上 下
117 / 125
ささやかなる同居

もう保険の人が来るから

しおりを挟む
 
 ……あれはジョウビタキ。

 これはカチョウ。

 お前は万千湖。

 そんな感じに軽く呼んでみたい。

 そう駿佑が思っているのも万千湖は知らなかった。



 昼休みになっても、駿佑は万千湖の名前が呼べないことについて、ずっと悩んでいた。

 このままでは仕事に支障をきたしてしまうな、と雁夜と来ていたリラクゼーションルームで思ったとき、

「なに見てんのー?」
とやってきた綿貫が駿佑の手許にある書類を覗き込んだ。

「車の保険だ。
 ちょうど更新時期なんだ。

 ほっといたら、自動更新なんだが。
 今日、ちょうど保険会社の人が来るんで――」

「ああ、そ……」

 そうなんだー、と言いながら綿貫が珈琲をとりに行こうとしたとき、書類を見つめたまま駿佑が言った。

「だから、白雪にプロポーズしようかと思って悩んでたんだが」

 何故っ!?
という顔で綿貫と雁夜が見たようだった。

 雁夜が焦ったように言ってきた。

「さっき、マチカを名前で呼べないって悩んでなかった?
 なんで、名前呼べない人がプロポーズできるのっ?」

 駿佑は書類から顔を上げ、
「プロポーズするとき、名字で呼びかけてプロポーズしてはいけない決まりでもあるのか」
と言う。

「さっきからずっと迷ってたんだ」

「プロポーズするかどうか?」

「いや、保険」

 ……保険? と二人が訊き返してくる。

「白雪が六万の車を買いたいと言うんだ。
 そんなすぐ車検が切れそうな車を買うより。

 運転したいのなら、俺の車を貸してやるのにと思ったんだが。
 今の保険では白雪は乗れないんだ」

 本人限定になってるからな、と駿佑は言った。

「いろいろ悩んだ結果。
 白雪と結婚して、本人・配偶者限定にするのが一番いいという結論にたどり着いた」

 そんなことでかっ、と二人は言うが。

 単に、どうしても、万千湖と呼べないと思い詰めていたところに、保険のことも重なって。

 脳の容量を超えたからだった。

 脳というか、感情か。

 駿佑は恥と照れと不安を捨て、仕事のときのように判断していた。

 保険の内容を切り替えるなら今だ。

 白雪も運転できるようにするためには、本人・配偶者限定にするのが一番いい。

 俺はどうやら白雪が好きらしいし。

 あの家にも白雪としか住むつもりはない。

 だったら、結婚するのが一番だ。

 仕事モードの駿佑の脳はその決定を下した。

 白雪には断られるかもしれないが。

 なにもしないより、した方がいい。

 倒れるときは、常に前のめりであるべきだ。

 仕事モードの駿佑はそう思っていた。

「昼過ぎに保険の人が来る。
 白雪は何処だ?」
と駿佑は立ち上がる。

「えっ? 今からっ?」

「そ、そのままでいいのっ?

 ゆ、指輪とか……
 あっ、渡したかっ」

「思い出の場所とか、夜景の素敵なレストランとかでなくていいのか?
 プロポーズがしょぼいと一生言われるぞっ」
と心配してくれる二人をお供のように引き連れ、駿佑は万千湖を探して社内を歩く。

 そうだ、恐るな。
 失敗しても、フラれるだけだっ。

 ……フラれ……。

 駿佑の頭の中に、万千湖が去り、激突してくる鳥と狸とあの家に取り残される自分の幻が浮かんだ。

 足許には万千湖が残して行ったまつぼっくり。

 いや、狸がいるのはコンビニだったな……。

 ちょっと気持ちがえそうになったが、保険の人はあと少しで来てしまう。

 どうも自分は恋愛に関しては、積極的でないようだ。

 今のこの勢いでどうにかすべきだ、と駿佑は思っていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

なか
恋愛
「君の妹を正妻にしたい。ナターリアは側室になり、僕を支えてくれ」  信じられない要求を口にした夫のヴィクターは、私の妹を抱きしめる。  私の両親も同様に、妹のために受け入れろと口を揃えた。 「お願いお姉様、私だってヴィクター様を愛したいの」 「ナターリア。姉として受け入れてあげなさい」 「そうよ、貴方はお姉ちゃんなのよ」  妹と両親が、好き勝手に私を責める。  昔からこうだった……妹を庇護する両親により、私の人生は全て妹のために捧げていた。  まるで、妹の召使のような半生だった。  ようやくヴィクターと結婚して、解放されたと思っていたのに。  彼を愛して、支え続けてきたのに…… 「ナターリア。これからは妹と一緒に幸せになろう」  夫である貴方が私を裏切っておきながら、そんな言葉を吐くのなら。  もう、いいです。 「それなら、私が出て行きます」  …… 「「「……え?」」」  予想をしていなかったのか、皆が固まっている。  でも、もう私の考えは変わらない。  撤回はしない、決意は固めた。  私はここから逃げ出して、自由を得てみせる。  だから皆さん、もう関わらないでくださいね。    ◇◇◇◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです。

【完結】醜い豚公爵様と結婚することになりましたが愛してくれるので幸せです

なか
恋愛
自分の事だけが大好きで 極度のナルシストの婚約者のレオナード様に告げた 「婚約破棄してください」と その結果お父様には伯爵家を勘当され 更には他貴族達にも私のあらぬ噂をレオナード様に広めまれた だけど、唯一 私に手を差し伸べてくれたのは 醜い豚公爵と陰で馬鹿にされていたウィリアム様だけだ 彼の元へと嫁ぐ事になり馬鹿にされたが みんなは知らないだけ 彼の魅力にね

【完結】人形と呼ばれる私が隣国の貴方に溺愛される訳がない

恋愛
「お姉様に次期王妃の責務は重いでしょう?」 実の妹に婚約者と立場を奪われた侯爵令嬢ソフィアは、事実上の厄介払いとも取れる隣国の公爵への嫁入りを勝手に決められた。 相手は冷酷で無愛想と名高いが、むしろ仮面夫婦大歓迎のソフィアは嬉々として相手の元に向かう。が、どうやら聞いていた話と全然違うんですけど…… 仮面夫婦の筈がまさかの溺愛?! ※誤字脱字はご了承下さい。 ※ファンタジー作品です。非現実な表現がある場合もございます。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

【完結】冷遇された私が皇后になれたわけ~もう貴方達には尽くしません~

なか
恋愛
「ごめん、待たせた」  ––––死んだと聞いていた彼が、私にそう告げる。  その日を境に、私の人生は変わった。  私を虐げていた人達が消えて……彼が新たな道を示してくれたから。    ◇◇◇  イベルトス伯爵家令嬢であるラシェルは、六歳の頃に光の魔力を持つ事が発覚した。  帝国の皇帝はいずれ彼女に皇族の子供を産ませるために、婚約者を決める。  相手は九つも歳の離れた皇子––クロヴィス。  彼はラシェルが家族に虐げられている事実を知り、匿うために傍に置く事を受け入れた。  だが彼自身も皇帝の御子でありながら、冷遇に近い扱いを受けていたのだ。    孤独同士の二人は、互いに支え合って月日を過ごす。  しかし、ラシェルが十歳の頃にクロヴィスは隣国との戦争を止めるため、皇子の立場でありながら戦へ向かう。    「必ず帰ってくる」と言っていたが。  それから五年……彼は帰ってこなかった。  クロヴィスが居ない五年の月日、ラシェルは虐げられていた。  待ち続け、耐えていた彼女の元に……死んだはずの彼が現れるまで––   ◇◇◇◇  4話からお話が好転していきます!  設定ゆるめです。  読んでくださると、嬉しいです。

星詠みの東宮妃 ~呪われた姫君は東宮の隣で未来をみる~

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました!🌸平安の世、目の中に未来で起こる凶兆が視えてしまう、『星詠み』の力を持つ、藤原宵子(しょうこ)。その呪いと呼ばれる力のせいで家族や侍女たちからも見放されていた。 ある日、急きょ東宮に入内することが決まる。東宮は入内した姫をことごとく追い返す、冷酷な人だという。厄介払いも兼ねて、宵子は東宮のもとへ送り込まれた。とある、理不尽な命令を抱えて……。 でも、実際に会った東宮は、冷酷な人ではなく、まるで太陽のような人だった。

冤罪で殺された悪役令嬢は精霊となって自分の姪を守護します 〜今更謝罪されても手遅れですわ〜

犬社護
ファンタジー
ルーテシア・フォンテンスは、《ニーナ・エクスランデ公爵令嬢毒殺未遂事件》の犯人として仕立て上げられ、王城地下の牢獄にて毒殺されてしまうが、目覚めたら精霊となって死んだ場所に佇んでいた。そこで自分の姪と名乗る女の子《チェルシー》と出会い、自身の置かれた状況を知る。 《十八年経過した世界》 《ルーテシアフォンテンスは第一級犯罪者》 《フォンテンス家の壊滅》 何故こんな事態となったのか、復讐心を抑えつつ姪から更に話を聞こうとしたものの、彼女は第一王子の誕生日パーティーに参加すべく、慌てて地上へと戻っていく。ルーテシアは自身を殺した犯人を探すべく、そのパーティーにこっそり参加することにしたものの、そこで事件に遭遇し姪を巻き込んでしまう。事件解決に向けて動き出すものの、その道中自分の身体に潜む力に少しずつ目覚めていき、本人もこの力を思う存分利用してやろうと思い、ルーテシアはどんどん強くなっていき、犯人側を追い詰めていく。 そんな危険精霊に狙われていることを一切知らない犯人側は、とある目的を達成すべく、水面下で策を張り巡らせていた。誰を敵に回したのか全てを察した時にはもう手遅れで……

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

処理中です...