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理由が必要か?

よかったよ、逃げ出さないで

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 結局、みんなで珈琲を飲んで、少し話したあと、陽太と深月は一緒に家を出た。

 船が着いている漁港までそう遠くないので、二人で歩くことにする。

 天気もいいし、もうかなり暖かくなってきたしな、と深月は空を見上げた。

「よかったよ、逃げ出さないで」
といきなり陽太が言い出すので、仕事かなにかの深刻な話かと思ったら、深月の父親と逃げ出さずに珈琲を飲んでよかったという話だった。

「おかげでお前と出掛けられることになったしな」
と陽太はご機嫌だ。

「今日は二人で何処かに行くのか?」
となんとなく父親が言った言葉に便乗し、なにも決めてなかったのに、陽太が、

「はいっ」
と勢いよく言ったせいで、今、此処でこうしているわけだ。

 いや、確かに用事もなかったし、いいんですけどね、と深月は、ぽかぽかの日差しに照らされた住宅街の道を歩く。

「英孝の二人乗りの自転車があれば、港まで速かったのにな」
と陽太は言うが、

「いや、あれ、結構むずかしいんですよ」
と深月は答えた。

 すでに職場で、みんなのオモチャと化してるが、あの自転車……と思っていると、陽太が言ってくる。

「しかし、お前の場合、お父さんが二人居るからな。
 どっちにも挨拶しなきゃいけないから緊張するな。

 できるなら、いっぺんに済ませたいが。

 でも、大切なことだからな」
と言って、陽太は手を握ってきた。

 ずいぶんとスムーズに握るようになったな、と深月は思う。

 こうして段々と図に乗って……

 失礼。

 調子に乗って……

 いやいや、違うな。

 慣れ親しんできて?

 自然に手をつないだり、キスしたりするようになるのだろうかな、恋人同士というのは、と深月は思った。

 自分たちは、その過程を一足飛びに飛び越えていっていたと思っていたのだが。

 なにも飛び越えてなかったうえに、どんどん後退していっている、と昨日までは思っていた。

「お前をなんとも思ってなかった頃に戻りたいなと思ってたんだ」
と陽太は言う。

「そしたら、楽に手をつないだり、キスしたりできるのにって」

 いやいや、好きでないのなら、そのようなことはしないでください……と思う深月に陽太は、

「でもきっと、好きでもないのに、そんなことしても、なにも嬉しくないんだろうな。

 あのとき……」
と言いかけ、陽太は沈黙した。

 だが、その続きの言葉がなんなのか、わかる気がした。

『あのとき、お前に手を出してなくてよかった――』

 わかってはいたが、言わなかった。

 陽太も言わなかった。

 もう、うっかりやってしまった過ちの辻褄合わせのために、二人で居るわけではない。

 だが、最初のきっかけがなかったことになってしまったら、じゃあ、これでって居なくなってしまいそうな不安はまだあった。

 どちらからともなく、強く手を握り、苦笑いとも笑いとも、なんともつかない物を浮かべ見つめ合う。

「今日は釣りでもするか」
と陽太が言った。

「あ、いいですね」

「釣りたてを船で調理して食べてもいいし。
 隣の県までチキン南蛮丼を買いに行ってもいい」

「まだ覚えてたんですか……」
と言いながら、深月は神社の前を通る。

 少し通り過ぎてから、振り返ったが、さわさわと揺れる木々に遮られ、神社の中は見えなかった。


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