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予兆
忠尚からの誘い
しおりを挟む居間に入ると、公人がひとりお茶を飲んでいた。
「おお、透子。
掃除は済んだか?
和尚と忠尚はどうした」
「帰った」
ふーっと透子はソファに腰を下ろす。
「なんじゃ、元気ないのう」
「別に?
疲れただけ」
透子は足を組んで、ぐたっとひじ掛けに身体を預ける。
「透子。
潤子さんは、まだなんとか見合いを進めようとしとるようじゃが。気にすることはないぞ。
お前は、この八坂に名高い龍神の巫女なんじゃからな」
反対側のひじ掛けに搦めた足をのっけると、透子はのけ反るようにして、テーブルの前に座る公人を見た。
「八坂に名高いっつっても、今の私は淵に参拝したり、舞を舞ったりするくらいしか能がないからねぇ。
お母さんに言わせりゃ、ただの穀潰しよ」
透子は小さく息をついてから言った。
「あ、騙されるとこだった。
そういや、掃除させたの、お祖父ちゃんじゃない」
「いやあ。
ああでも言わんと潤子さんが煩いじゃろうが」
嘘だ……。
単に、自分が楽したかったんだ。
疑わしい目で祖父を見たとき電話が鳴った。
忠尚だった。
『透子、俺たちも今日、飲みに行かねえか。
で、気が向いたら覗いて見ようぜ。
あの和尚が、どんな顔でコンパに出てんのか』
それは面白すぎる提案だったが、透子はつい溜息を漏らしていた。
『なんだよ、乗り気じゃないのかよ』
「ううん……行こうかな」
それじゃ、と電話を切った透子に、公人が訊いた。
「誰じゃ?」
「忠尚。
飲みに行かないかって」
「和尚はどうしたんじゃ」
「和尚は、コンパ」
口に出しても、うわっ、似合わないっと思ってしまう。
「コンパー?」
と公人もまた眉をひそめる。
「斉上さんに引きずってかれたの」
斉上、と公人は口の中で呟き眉を寄せると、
「おお。
あの、お前に惚れとる男か」
と手を打つ。
「はあ?
斉上さんだよ?」
「お前らの先輩で、ときどき此処にも来とる、あの男前じゃろうが。
ほんに、お前は鈍いのう」
と小馬鹿にしたように言う。
「そんなことじゃから。あの春日とかいう男が会いたいと言ってきても、ほいほい付いてくんじゃろうな。
だいたい、お前は― こりゃ、透子。
人の話は最後まで聞け」
斉上さんが私を好きだなんて言う、ボケ老人の話に付き合ってられるか。
戸口で振り向き、投げやりに言う。
「お祖父ちゃん。私、もう出かけるから」
「忠尚とか」
「そう言ったじゃない」
何故か、公人はあまり好ましくない顔をした。
「気をつけろよ、透子」
「なにを?」
公人は、深い吐息を漏らす。
「わしゃあ、お前が心配なんじゃ。
どうもこう、ぼーっとしとるというか、警戒心が薄いというか。
純潔を守って、一生、龍神様の巫女でいるんじゃろうが」
「お祖父ちゃん……忠尚と行くんだけど」
「わかっとるわかっとる。
いいから、早よ行け」
公人は、しゃきっとしない孫娘を、煩そうに手で追い払った。
なによ、もう……。
透子は不可解な公人の言動に、まだ首を捻りながら、居間を出ていった。
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