冷たい舌

菱沼あゆ

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予兆

臥龍

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「はいはい、逃げないのよ」

「ちくしょうっ。
 なんで俺までっ」

「お前一人が逃げられるわけねえだろが、あの爺から」

 翌朝、透子と和尚に首根っこを捕まれ、忠尚は拝殿の廊下を引きずられていた。

 拝殿にところ狭しと広げられた祭りの小道具に、既にやる気のなさそうな声を上げる。

「えーっ、これ、全部やんの?」

「そうよ。
 だから、逃がさないわよ」

 顔を近づけて透子は睨む。

 倉から出すまでは大河と公人でやったのだが、二人とも別の用事が入っているので、後の点検と掃除は、透子たちに任せようということになったのだ。

 ぶつぶつ言いながらも、和尚を前に逃げられない忠尚は、腰を下ろしてとりあえず手近な箱を開け始める。

 仕事は面倒くさいが、開け放してある広い拝殿には、涼しい山の風が入ってきて心地よい。

 今、壁一面に、小中学生の書が貼ってあった。

 ところどころきちんと止められていない半紙が風に煽られて、はたはたと音を立てる。

 それが風鈴の音のように涼しさを増していた。

 それらは、『龍』にまつわる課題を学年ごとに書かせたもので、細長い色紙の貼ってあるのが賞をとったものだった。

 口を開けて、見上げた忠尚に透子は言った。

「昨日、先生たちが来て貼っていったんですって」

「懐かしいよなあ。
 でも俺、嫌いなんだよね、書道とか」

「忠尚、じっとしてるの苦手だもんね。
 でも、結構うまいじゃない」

「お前よりはな。
 お前は此処の娘のくせに、ズルしても、とても賞もらえそうにもなかったもんな」

「悪かったわね。

 でも、先生は大きくて勢いのあるいい字だって言ってたわよ」

「字が半紙に入りきらない、救いようのない子にはそう言うんだよ。

 子供は褒めて伸ばせっていうだろ」

 下を向いて作業しながら和尚が口を挟んでくる。

「それより、お前ら、手が止まってるじゃないか、上見てて、点検できるのか?」

 珍しく法衣のまま来ていた忠尚は片膝を立てて、顔を扇いだ。

「ああ、やだやだ。ジジイが居なくて、ゆっくり出来るかと思ったら、此処にも口煩い奴が」

「でも、そういえば、和尚は賞もらったことあったわよね」

 一度だけな、と和尚は素っ気なく言う。

「ああ、あったあったそういえば。
 なに書いたときだっけ」
と忠尚が訊く。

「……『臥龍』」

 ぼそりと和尚が呟いた。

 忠尚はそれを横目で見て言う。

「やだねえ、気のない振りして、ちゃっかり覚えてる辺りが。

 おい、透子のこともそうじゃないのか。
 お前、このまま、本当に結婚しやがったら、ただじゃ置かないぞ」

 和尚は聞いていない。

 三人でいるのに、いつもと違い、ちょっとぎこちない場をほぐすように、透子は伸びをして言った。

「ねえ、喉乾かない?
 なんか持ってこようか」

 それを聞いた和尚は顔を上げ、半眼の目で透子を見た。

「此処にも、じっと出来ない奴が」

 悪かったわねっ、と振り返りながら叫んだ。

「すぐ戻ってくるわよ!
 麦茶でいいわね!?」

 居間を覗くと、続きになっているダイニングで、龍也がお昼を食べていた。

「あら、もう戻ってきてたの? 珍しい」

 返事をしない龍也の首に、後ろから腕を回して体重をかける。

「お姉様が話しかけてるのに、返事しなさいよっ」

「ぐえっ」

 放せよっ、と透子の手を払ってから、咳き込む。

 奥の台所から、潤子が言った。

「明日から試験なのよ。
 勉強しに戻ってきたんでしょ」

「ああ。
 あんた、成績だけはいいもんね。

 しかも出てもないのに、講義は全部出席になってるそうじゃない」

 龍也は箸を持つ手を止めて、振り返る。

「おい。
 なんでお前がそんなこと知ってんだ?」

「あんたの友達の夕弥ゆうやくんが来たとき言ってたわよ」

 そう言いながら、冷蔵庫から麦茶を取り出し、カウンターの上に並べたグラスに注いだ。

 横で潤子が油で何かを揚げている音がする。

 換気扇は勢いよく廻っているが、かなりの熱気がしていた。

「なんで俺の知らない間に、俺の友達が来てんだよ!?」

「知らないわよ。
 あんたに借りたCD返しに来たのよ。

 言わなかったかしら。
 そこのソファのコーナーの上にあるわよ。

 ええっと、おとついの夕方だったかなあ」

「俺のバイトの時間じゃねえか」

 油断も隙もねえ、と龍也は舌打ちしたが、何の隙なのか透子にはわからなかった。

「透子、あんたたちもお昼にする?
 おむすびにしたから、このカラアゲとかと一緒に持ってって、あっちで食べて」

 うん、と頷きながら、透子はふと思いついて言った。

「そうだ、暇なら、春日さん呼ぼうかな」

 ぶっ、と龍也は噴き出し、潤子は目を輝かせた。

「なんでだっ!?」

 椅子を蹴倒しかねない勢いで立ち上がって龍也が叫ぶ。

「いや、春日さん、祭りの道具とか興味あるみたいだから」

 龍也の剣幕に押されながら、透子は言った。

 そうよ、それ、グッドアイディアっ、と潤子は、はしゃぐ。

 そんな母親にも呆れたように龍也は額に手をやり、言った。

「おい。透子は和尚と結婚するんじゃなかったのか」

 潤子は不思議そうに龍也を見る。

「あんた反対なんじゃなかったの?」

 龍也は気を落ち着けるように椅子に座り直し、透子の方を見ずに言った。

「別に反対してるわけじゃねえよ。

 和尚が養子に来るんなら、俺も好きなこと出来るし、それはそれでいいんだよ。

 ただ―― ちゃんと手順を踏めって言ってるんだ」

 透子は呆れたように腰に手をやって言った。

「あんた、昨日、和尚が言ったこと、どういう意味に取ったのよ?

 本当に私と和尚との間に疚しいことがあったのなら、龍神様の巫女なんてとっくの昔に降ろされてるはずでしょ?」

「その巫女を降ろすとか降ろさないとかって誰が決めるんだよ。

 死んだ婆ちゃんか?

 淵におわす龍神さまか?

 そんなもん俺には見えないから、そいつが、お前のこと巫女じゃないって言ってても、わかんないねっ」

 ガタッと龍也は立ち上がる。

 そのまま、ソファの上に山積みになっていた教科書と本の山を乱雑に掴むと、ぽかんと見送る透子の前を通り過ぎていった。

「……なんなのよ、あいつ」

 大きなお盆を出しながら、潤子が笑う。

「難しい年頃なのよ」

「お母さん、二十一にもなって、難しいも何もないでしょうが。
 ほんっとに息子には甘いんだから」

「いいから、はい。
 これ、持ってって」

 料理の並んだお盆を持たされ、重くて透子はよろめいた。

「あんた、ほんっとうに役に立たないわね。
 あら、和ちゃん」

 その声に、透子は廊下を振り返る。

 大きく開け放されたガラス戸のところに、いつの間にか和尚が立っていた。

 龍也の後ろ姿を見送っているようだ。

「どうしたんだ、あいつ」

「昨日の続きよ。
 お姉ちゃんべったりなんだから、困っちゃうわ」

 お盆を持って青息吐息の透子が、和尚、いいところに、と言うと、和尚は中に入ってきながら、厭な顔をした。

「お前が、いいところにって言うと、ロクなことがない。
 その科白せりふを使って、俺に用事を頼まなかった試しがないからな」

「馬鹿ね。
 人に用を頼むためにある科白でしょ?」

 持ってとも言わずに、和尚の手に盆をのせた。

「おい……」

 私にはこれがあるの、と透子は麦茶の乗った小さな丸いお盆を持つ。

「行こ。和尚」
とその袖を引いた。

「あら、春日さん、呼ぶんじゃなかったの?」

 その言葉に、即座に和尚が振り返る。

「春日?」

「そう。春日さん、ああいう祭具好きそうだったから、見せてあげようかと思って。
 それに、和尚一人で真面目にやると疲れるでしょ?

 春日さん、いい人だから、きっと手伝ってくれるよ。
 几帳面そうだしね」

 和尚はお盆を片手で持つと、懲らしめるように、透子の耳を引っ張った。

「お前が几帳面にやればいいんだよ」

「いたたた。
 わかったっ、わかったから放してよおっ」

「あっ、透子っ!
 春日さん、呼ばないの?」

 潤子は透子を引きずって廊下に向かう和尚越しに訴える。

 和尚は素っ気なく言った。

「結構です。
 間に合ってます」

「もうっ。
 和ちゃんっ、そんな妨害するんなら、ちゃんと透子をもらってよっ」

 後を追いかける潤子の言葉に、和尚は叫び返した。

「わかってますよっ」

 透子たちの去った後は、まさしく嵐の去った後だった。

 やれやれ、自分たちもご飯を食べるか、とエプロンを外した潤子は、公人と大河を呼びに行こうとして、気がついた。

「あら?
 あの子、さっき、『わかった』って言わなかったかしら」

 この反応の鈍さは、そのまま透子に遺伝しているようだった。



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