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予兆
銅鏡
しおりを挟む春日は、透子に案内され、拝殿に行く途中、作りかけの舞台に目を留めた。
「これって、神楽殿ですか?」
「ああそう、うちは常設じゃないですから」
氏子らしい大工たちが仮の舞台を組み立てていた。
透子は彼らに頭を下げたあと、舞台の前へ行く。
春日が、
「神楽って、もともとは客に背を向けて踊ってたんですよね」
と言うと、そうですよ、と透子は微笑んで返した。
「本来は、神に向かって舞うものですからね。
客は、ただ、その背を見るだけ。
今では……ただのショーですけど」
何か含むところがあるように、透子は言った。
その目が何処を見ているのか、春日にはわからない。
彼女を人でなく見せているのは、この瞳だ。
一体、何が見えているのだろう。
何か人とはまったく違う信念に基づいて生きているようなその目に、つい、魅了される。
透子は自分のことを、その解釈の違いから気になると言ったが、透子こそが何もかも、人と違っているように見えた。
拝殿で、一通りの道具を拝見したあと、春日は祭壇に目を向けた。
中央に据えられているのは、かなり大きな銅鏡だ。
後ろに木の窓があり、そこが開けられている。
銅鏡は今日は斜め後ろ向いて置かれていた。
鏡は眩しい外の景色を映している。
目を細めてみると、そこには、四角く切り取られた龍王山が見えていた。
鮮やかな緑。
「此処には本殿はなく、御神体は龍神ヶ淵ですよね?
社殿というものが出来てから取られた、一番古い自然崇拝の神社の形態、そのものですね」
日本では、もともとは社殿などなく、山なら山、滝なら滝が、神社そのものだったようだ。
そうです、と透子は頷く。
「そして、その御神体の姿を映すことで、これが神の仮の宿りとなるわけです」
と透子は近づき鏡を下ろした。
重そうだったが、それより気になることがあって、手を貸すことを躊躇う。
「いいんですか、触っても」
いいんです、と透子は言い切る。
「こんなもの所詮、ただの形ですから」
幾ら形式嫌いの透子とは言え、神に仕える彼女がそう言うのを意外に思いながら、春日は目の前の銅鏡を見た。
この御神体は、裏に龍が刻まれた白銅鏡だが、あまり古くはない。
透子はそれを見つめ、笑いもせずに言った。
「春日さん。
なんで、この御神体は鏡なんだと思います?」
「え?」
透子は鏡を覗き込むようにして言った。
「鏡には自分の顔が映るからです。
神はそれを覗き込むすべての人の心の中に居る。
いつでもお前を見張っているぞと――
脅しているんですよ、春日さん」
微かに口の端をあげた透子の顔に、春日は、ぞくりとした。
いつも自分が見ている彼女とは違い、魔的な美しさがあった。
普段は感じない匂うような色香を感じる。
これが本当の透子なのかもしれないと何故か思った。
そのとき、パンッ、と音がして、いきなり鏡が割れた。
透子の手には何の力も加わったようには見えなかったのに。
「つっ……」
「透子さんっ」
透子は血の滴った指先を口許に持っていく。
「あ、危ないです。破片でも入ったら……」
言いかけて、透子が入口を睨みつけているのに気がついた。
振り向くと、そこにはこの神聖な場に不似合いな墨染めの衣を着た男が立っていた。
春日の視線に気づくと、彼は今まで、まがりなりにも見せていた愛想さえ失った瞳で一瞥し、ふいと回廊に出ていった。
あーあ、と透子はわざと声をあげ、自分の方に注意を向けさせる。
「こりゃ、おじいちゃんに怒られるわ」
「ご、御神体ですもんね」
透子の怪我に気を取られていて、そこまで気が回っていなかった。
ああでも、それはいいんです、と透子は割れた鏡の破片を祭壇の側に起きながら言った。
「これ、祭りのたびに新しく造り返るから」
「御神体をですか!?」
仮とは言え、そんなの聞いたこともない。
足許に散らばる見事な龍の細工の彫られた銅鏡を見ながら透子は呟く。
「龍神だから。
龍神様は、蛇の化身とも言われてるでしょう?
一年ごとに脱皮なさるんです。
そうして、新しい器に乗り換えられる」
「……より大きな力をもって、ですか?」
さあ? と透子は笑う。
またあの顔だった。
この透子の側に居るのは危険だ。
なんとなくそう思う。
正面から見つめられたらどんな男でも捕らえられてしまう。
そんな気がした。
それにしても……銅鏡だぞ。
普通の鏡じゃないんだ。こんな簡単に割れるものなのか?
膝をつき、春日とともに破片を集めていた透子は、すべてを祭壇の上に置き、立ち上がる。
「さ、おじいちゃんに報告しよ。
ちょっと取り替えるの早すぎますもんね。一応、謝っとかなきゃ。
行きましょう? 春日さん。
外の山車、説明しますよ」
いつもの顔でそう微笑んで、透子は明るい外の光に踏み出した。
春日は、ほっとしながら、それに頷く。
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