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理由が必要か?

神が舞い降りるのは俺だっ!

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 翌朝、深月は秘書室で杵崎に、

「どうした。
 今日は遅かったじゃないか」

 俺まで遅刻するところだった、と言われた。

 ……いや、駐車場で待っててくださらなくていいんですよ、と思いながら、深月は杵崎と向かい合い、仕事をしていた。

「それが私の部屋の時計が七時二十分だったから、まだ早いなと思ってたんですけど。

 いつの間にか、止まってたみたいなんですよねー。

 どうも、夜の七時二十分だったみたいで。

 リビングに行ってみたら、もう七時十五分だったんです」
と深月が言うと、

「もしかして、部屋の時計は早くしてんのか?
 早め早めに動けるように」
と杵崎がパソコンを見たまま訊いてくる。

「っていうか、家の時計、どれも違うんですよね。
 私の部屋が七時二十分のとき、清ちゃんの部屋は七時十分で、リビングは七時なんです」

「お前の家は時差があるのか……」
と言われ、

「いやー、勝手にずれるんですよねー」
と深月は答える。

「誰かずらしてるんじゃないのか、お前、とろくさいから」

 清春さんとか、と言う杵崎に、
「いやいや、清ちゃんは部屋に勝手に入ってきませんから」
と言うと、

「昔からか」
と訊かれた。

「そうですね、そういえば」

「じゃあ、昔から意識してたんだな、やっぱり」
とこちらを見ずに杵崎は言う。

「そうだ。
 今度から俺も毎回、神楽の練習には顔を出すから」

「え、そうなんですか?」

「……俺もやることになったんだ」

 そこで、ようやく顔を上げた杵崎は、深月をまっすぐ見つめて言ってきた。

「神楽をだよ」




「支社長、聞かれましたか?
 杵崎さんも舞われるの」

 ハンコをもらいに支社長室に行ったとき、深月が陽太にその話をすると、陽太は何故か強張った顔で、

「……聞いた」
と言う。

 どうしてそんなに構えてるんだと思う深月の前で、陽太は重々しい口調で言ってくる。

「ついに、あいつも同じ土俵に上がってくるのか……」

 いや、なんの土俵?
と思う深月の手を取り、陽太は深月の名を呼んだ。

「深月」
「はい」

「俺は勝つ」

 だからなにに?
と思いながら、深月は陽太に握られているおのれの手を見る。

 昨日、夜道で手を握ってきたときには、緊張している風な陽太だったが。

 今は日差しが明るいせいか。

 他のことに意識が行っているせいか。

 陽太は特に照れてもいない。

 いや、こっちは緊張してしまうんですけど、と思いながら、深月は決意に満ちあふれた顔の陽太に手を握られていた。

 ……いや、だから、なんの決意?
と思いながら。
 



「いや、前から言われてはいたんだけどな。
 奥さんが実家に帰ったら、自分もついていくから、神楽には出られないかもって」
と陽太が神楽の練習に行くと、則雄が杵崎が参加することになった理由を教えてくれた。

 吉田さんという若い人が、初産の奥さんが早産になりそうなので、もしかしたら、出られないかもと以前から言っていたらしいのだ。

「ま、もともと聞いてたから、あんまり出番ない役を振ってたんだよ。
 だから、誰かが他の役と兼ねてもいいかって言ってたんだけど。

 ちょうどやる気のあるひでが居たから。

 それになんか盛り上がりそうだし」
と陽太を見て笑う。

 ……面白がってるな、その顔を見て陽太は思った。

 その日、杵崎は自分たちより少し早めに入って、稽古をつけてもらっていた。

「そうそう。
 上手いじゃないか!」
と早速、則雄に褒められている。

 ずっと稽古を見ていたので、ある程度動きが頭に入っていたようだ。

 則雄はもともと褒めて伸ばすタイプで、上手く調子に乗せてくれる人なのだが。

 杵崎に関しては、本気で褒めているようだった。

 昔から、なんでも要領よくこなす男だった杵崎は、今も筋がいいと褒められている。

 うっ、俺が苦労したのと同じ足さばきを一瞬でっ、
と衝撃を受けながらも、

 だが、神が舞い降りるのは俺だっ!
と思ったとき、後ろから扇子で脳天をはたかれた。

「何処見てんだ、ちゃんとやれよ」

 清春だった。

 さっきから清春と合わせて舞っていたのだが、杵崎の方が気になって、つい、チラチラ窺ってしまっていたのだ。

「集中しろよ。
 そんなんじゃ深月に呆れられるぞ」
と清春は痛いところ突いてくる。

 清春はチラとこらちを見たあとで言う。

「まあ、深月も今は新しい男が物珍しいんだろうが。

 結局は、ずっと近くに居て、見守っていた俺の方いいと気づくに違いない」
と言われ、ぐっとつまった。

 確かに。
 深月は清春と居るときの方がリラックスしている。

 身内なのだから、当たり前といえば、当たり前だが。

 ……兄であって、兄でないところがポイントだよな、と陽太は思う。

 ずっと一緒に居て、守ってくれて。

 寝起きも共にしているイケメンが、結婚もできる立場にあるとか、ズルすぎる、と思っていた。

 見れば見るほど清春は端正な顔をしている。

 すっと通った鼻筋。

 目許は見るからに知的な感じで。

 万理たちがちゃんと決まった相手も居るにも関わらず、まだ清春を思って騒ぐはずだ、という感じだ。

 口調はちょっとあれなときもあるが、なんだかんだで優しいし。

 こんな男がいつも自分の側に居て、守ってくれるとか。

 ……俺が女でもクラッと来るな、と思ってしまう。

 むしろ、何故、今まで深月が清春と付き合っていなかったのか、不思議なくらいだ。

 そんな風に考える陽太に清春が言ってきた。

「それに、深月が困ったときに頼りにするのは、結局、俺だしな」

「え?」

「昨夜、深月が困ったことがあるから助けてくれと言って、抱きついてきたんだ」
と言われ、どきりとした。

「俺がもう寝ようと思って、部屋に向かっていたとき、いきなりパジャマ姿の深月が部屋から廊下に走り出てきたんだ。

『清ちゃん、助けて』って。

 深月は俺にすがりついて言った。

『なんか居る』
 って」

「……なんか居る?」

「深月が寝ていたら、ものすごい大きな足音が耳の側でして、飛び起きたんだそうだ。

 変質者かと思って深月の部屋に入ってみたら、白いヤモリが窓際に居た。

 あいつら移動するとき、だいの大人が走るくらいの音立てて走るんだぞ、知ってたか?」

 いや、ヤモリに枕許に立たれたことはないので、知らないが……と陽太は思っていた。

「俺は深月に、
『大丈夫だ。
 白いヤモリと遭遇するといいことがあるらしいぞ』
と教えてやった。

『そうなんだー』
と深月は納得して、そのまま寝た」

「いや、ヤモリ、出してやれ」

「でも、置いとくと、いいことがあるんだぞ」

 やかましいだろうが、耳許走られたら、と思う陽太に、清春は自分で自分の言葉に納得するように頷きながら言ってきた。

「やはり俺は深月に頼りにされている」

「いや……たまたまそこに居ただけだろうが」
ととりあえず、思ったままを言ってみた。




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