冷たい舌

菱沼あゆ

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予兆

春日の来訪

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 次の日、いそいそと呼びに来た母に着いていくと母屋の前に春日が居た。

 玄関にかかるほどの枝を張るクヌギの木の下で、春日は少し照れたように透子を見た。

「すみません、突然。
 実はちょっとお願いしたいことがありまして」

 横で妙に変にわくわくしている潤子の気配を感じ、透子は睨む。

「お母さん、席、外してくれない?」

「どうして? 透子。
 お母さんも春日さんとお話ししてみたいわ」

「なんでよ?」

「だって、将来息子になるかも……ぐっ」

 口を塞がれてもなお、潤子はしゃべっている。

 それを見ながら、春日は笑っていた。

「それがですね。
 実はもうすぐ姉の誕生日で。

 プレゼント買いに行くの、付き合って欲しいんですよ」

「あー、お姉さんの」

 透子の手を振り払い潤子は身を乗り出してくる。

「そうですか。
 お姉さんの。

 それはいいことですね」

 どういいことなんだ?

 私は別にそのお姉さんと義姉妹になるつもりはないぞ。

 だが、潤子はいつもの勢いで春日に向かって言った。

「春日さん。
 この子が龍神様、龍神様って言っても、気になさらないでくださいね。

 別にこの子が雨を降らせてくれるわけでも、台風を避けてくれるわけでもないし」
と薫子が聞いていたら殺されそうなことを平気で言う。

 まあ、彼女が生きていた頃から、ちょっと豪胆なところがあったが。

「あのね、お母さん」

「この子、ちょっとそれっぽい外見してるし。
 お祖母ちゃんが力の強い霊能者だったから、氏子さんたちもみんな信じちゃって」

 しゃべるしゃべるどんどんしゃべる。

 透子は、そんな母の袖を引いたが、あっさりと振り払われた。

「ほんとに龍神様の巫女だっていうんなら、山のひとつやふたつ割ってみなさいって言うんですよ」

 引きつった笑顔で透子は問い返す。

「……割ってほしいの?」

「それくらいのことやってくれなきゃ信じられないって言ってんのよ。

 親の私が見ても、あんたはちょっと勘が鋭いだけの、唯の子供ですよ」

 透子は、はあーっと重い溜息をついて、母の袖を掴んだ手に体重をかける。

「なによ?」

「いいえ、別に。
 お母さま、お忙しいんじゃないですか。

 何か他の用事をされたらどうですか?」

「あら、なによ。
 私を除け者にしようっての?」

「そうじゃなくて~」

 単にうるさいからだっつーの。

「ああ、そうね。
 私はお邪魔ね。

 春日さんと二人きりになりたいわよねえ」

「お母さんっ!」

 はしゃぐ母と叫ぶ娘を見て、春日はただ、苦笑していた。
 


「すみません」
と春日の車の中で、透子は恥ずかしく頭を下げる。

「いや、さすが、透子さんのお母さん。楽しい人ですね」

 まあ、他に表現のしようがないだろうな。

 車は、おじさん臭くない今どきのシルバーのベンツだった。
 少し小さめで乗りやすそうだ。

 車内には、まだ新車の匂いがしていて、透子は落ち着かなく、辺りを見回した。

 カウンタックにはない設備に興味をそそられる。

「……どうかしたんですか?」

 きょときょとする透子に、ちらと視線を走らせ、春日が問い掛ける。

「あ、いえ。その、高そうな車だなあ、と思って」

 そう言うと、春日は前を見たまま笑った。

「透子さんのカウンタックの方が高いと思いますよ。
 昨日友人に言ったら、本当に乗って歩いてる奴がいるのかって言ってました」

 ははは、と透子は苦笑いする。

 走る骨董品、だいたい、三万キロ乗ったらガタが来ると言われるカウンタックだ。

 他のカウンタックのオーナーにに聞くと、走らせるのはせいぜい、月に一度か二度だと言う。

「でも、最初見たときは、びっくりしましたよ。

 まさか、八坂に名高い龍神の巫女様が、カウンタックで現れるとは」

 びっくりしたと言いながら、春日は嬉しそうだった。

「いつも、やめなさいって言われるんですけどね。

 義隆のおじさまなんか、

『君のことは実の娘同然に可愛いがっているつもりだが、その趣味だけは理解できない』

 なんて、あの顔で眉をひそめて言うんですよ」

 男前だが厳しい義隆の顔を思い出したのか、春日は笑った。

 透子はフロントグラスの向こう、かなり近づいた市街に目をやりながら訊く。

「それで、お姉さんのプレゼント、何を買われるんですか?」

 ああ、と春日は口許に手をやり、

「香水にしようかと思うんです。
 もう決めてあるので、付いて来てくださるだけでいいですけど」

 一人で買いに行くのが恥ずかしかったので、と照れたように言った。

「僕の姉は今、海外に居ましてね。

 物にも選び方にもうるさい女で。

 僕は一年前から、次の年のプレゼントで悩まなきゃいけないくらいなんです」

 眉をしかめて見せる春日だが、その口許は少し笑ってみえた。



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