見た。

 入社してからずっと見てきた風景だが、呑気に鼻歌など歌いながら、ここを通って、お昼なに食べようかななんて思いながら、外を眺めていた日々が今は遠い。

 私、すべてが終わったあとで、今まで通りに暮らせるのだろうかな、と思う。

 そういえば、桜田さんがあんなところで梨花さんとキスしてたせいで、こんなことになったんだった。

 おのれ、桜田。

 だが、では、遥人との関係が、こんな風にならないままでよかったかと言うと、そうは思わない。

 最初っから、実るはずのない恋だったが、知らない方がよかったなんて、やっぱり思えない。

 そんなことを考えていると、誰かが階段の方から手招きしていた。

 一瞬、また公子がなにか情報を取得してきて呼んでるのかと思ったが、その手には見覚えがあった。

 なにしに来てんだ、この人。
 って、仕事か、と思いながら行くと、案の定、桜田が居た。

 桜田は人気のない階段の冷たい壁に背を預け、渋い顔で腕組みしていた。

「なにしてるんですか」
と那智が問うと、

「仕事だ」
と当たり前の答えが返ってきた。

「ちょうど今、貴方を呪ってたところだったんですよ」

 桜田は、は? という顔をする。

「いえ。
 あ、じゃあ、私は知らんぷりをした方がいいのでは?」

「他所の会社の営業に知らんぷりする社員も問題だろう」
と言われ、ご苦労ですね、いろいろと、と溜息をつくと、桜田は、渋い顔のまま、

「梨花に連れて逃げてくれと言われたよ」
と言ってきた。

「え?」

「俺が連れて逃げることはできない。
 逃げるかどうかは、お前が決めろと言った。

 急に式が早まったので、不安になったんだろう。

 遥人の心が自分にないのは、幾ら彼女でも、わかっているだろうからな」

「……もし、梨花さんが、本気で貴方を選んだら、貴方は彼女を連れて逃げるんですか?」

 いや、それはできない、と桜田は真面目な顔で言った。

「お前たちにとっては、その方が都合がいいんだろうが」
と言ってくるので、那智は上を向いて少し考え、

「いえ、そうでもないです。
 梨花さんとの結婚が駄目になっても、あの人はきっとまた、なにか考えますよ」

 どのみち、自分の側には居てくれないだろう、と言うと、桜田は溜息をついた。

「なんでこうなるんだ。
 お前には、俺たちから離れて幸せに暮らして欲しかったのに」

「いや、そうやって突き放すから、こうなったんじゃないですか?」

 桜田は那智の身体に手を回し、抱き寄せる。

「じゃあ、ずっとこうしてたら、お前は遥人を忘れるか?」

「……それはもう無理ですよ。
 貴方だって、そうだったでしょう?

 でも、そうか。
 梨花さんにとっての貴方は、もしかしたら、私にとってのウサギのぬいぐるみなのかもしれませんね」

 ウサギ? と言ったあとで、桜田は、ああ、と言う。

 最後に彼がくれたあの大きなウサギのぬいぐるみだ。

「抱きしめていたら、なにもかも忘れられる気がしてたんです、ずっと」

 あのウサギは桜田の象徴だった。

 いや、桜田の象徴というより、桜田が自分にかけてくれる無償の愛情の象徴だった。

 でも、あれを抱きしめても、すべてを忘れるのはもう無理だ。

 桜田よりも、遥人の方が自分の中で大きな存在になってしまっているから。

 そのとき、上から音が聞こえた。

 ヒールの音だ。
 梨花が立っていた。

 すごい勢いで駆け下りてきて、那智の頬をひっぱたく。

「いや、ちょっと!
 梨花さん、待った!」
と言うのを梨花は聞かない。

「やめろ、梨花!」
と桜田が割って入ると、梨花は悔しそうな顔をした。

 梨花に叩かれるのは仕方ないとしても、これに関しては誤解だ、と思っていた。

「梨花、ちょっと来い」
と桜田が本気で怒って、梨花の腕をつかむ。

 さすが本気を出すと恐ろしいので、梨花も引き気味になるが、桜田は許さない。

「お前には、ちゃんと言ってなかったが。

 こいつは妹じゃないが、本当に俺の大事な家族なんだ。
 誰であろうと、那智を傷つける奴は許さない」

 なんだか涙が出そうになった。

 そして、遥人が失ったものの大きさを知った。

 私はやっぱり、あの人を止められないかもしれない――。

 いっそ、梨花にすべて話して、協力してもらおうかとも思った。

 梨花は遥人を愛している。

 だからこそ、桜田にすがろうとするのだ。

 彼女も遥人が殺人を犯すことなど、望まないだろう。

 だが、自分は遥人を裏切れない。

 彼の野望を勝手に潰すような真似はできない。

 自分はこのために生きてきたと遥人は言っていた。

 彼の人生すべてをかけてきたものを私ごときが止めることはできないのだ。

 このしょうもない話しか出来ない、出来そこないのシェヘラザードには。

「梨花さん、言ったはずです。
 桜田さんを選ぶのなら、この人を幸せにして」

 おいっ、という目で、桜田が見る。

 勝手に梨花との話を進めるな、と言いたいのだろう。

「でも、貴方は桜田さんを好きなんじゃないですよね?
 ちょうどよく優しくしてくれる人が現れたから、甘えてみただけ」

 ……わからない、と梨花は言った。

 初めて見る、子供のような頼りない顔で。

「わからない。
 そうなのかもしれないし、違うのかもしれない。

 遥人さんの心が私を向いてないのはわかってる。
 あの人はただ、出世したかっただけ。

 でも、桜田さんも私のことを好きなわけじゃない。

 桜田さんは、今も前の奥さんが好きなんですよね?」

 梨花のその言葉に桜田を振り向くと、彼は困った顔をした。

 自分の本心をしゃべられたからではない。

 そんなことは知っていた。

 梨花にそこまで話していたということは、なんだかんだ言いながら、思ったより彼女に気を許していたということだ。

「……別にお母さんにはチクりませんから」
と小声で言う。

「お母さん?」
 その言葉を聞き咎めて、梨花が言った。

「貴女、桜田さんの前の奥さんの子ども?」
 そう、それで家族なの、と梨花はなんとも言えない顔で言う。

「私も子どもとか欲しかったかな。
 遥人さんはいらないって言うの。

 しばらく作らなくていいって。
 ずっと私にも触れて来ないし」

 ……なんでだろうね。
 ぽつりとそう言い、梨花はゆっくりと階段を上っていった。

 子どもはいらない、か。
 何故、遥人がそう言ったのか、わかる気がする。

 そう思いながら、見送ったあとで、桜田を見た。

「なんで此処に居るんですか。
 追わなくていいんですか」

「いいんだよ。
 所詮、違う世界の人間だ」

「なんですか、格好つけちゃって。
 いてててっ」

 頬を引っ張られていると、今度こそ、公子が現れた。

 今度はなにっ? という目で下から上ってくる。

「あ……えーと」

 もう誤魔化すのがめんどくさくなった那智は、手のひらで桜田を示し、
「父です」
と言ってみた。

 公子が、は? という顔をする。

 ……無理がある。
 年齢的に。

 また、この人、若く見えるしな。

「母の愛人です」
「おい」

「母の前の夫です」

「前のって、あいつ、まだ再婚してねえだろっ」
と言うやりとりを公子は笑って聞いていた。

「あら、そうなの。
 和泉さんのお母さんの。

 ずいぶんお若いのね。
 うらやましいわあ」

「いえ、今はフリーですよ」
と何故か、公子に向かい、桜田は主張する。

「……やっぱり年上が好きなんですね」

 那智は調子のいい桜田に呆れ、ぼそりとそう呟いた。



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