冷たい舌

菱沼あゆ

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謀略の見合い

見合いなんてしません

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 八坂にそびえる龍王山の奥深くにある龍神ヶ淵。

 そこには龍神が住まうと言われ、かつては疫病や飢饉を退けるために、処女の生贄を捧げる儀式が行われていた。

 今では、その血なまぐさい祭りの痕跡を消しさるかのように、龍神様は淵を下った青龍神社にお移りになったと言い訳をして、人々は滅多に淵に足を踏み入れなくなっていた。

 龍神ヶ淵から、右に下れば青龍神社。
 左に下れば龍造寺りゅうぞうじ

 龍造寺も青龍神社も元々は同じ龍神に遣えていたが、今では龍造寺は真言密教の寺として確立されており、淵の主導権は青龍神社が握っていた。

 瀬戸内の穏やかな気候を象徴するような夏のはじめの風が、山に囲まれた田園に吹き渡る。

 そのど真ん中を、一体、誰が走るのか、完璧に整備された広い道が突っ切っていた。

 その広さを生かして疾走していた赤い車が急ブレーキを踏む。

 三百キロ近く出ていたせいで、テールが激しく蛇行したが、周囲に車がいないのが幸いした。

 車内で三つの溜息が漏れる。

 二つは安堵によるものだったが、一つは違っていた。

「透子っ」
「透子、てめっ!」

 怒鳴りつける二人には構わずに、透子はその車独特の小さな窓から山を窺うように見たあとで言った。

「ねえ、やっぱり、挨拶くらいしといた方がよくない?」

「挨拶してどうすんだ。見合いする気か?」

 この季節に、見ても暑苦しい法衣姿の忠尚ただひさが、ちっとも利かないエアコンに苛立ちながら、声を荒げる。

「こんな時間から行って、見合いも何もないわよ。
 やっぱり、こんなおじさまの顔潰すような真似、するべきじゃなかったわ」

「お前がはっきり断われる性格ならな」

 忠尚の足許から声がした。

 同じく法衣姿のその男は、忠尚の兄、和尚かずひさだ。

 2シーターの、しかも死ぬほど狭いこの車に無理やり乗っているにも関わらず、その顔は澄まし切っている。

 この二人は龍造寺の跡取り息子で、青龍神社の透子とは幼なじみだった。

 一応、一卵性の双子なのだが、醸し出す雰囲気はまるで違う。

 忠尚よりもよく通るその声で、和尚は言った。

「断言してもいいぞ。

 行ったが最後、お前はなんだかわからないうちに次の約束をさせられ、勢いに押されて式場に行って、気がついたら知らぬ家で、相手の男の顔も覚えぬうちに結婚してしまっている。そういう女だ」

 ――なんてこといいやがる。

 横目に和尚を睨んでみたが、彼の自分に対する予測が、いつも予言のように当たっているのも確かだった。

「だいたい、なんだって見合いなんか承知したんだよ」
と言う忠尚に、

「だって知らなかったのよ!
 あんたたちだって知らなかったでしょうっ?」
と透子は切れる。

 昨日の夕暮れ、いつものように遊びに行った透子を、和尚たちの父、義隆よしたかが、とってつけたような笑顔で出迎えた。

 その手には、随分回し読みされたとおぼしき見合い写真と釣書があった。

「知らなかったの、私とおじいちゃんと、あんたたちだけだったんだから」

「押さえどころわかってるよなあ、親父も」
と、どうでもいいところで忠尚は感心する。

「それにしたって、昨日からだって断れたろう?」

「断ったわよ。
 でももう、明日だからって、おじさま聞いてくださらなくて」

「いつものあれはどうしたんだよ。
 私は龍神様の巫女ですから、結婚できませんってやつは」

 忠尚は横目にこちらを見ながら、厭味に言う。

 強い霊能者だった祖母薫子の願掛けによって生まれた透子は、龍神の巫女であるとの託宣を受けた娘。

 だが、あれから二十四年、龍神は力を失い、薫子も亡くなった。

 そんな戯言を現実主義者の母、潤子が認めるはずもない。

「し、しないわよ、私はっ。

 私は――

 結婚なんかしないっ!」

 叫ぶ勢いで、アクセルを踏み込む。

 つんのめりながら発進した車の中で、よく似た男の声が交錯した。

「透子っ!」
 


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