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支社長室に神が舞い降りました
夕暮れどきのいい雰囲気だぞ
しおりを挟む帰りの電車の中で、深月がまだ錠剤の話をしていると、陽太は笑い、
「今日は二人の楽しい思い出が共有できたな」
と言ってくる。
いえいえ。
共有できたのは、人様の小話ですよ。
「あの話の続きが気になるのなら、やはり、興信所の人間を雇って、あの二人を探させようか。
お前のためなら、やぶさかではない」
と陽太は言い出すが。
いや……続き気になってるの、貴方じゃないですかね?
と深月は思っていた。
そんな話をしているうちに、神社近くの駅に着いていた。
「船は便利だが、車もいるな」
と駅から歩きながら言う陽太に、
「でも、電車も楽しいですよね」
と深月は笑って答える。
「まあな。
だが、今度、お前と出歩くときのために、この近辺に車を一台買って置いておくよ」
と陽太は言い出す。
それだけのために、わざわざ?
なんというもったいないことをっ。
金持ちの考えることはわからんな、と深月が思ったときには、もう神社のある通りまで来ていた。
ふいに足を止めた陽太は、深月を振り返り、言う。
「別れ際にキスとかしないのか。
夕暮れどきのいい雰囲気だぞ」
突然、なにを言うんだ、と思いながらも深月は言った。
「いや……此処、住宅街ですよ。
みんな見てます」
「大丈夫だ。
こんな黄昏どき、誰の顔も見えていない。
見えにくいから、『誰そ彼』どきって言うんだろうが」
と陽太は言うが。
「いや、貴方の後ろを通っている豆腐売りのおじさんの顔もハッキリ見えています」
と深月は言った。
今どき珍しい、自転車に売り物の豆腐を乗せたおじさんがラッパを吹きながらやって来たのだが。
立ち止まっている自分たちの顔を見ながら通り過ぎている。
視線を追った陽太は、
「コンタクトを外せっ」
と言ってくる。
「いや、それだと私が見えてないだけですよね」
と言うと、
「仕方のない奴だな」
と叱りながらも、陽太は、そっと深月の頬にキスしてきた。
陽太の口調は強かったが、その口づけは、小鳥のように怯え気味で穏やかだった。
深月は笑ってしまいそうになる。
「……おやすみなさい、支社長。
今日はありがとうございました」
少し笑ってそう言うと、
「外では支社長はよせ」
と陽太は照れたようにこちらを見ないまま、言ってくる。
なので、
「じゃあ、船長。
ありがとうございました」
と言ってみたのだが。
「……いや、それもやめてくれ。
全然、距離感縮まった気がしないから」
と陽太は言ってきた。
その頃、杵崎はまだ自転車のところに居た。
店主ももう呆れるを通り越して、温かい目で見つめている。
毎日、此処から小一時間動かない自分を。
タイヤの具合を見るフリをしながら、しゃがみ込んで自転車を見つめていると、
「はい」
と店主のおじさんが紙コップに入ったコーヒーを差し出してきた。
「え」
「いや、寒いから」
と店主は笑っている。
「あ、ありがとうございます」
と受け取りながら、申し訳ないから、なにか買って帰らねばな、と杵崎は思う。
特にいらないが、空気入れとかタイヤとか、と思ったとき、店主のおじさんは店内に戻りながら、
「いや、気にしないで。
あんた見てんの、暇つぶしにいいから」
と言って笑う。
杵崎はありがたく湯気の立つ珈琲をいただきながら、自転車を眺めた。
これを買ってどうするんだろうな、俺は、と思う。
結局、使えなくて、むなしい思いで眺めることにならないだろうか。
いやいや。
こうして迷っては立ち止まるから、俺の人生、パッとしないんじゃないのか?
会長の親族だと言って支社に行ったら、変にこびへつらわれたり、やっかまれたりするんじゃないかと思って伏せてみたりもしたが。
陽太の奴は、堂々とやってきて、結構上手く支社長をやっているし。
一宮とも、するっと仲良くなって、今ではベッタリ側に居る。
そうだ。
考えすぎはよくないっ、と杵崎は立ち上がった。
「これくださいっ」
とその自転車を指差す。
「まいどありっ」
とオヤジが笑った。
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