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上司の秘密
桜田という男
しおりを挟む桜田は窓に手をかけ、遥人に話しかける。
「おい、早く戻った方がいいぞ。
あれは相手が自分を見てないとわかると怒り出す女だからな。
梨花と揉めるな。
こっちの負担が大きくなる」
なに勝手なこと言ってんだ、この人。
相変わらずだな、と思ってその横顔を見ていた。
みんな、この顔にクラっと来るのか。
この勝手さにか、と思っていたとき、桜田は言った。
「それから、那智には手を出すな」
こらっ、なにを勝手にっ、と思う。
いや、手を出して欲しいわけではないのだが。
……本当に。
なんでお前が口を出す、と遥人は言ったようだった。
そりゃそうだ。
そのとき、桜田は、ふふん、と笑って言った。
「俺が那智の『パパ』だからだ」
「違うっ。
もう~っ、返してくださいっ」
と那智は、桜田からスマホを奪い取る。
彼に向かい、誰がパパですかっ、叫んだあとで、遥人に言った。
「専務、あとで、……あとで、説明しますからっ。
あっ、勝手に私のつぼ焼き食べないでっ」
『専務、あとで、……あとで、説明しますからっ。
あっ、勝手に私のつぼ焼き食べないでっ』
ブチッといきなり通話は切れた。
遥人が窓の上を見上げると、桜田と那智が揉めているのが見えた。
遠目に見ても、まるで子供の喧嘩だ。
しかし、『パパ』?
……パパってなんだ?
あの男、自分とそう年は違わないように見えた。
那智の父親なわけはないし。
那智があの男の愛人でパパとか呼んでいるわけでもないだろうし。
そういえば、母親の恋人と家族ぐるみで付き合っていると言っていたが。
もしかして、あれか、と思う。
『……まあ、いろいろと困った人なんですよ』
あのとき、那智は、母親の恋人を評して、そう言っていた。
確かに困った男のようだ。
那智の母親と付き合っているはずなのに、梨花とも。
っていうか、那智の母親の相手にしては若すぎないか?
そういえば、母親は若い男が好きだとか言っていたが。
妙子が、母親が恋人を家に連れてくるので困ると言ったとき、那智が同意していた。
『ああ、そういうのありますよね』
あの男、那智の家にも出入りしているのか。
まさか、母親がいないときにも来てるんじゃないだろうな。
そう思ったとき、少し離れた店のガラス越しに梨花が見えた。
店員と話しながら、スマホを手にとる。
自分が戻らないので呼び出そうとしているのかもしれない。
こんなとき、煙草を吸う人間なら、ちょっと吸いに出ていたと言えるのに。
遥人は急いで戻ると、梨花がかける前に、店のガラス戸を押した。
梨花がこちらを見て、少し不満げな顔をする。
「もう~、何処行ってたの?」
「いや、会社から電話があって」
少し年配の店員が赤くなってこちらを見ながら言う。
「さっきから、あなたの自慢話ばっかりなんですよ、梨花さんは」
梨花は不思議に、自分より若い店員、可愛い店員のいる店には行かない。
ちょっと年配の人の方が感じが良く、センスもこなれているからかもしれないが。
「行きましょ。
もう買ったから」
と梨花は微笑み、腕を取ってくる。
大きな紙袋を三つも店員から渡され、受け取ると、梨花が言った。
「この近くに美味しいロシア料理の店があるのよ。
行かない?」
「……行かない」
え? と梨花がこちらを見上げる。
はっきり行かない、と自分が言ったので、梨花は驚いた顔をした。
いつも適当に受け流すだけだからだ。
「ロシア料理って、なにがあるんだっけ?」
そう誤魔化すように言うと、
「さあ、知らないけど。
美味しいんじゃないかって、……人に聞いたから」
梨花は途中でなにかに気づいたように曖昧に答える。
笑顔を取りつくろった梨花は、
「やっぱりやめときましょうか。
いつもの店にする?」
と言ってきた。
なるほど、あの男が言ってたんだな、と気がついた。
いっそ、行くと言ってやればよかった。
自分と那智とのことは桜田と亮太とかいう奴以外誰も知らないし。
桜田と鉢合わせて、気まずい思いをするのは梨花の方だ。
そう思ったとき、目の前をあの二人が通った。
大揉めに揉めている。
……何故、ここを通る。
桜田がなにか言い、那智が桜田の腕を引っ張る。
恋人同士が可愛らしく、じゃれ合っているようにも見えた。
那智の母親の恋人のようだが、那智とそう年が違わないので、そんな感じに見えてしまうのだ。
「なに見てるの?」
と梨花が振り返ったとき、うまい具合にあの二人は消えていた。
どうするかな。
今日はこのまま、梨花に付き合わないといけないのだろうが。
さて、あの出来損ないのシェヘラザードをいつ締め上げてやろうかな、と遥人は考える。
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