冷たい舌

菱沼あゆ

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予兆

十年前、八坂祭り――

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 十年前、八坂祭りを控えて潔斎中だった透子は部屋を抜けだし、黄昏時の淵へと来ていた。

 ところが、たまたまそこを訪れた和尚と顔を合わせてしまい、驚いて足を滑らせ淵へと落ちた。

 和尚に助けあげられた後、しばらくして、なんだか足の間に、厭な感じがした。

「どうかしたのか?」

 そう問う和尚に、慌てて手を振る。

「どど、どうもしないっ。早く行ってよ。和尚っ!」

 幸い潔斎中のため、緋袴をつけていので、わかるまいと思ったのだ。

「なに言ってんだ。お前、そんなんじゃ一人で帰れないだろうが」

 びしょ濡れな上に、体力を使い果たした様子の透子を気づかって、和尚はすぐ側に腰を落とす。

 いいから、帰れ~っ。

 変なとこで優しいんだから、もうっ。

「いいのよっ。
 和尚と帰ったら、お祖母ちゃんに言いつけ破ったことばれちゃう」

「ああ、男と会うなって奴な。
 会っちゃったんだから、しょうがねえだろ。

 婆には俺が怒られてやるよ。まったく」
と和尚は透子に背を向けた。

「え?」

「乗れよ。
 背負っていってやるから」

 透子は泣きそうになりながら言った。

「和尚……わたしね。女の子になっちゃったみたいなの」

 いやいやいやっ。
 なに言ってるんですか、あなたはっ、と当時の自分に突っ込みたいところだが、そのときは動転していて、旧時代的な言い回しの恥ずかしさには思い至らなかったのだ。

 和尚もたぶん、赤くなっていたのではないかと思うが、もともと夕陽のせいで、辺り一面、薄桃色に染まっていたので、よくわからなかった。

 こういう年頃の男の子って、気持ち悪いとか思うんじゃないのかなあと不安に思いながら、俯く透子に和尚は言った。

「じゃあ、余計歩けないだろ。いいから、乗れ」

 和尚の背で、夜へと落ちていく空を見ながら透子は小さな声で言った。

 誰にも言わないでね。

 わかってるよ――。

 今ほど体格がよくなかった和尚は、透子を背負うと少し頼りなくて。

 それでも透子は、和尚のその柔らかな髪に頬を寄せた。

 空には白く輝く一番星。


 あー、恥ずかしい。

 子供時代は何もかも光り輝いて美しいだなんて、誰が言いやがったんだ。

 恥ずかしくて、一生誰にも顔を合わせたくなくなることのオンパレードだ。

 敏感な和尚は、あれから透子のそれが満月の度に訪れるのをなんとなく察知しているようで、透子をいたぶるのは相変わらずだが、そのときだけは少し手加減してくれているような気がする。

 赤くなって俯いていた透子は、和尚の目が、どさくさに紛れて、自分の額を見つめているのに気づかなかった。


 和尚は前々から気になっていた透子の額を凝視していた。

 絶対、此処に何かある……。

 額の中央。第三の眼のある場所。

 そこがまるでサングラスをかけたように、薄い色がかかって見えた。

「……これは」
「和尚?」

 気配に気づき、顔を上げた透子の手を押さえ、前髪を払う。

 額を見据え、ゆっくりと心眼を開いた。

 色、違う。薄墨で書いたような……これは梵字?

 封じてるのは『力』か?

 それとも、やはり『記憶』なのか?

「いやよ、駄目っ。和尚っ!」

 前髪を押さえていた片方の手が、ぱしっ、と額に弾かれる。

 電気が走ったみたいだった。

 和尚は痺れた手を押さえ、額の梵字を睨んだ。

「上等じゃねえかっ」

「ちょっと、人の額に向かって、変なやる気ださないでよっ」

 和尚は力を込めて、その蜘蛛の足のように細い指を透子の額にのめり込むほど、突っ込んだ。

「いっ、痛いっ」
「じっとしてろっ」

 額の梵字が揺らめいて、和尚を押し返そうとする。
 揺らぐそれは、CGの画面のようだった。

 額に異界があるみたいだ。

 そう思った途端、何処かで嗅いだことのある匂いが鼻をついた。

 実際に匂ったのではない。
 その呪法に触れているうちに伝わってきたのだ。

 思い出した!
 ピリリとしたこの匂い。

 丁子の強く香るこの香を使って呪法を使うのが得意な……!



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