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理由がありませんっ

愛があるのかどうか以前に、記憶がない

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 結局、陽太が忙しそうなので、万蔵は強く頼むようなことはしなかった。

 ただ、丁寧に断り、病室を出て行く陽太をすがるような眼差しで見てはいたが。

 陽太は廊下から病室を振り返り、
「万蔵さんによろしく言っておいてくれ」
と言ってきた。

「愛するお前の頼みだ。
 聞いてやりたいのは、やまやまなんだが。

 なかなか時間の都合がつきそうにないからな」

 ん? なんだって?
と深月は陽太を見る。

 その視線の意図を察し、陽太が言ってきた。

「なんだ。
 愛はないのか。

 愛もないのに、あんなことするとか、どんな女だ、お前は」

 いや、愛以前にですね。
 記憶がないのですよ、支社長。

 本当に我々の間になにかあったのでしょうか……、
と今ではちょっと疑っている。

「そういえば、お前の方はどうなった。
 穢れたから、もう舞えないとか言ってたじゃないか」
と嫌な話題を振られ、

「とりあえず、水垢離みずごりでもして、心と身体についたけがれを払おうかと」
と深月は答える。

「……穢れって俺のことか。
 なに、こびりついた汚れみたいに言ってんだ。
 もう一度、穢してやろうか」

 いや、貴方、病院の廊下でなに言ってんですか……と深月が赤くなったとき、
「陽太くん」
と誰かが陽太を呼んだ。

 振り返ると、看護師を従えた松浦院長が立っている。

 陽太は松浦に頭を下げたあとで、
「松浦先生、どうして、此処に?」
と訊いている。

「いや、四月に大学病院から移ってきたんですよ」
と言ったあとで、松浦は深月の方を見た。

 深月が頭を下げると、松浦も下げ返してくれたが。

 その瞳は微笑ましげで、口元も笑っている。

 い、いやいやっ。
 私、支社長の彼女とかではないですからねっ、と思っている間に、陽太と少し話して、松浦院長は行ってしまった。

「あのー、支社長は院長とお知り合いなんですか?」
と深月が訊くと、陽太は松浦の白衣の後ろ姿を見ながら、

「以前、身内がお世話になってな」
と言ったあとで、

「でもそうだ。
 なんだかんだで俺は神様は信じないから」
と言ってくる。

 いや、なんだかんだってなんだ、と思う深月に、陽太は言った。

「信じない奴に舞われても神様も迷惑だろ。
 他を当たってくれ」

 だが、そのとき、老舗の和菓子屋の紙袋をさげた定長則雄さだなが のりおが現れた。

 深月の父親より少し若い、気のいい漁師だ。

「深月、来てたのか。
 おっ、陽太じゃないか。

 どうした。
 なんで、深月と一緒に……

 ああ、そういえば、同じ会社か」
と軽く則雄は言ってくる。

 いや、ノリさん。

 支社長が漁業組合に行ったときに知り合ったのなら、この人が支社長だとご存知でしょうに、と深月は思っていたが。

 則雄は細かいことは気にしない人だった。


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