冷たい舌

菱沼あゆ

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予兆

透子の秘密

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 あれが恋でなくて、なんだというのか。

 俯く透子を見ながら、春日は思い出していた。
 和尚を見つめる透子の目。

 だが、透子は今もそれを否定する。

「本当に違うんです。
 和尚は私にとって、その―― 神様、みたいな人だから」

 しかし、春日はその答えの方に驚いた。

 龍神の巫女たる透子が、神に等しいということの方が、ただ好きだというより深いことだとわかるから。

「そんなに、凄い人なんですか」

 半ば、呆れも混じって問うと、そうじゃないんですよ、と透子は手を振った。

「だって、頭はいいけど、人の意見は聞かないわ、頑固だわ、依怙地だわ、偏屈だわ」

「あの、神様みたいな人なんじゃなかったんですか?」

 だからですよ、と透子は眉をひそめた。

「民俗学やってらっしゃったんなら、ご存じでしょ?

 神様って傲慢で我儘で、人の言うことなんて聞かないじゃないですか。

 ほら、民話なんかだと、女神様が水浴びしてるのをうっかり山に踏み込んで見てしまったせいで、何処までも追いかけられて殺されたりする。

 見る気もなかったのにですよ?

 ああいう理不尽さがそっくりなんです!」

 憤ったように透子は言うが、その言葉には深い愛情が感じられた。

 巫女である透子さんと、神のような和尚くん、か。

 透子にとって、和尚は自分と同種のものなのだろうか。

 確かに彼女の相手は、普通の男になど出来そうにもないが。

「透子さん。もしかして、和尚くんにも自分と同じように、一生神に仕えて生きて欲しいと思ってるんですか?」

 透子の目は、目の前のダッシュボードを見つめていた。

「……そうかもしれません。

 勝手ですよね、私。
 和尚には和尚の人生があるのに」

 苦笑する透子。
 だが、春日にはわかっていた。

 和尚はそれを勝手とは思わないであろうことを。

 あのとき、面と向かって喧嘩をふっかけてきた忠尚の後ろから、自分に向けられた無言の眼差し。

 それは、忠尚の比ではない、射るような、敵意――。

 だが、その目を思い出しながらも、口走っていた。

「また……逢ってくださいますか?」

 はい、と頷いた透子は、あ、と声を上げる。

「そうだ。もうじき、八坂祭りなんですよ」

 青龍神社が中心となって、夏の始めに三日間行われる遠くの都市からも観光客を集める祭りだ。

「透子さんが、御神楽を奉納される、あれですよね」

 透子は照れたように手を振った。

「私の神楽は、たいしたもんじゃないんですけど、祭り自体は結構大がかりなんで、ぜひ、見にいらしてください。

 そうだ。それで、明日から潔斎なんですよ」

「潔斎って、その間は、身を慎んで生活するわけですよね」

「そう―― でも、今はそんなに厳密じゃないんですけど」

「もしかして、その間は、男と会うのも駄目なのかな?」

 冗談めかして言う春日に、透子は、そうですよ、と言った。

 何故かそこで、妙に艶っぽい表情を見せる透子に、どきりとする。

「私、十五の年までは潔斎の間は男の人に会っちゃいけないって、祖母の部屋に閉じ込められていたんです」

「今はいいんですか」

 透子は、いいんです、と恥じらうように言った。

 あれ? もしかして。
 春日は思った。

 巫女としての透子の神事に区切りを与えるもの。

 それは、彼女に何らかの変化があったとき――

 そうか。

 それに思い当たって、春日はつい笑ってしまっていた。

「な、なんですかっ、急にっ」

 途端に透子は慌て始める。

 春日がその変化を理解したことに気づいたのだろう。

 女の子の行事の区切りと言えば、初潮しかない。

 いえ、別に、と言いながら、透子があまりに慌てふためくので、その様がおかしくて、ハンドルに縋るようにして笑い出してしまった。

「もうっ。春日さんっ、ひどいっ」

 だが、春日はハンドルから顔を上げて言った。

「なんですか? 僕何も言ってないじゃないですか」

「でも……ああ、そうか」

 はっきり口に出さいなので、否定のしようもないらしい。

 落ち着きなくこの場を纏めようと窺う姿が、敵を捜すミーアキャットが首をひょこひょこ伸ばす姿に似ていて、堪え切れなくなった春日はまた吹き出していた。

「もうっ! なにがおかしいんですかっ」
と透子は半泣きになっている。

「いや、別に。でも透子さん、意外と遅いんですね」

 笑い過ぎたせいで、零れそうになった涙を拭うべくやった指の隙間から見、意地悪く囁く。

「もう~、春日さんっ?」

 赤くなった透子は、春日の腕をはたいた。

 それは、微妙に残っていた気まずさを吹き飛ばすのに、ちょうどいい具合だった。



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