82 / 95
理由が必要か?
よかったよ、逃げ出さないで
しおりを挟む結局、みんなで珈琲を飲んで、少し話したあと、陽太と深月は一緒に家を出た。
船が着いている漁港までそう遠くないので、二人で歩くことにする。
天気もいいし、もうかなり暖かくなってきたしな、と深月は空を見上げた。
「よかったよ、逃げ出さないで」
といきなり陽太が言い出すので、仕事かなにかの深刻な話かと思ったら、深月の父親と逃げ出さずに珈琲を飲んでよかったという話だった。
「おかげでお前と出掛けられることになったしな」
と陽太はご機嫌だ。
「今日は二人で何処かに行くのか?」
となんとなく父親が言った言葉に便乗し、なにも決めてなかったのに、陽太が、
「はいっ」
と勢いよく言ったせいで、今、此処でこうしているわけだ。
いや、確かに用事もなかったし、いいんですけどね、と深月は、ぽかぽかの日差しに照らされた住宅街の道を歩く。
「英孝の二人乗りの自転車があれば、港まで速かったのにな」
と陽太は言うが、
「いや、あれ、結構むずかしいんですよ」
と深月は答えた。
すでに職場で、みんなのオモチャと化してるが、あの自転車……と思っていると、陽太が言ってくる。
「しかし、お前の場合、お父さんが二人居るからな。
どっちにも挨拶しなきゃいけないから緊張するな。
できるなら、いっぺんに済ませたいが。
でも、大切なことだからな」
と言って、陽太は手を握ってきた。
ずいぶんとスムーズに握るようになったな、と深月は思う。
こうして段々と図に乗って……
失礼。
調子に乗って……
いやいや、違うな。
慣れ親しんできて?
自然に手をつないだり、キスしたりするようになるのだろうかな、恋人同士というのは、と深月は思った。
自分たちは、その過程を一足飛びに飛び越えていっていたと思っていたのだが。
なにも飛び越えてなかったうえに、どんどん後退していっている、と昨日までは思っていた。
「お前をなんとも思ってなかった頃に戻りたいなと思ってたんだ」
と陽太は言う。
「そしたら、楽に手をつないだり、キスしたりできるのにって」
いやいや、好きでないのなら、そのようなことはしないでください……と思う深月に陽太は、
「でもきっと、好きでもないのに、そんなことしても、なにも嬉しくないんだろうな。
あのとき……」
と言いかけ、陽太は沈黙した。
だが、その続きの言葉がなんなのか、わかる気がした。
『あのとき、お前に手を出してなくてよかった――』
わかってはいたが、言わなかった。
陽太も言わなかった。
もう、うっかりやってしまった過ちの辻褄合わせのために、二人で居るわけではない。
だが、最初のきっかけがなかったことになってしまったら、じゃあ、これでって居なくなってしまいそうな不安はまだあった。
どちらからともなく、強く手を握り、苦笑いとも笑いとも、なんともつかない物を浮かべ見つめ合う。
「今日は釣りでもするか」
と陽太が言った。
「あ、いいですね」
「釣りたてを船で調理して食べてもいいし。
隣の県までチキン南蛮丼を買いに行ってもいい」
「まだ覚えてたんですか……」
と言いながら、深月は神社の前を通る。
少し通り過ぎてから、振り返ったが、さわさわと揺れる木々に遮られ、神社の中は見えなかった。
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる