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予兆
春日の秘密
しおりを挟む日も落ちかけた頃、二人は帰路についていた。
助手席の透子は、さっき買った猫の土鈴を包みのまま転がして、りんろんりんろん音をさせて喜んでいる。
小物に興味を示すとは、やっぱり女の子なんだなあ、と思う。
初めて逢ったとき、あの車にも驚いたが、ドリフトでピタリと駐車スペースに入れてきたあの技術にも感嘆した。
カウンタックは構造上、運転席から後ろが見えにくいので、慣れない場所でバックするときはドアを開け、身を乗り出して下がらなければならな
い。
その面倒臭さもあって、バックで出し入れするのを嫌ったのかもしれないが。
それにしても……あれは女の運転じゃなかった。
だが今、その透子は、やはりご機嫌なまま、鈴を転がしていて、春日は思わず笑みを溢した。
なんですか、と切れ長の眼の奥の、愛らしい黒い瞳が自分を見る。
「いいえ」
透子と会ってから、ずっと笑っている気がする。それは、彼女の何処かコミカルな仕草のせいかもしれない。
そしてそれは、あの龍造寺の三人や透子の母にも共通するものでもあった。
ああいう動きが出来るのは、何の裏もない人間だからだ。
自分に喧嘩を売ってくる忠尚でさえ、なんだか憎めないものがある。
まあ、彼の場合、透子恋しさに突っ掛かってきているのが見え見えなのもあるが。
あんなにストレートに感情を表すことなんて、自分にはないことだから、なんだか彼が可愛らしく感じられていた。
そんなことを言うと、きっと本人は怒るのだろうが。
「おねえさんって、海外にいらっしゃるんですよね?」
その話題に、春日は和やかな気分に水をさされたように感じた。
姉のことを振られて、そんな風に感じたのは初めてのことだった。
早くその話題から離れようとして、つい、どもってしまう。
「そ、そうなんですよ。
だから、これ、送ってやらないと」
「あんまり日本には、帰って来られないんですか?」
「忙しいですからね、あの人も。いろいろと」
透子は、うふふ、とあどけない笑みを見せる。
「仲いいんですね。
うちの龍也なんて、もうすっかり私のこと馬鹿にして、呼び捨てにするし。
もう何年も、『おねえちゃん』なんて聞いたことないですよ」
「……それは危険な兆候です」
そうですか? と透子は春日の方に向き直る。
「反抗期なんでしょうか?
そりゃ、子供の頃から和尚や忠尚といることの方が多かったから、姉弟っていっても、龍也も淋しい思いしてたかもしれないけど」
「いや、そういう意味じゃなくて」
え? と透子の澄んだ水を思わせる瞳が自分を向き、なんだかわからないまま、すみません、と謝りたくなった。
純粋すぎるその眼差しは、彼女が龍神の巫女として生きてきたから授かったというだけではないだろう。
恐らくあの二人が守ってきたのだ。この汚れない透子が傷つかないように。
春日は夕日に照らされて熱くなったハンドルを指で弾いて言った。
「やっぱり貴女は、僕なんかと見合いしなくて正解ですよ」
思わず呟いた自嘲気味な言葉に、透子が、どうしてですか? と問う。
「僕は貴女に、ふさわしくない人間だからです」
「逆じゃないんですか?
お母さんなんか、すっごい春日さん、気に入ってるんですよ。
よくあんたなんかと見合いしてくれた、とか言ってますもん」
「それは、僕の経歴とか、自分でも言うのもなんですけど、真面目そうな外見とか、そういったものに目がいってるだけでしょう?」
その言葉に、透子は眉根を寄せる。
「なんでそんなに自分を貶めるんです?
私は春日さんの経歴なんかよく知らないけど、春日さん、好きですよ」
好きですよ――。
なんてことなく言っただろうその言葉に、どきりとする。
そして、その邪気のない言葉が、ずっと胸の奥深くにしまい込んでいた罪の意識を掘り起こす。
そんな春日の変化には気づかず、口許に指を当て、少し感覚を鋭くするような顔をして、透子は言った。
「だって、春日さんの周り、すごく空気がきれい」
「空気がきれい?」
その目は、春日を通り越して、その肩の後ろ辺りを見ていた。
「うん……きれい。
なんていうか。一見、感じのいい人でも、側にいて苦痛を感じる人っているんですよ、私。
でも、春日さんの側にいると、なんか落ち着くんですよね」
「それって、オーラのことですか?」
「オーラっていうのとは、ちょっと違うかな。
その人の発する空気っていうか、それがすごくきれい。
それって、春日さん自身の性格のせいだと思うんですよね」
「買い被りですよ……。
僕はそんなお綺麗な人間じゃない」
春日さん……? と透子が不思議そうに問い掛ける。春日は遠い夕焼けに霞む街を見ていた。
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