冷たい舌

菱沼あゆ

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はじまり

怖いモノ

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「交通安全の御守りですね。
 えーと、幾らだっけ、龍也」

「六百円だ。
 いい加減、覚えろ透子。

 っつーか、邪魔だ、どけっ」

 透子を押し退けると、龍也は明らかに透子目当ての男の客に、無愛想にそれを手渡した。

 社務所の前も祭りの人数に合わせてけっこうな人だかりだった。

 珍しく髪を括り、紅白の飾りをつけている透子は、後ろを向いて、お札を数えながら、ぶつぶつ言っている。

「だいたいさーあ、うちの龍神様に交通安全とか、安産とか祈願して効果あるわけ?」 

「お前が言うなよ。
 でも、ま、少なくとも、恋愛成就は嘘だろうな。

 こんないきおくれの娘がいるようじゃ」

「私はまだ、二十四ですっ」

 お札を置いて立ち上がったついでに、龍也の背を蹴る。

「てっ。もうっ!
 さっさとどこへでも片付いちゃってくださいよ、おねえさまっ」

「あんた、この間と言うこと違うじゃないっ」

 つい、そこが社務所であることを忘れて、首を絞めそうになったとき、

「すみません。
 恋愛成就の御守りひとつ――」

 ざわついた祭りのなかで、その声は何故か浮いたように透子の耳によく聞こえた。

 振り返った透子の手が止まる。

 加奈子が立っていたのだ。

 一瞬にして場が凍ったことに、龍也も気づいたらしく、それを拭おうとでもするように、わざと軽い口調で言った。

「恋愛成就には、あんまり此処、効き目ありませんよ」

「――わかってるわ、そんなこと」

 加奈子は笑わずに、透子を見ていった。

 透子は少し迷って、加奈子の前に膝をつく。

「加奈子さん、あの……」

 加奈子にどうしても忠告しておきたいことがあったのだ。

 それを自分が言うのは得策じゃないとわかっていても言わずににはいらなかった。

 だが、そんな透子の肩を引いたものがいた。

 見上げた加奈子が白い装束の和尚に目を見張る。

「……和尚」

 呟く透子の声を押し退けるように、和尚は加奈子に言った。

「忠尚なら、此処には居ないぞ」

 わかっています、と小さく加奈子は言った。

 龍也はなんとなく察したように、二人を見比べる。

「お前が何を考えているのか知らないが、透子にちょっかいかけるのは、お門違いだ」

 和尚は息を深く吸い込むと、透子の顔を見ずに言った。

「透子はもう―― 俺と結婚するんだから」

 透子は心の中で叫んだ。

 この馬鹿ーっ。
 こんなところで言うなー!

 辺りは手伝いに来ている氏子さんたちでいっぱいだった。

 案の定、ちらちらと視線がこちらを向く。

「透子さんが忠尚さんをどう思ってるかなんて関係ないです」

「お前らの勝手な争いに透子を巻き込むなと言ってるんだ」

 女相手だと言うのに、和尚の口調も態度も容赦なかった。

 和尚は知っているのだろう。

 加奈子が何をしているのか。

「加奈子」

 ふいに後ろからした声に、びくりと加奈子は肩を揺らす。

 普段着に着替えた忠尚がそこに居た。

「あ……忠尚さん」

「ちょっと来い」

 そう言った忠尚の目つきは、いつも彼の側にいる透子でさえ怖かった。

 悪戯の現場を見つけられた子供のように、加奈子は身を縮めている。

 それでも、彼女は忠尚に逆らえない。

 加奈子が忠尚に連れられていったあと、張り詰めていた空気が途切れ、みな、一様に息をついた。

「こっわ~。
 あれ、忠尚の女かよ。

 可愛い顔してんのに」

 龍也は呆れたように人波に紛れていく加奈子の後ろ姿を見ていた。

 透子は自分を守るように立っていた和尚の袖を引く。

「あ、あのね、和尚」

 あんまり結婚の話を言って歩くなと言おうとしたのだが―

「なんだ。なんか文句があるのか」
とあの低い声で先手を打たれて、透子は、いいえ、なんでもございません、とそそくさと御札の束の方に向き直る。

「お前の意思はその程度か……」

 さっき加奈子を見ていた目線より、もっと冷たい目で龍也は姉を見下ろした。

 そして、ふん、と諦めたように鼻を鳴らす。

「まあな、お前なんでも適当だもんな。

 結婚も適当にしとけばいいんじゃないの」

「なんでも適当っていうより、怖いもの知らずなんだよ、こいつ」

 さっき加奈子に忠告しかけたことに気づいている和尚は、わざと軽い口調で諭す。

 だが、透子は柱に貼られた龍神の御札を見たまま黙っていた。

「透子……?」

「私にだって、怖いものくらいあるわ」

 それだけ言うと、透子は席を立った。



 社務所から出ていく透子を二人は見送る。

「おい、和尚。
 透子の怖いものってなんだ?」

 和尚は黙って、透子の消えた扉を見ていた。

「わっかんねえのかよ。
 情けねえなあ」

 それを聞き終わらないうちに臑を蹴る。

 痛みにしゃがみこむ龍也を残して、和尚は透子を追い、出て行った。


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