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ささやかなる弁当
決め手はそこでした
しおりを挟む「じいさんから生前贈与された土地がある」
何処のお坊ちゃんなんですかと思ったが、
「じいさんちの周りなんで、結構田舎だが。
まあ、会社に通えないほどではない」
と言う。
課長はちゃんと貯金していそうだ、と万千湖は思った。
そして、万千湖には、アイドル時代に稼いだ金があった。
そんなに持ってるわけではないが。
最初は小遣い程度だったギャラも、全国的に人気が出たせいで。
学生時代も今の給料くらいはもらっていた。
ふたりは見つめ合う。
が、正気に戻った。
いやいや、そんな。
いっときの感情に流されて、あとどうすんだ、と思う理性はまだあった。
だが、そんな理性を吹き飛ばすものがやってきた。
正気になった駿佑が車を出そうとしたとき、車の前に、さっきの清水が飛び出してきたのだ。
ひいっ、当たり屋っ、と思ったのだが、清水は半泣きで、待ってくださいっ、と手を振っている。
駿佑が窓を開けると、
「すみませんっ。
もう一度、モデルハウスご覧になりますか? と訊くのを忘れてましたっ」
と叫ぶ。
自分たちが帰ったあとで、上司にモデルハウスに案内しなくてよかったのか、と訊かれたそうだ。
忘れてましたと素直に言って、叱られたらしい。
せっかく来てくれた清水に悪いので、二人は当選したモデルハウスをもう一度見に行った。
美術館か劇場の入り口かな? と思ってしまうような広くて高さのある玄関ホール。
女王様がほほほほ、と扇をはためかせ、下りてきそうな湾曲した階段が左右にある。
その階段を上がっていったら、大ホールがあって、オペラとか開幕しそう雰囲気だった。
大変素敵だが、一般庶民は自宅にこんなものがあったら、戸惑うな……。
万千湖は仕事を終え、この家に帰ってくる自分を想像してみた。
……家に対して、自分がショボい。
この共有スペースにつながる玄関以外に、それぞれの世帯の出入り口もある。
たぶん、モデルハウスとして、イベント時に訪れる大勢の客を迎え入れるために、正面玄関がこんなに大きくとってあるのだろうから、設計を変えるのもアリだろう。
だが、そうすると、別の費用がかなりかかるようだった。
これ以上の出費は避けたい。
万千湖はこの玄関の使い道を考えてみた。
だだっ広い玄関ホールのど真ん中で、雁夜や瑠美やサヤカたちが焚き火を囲み、談笑しはじめた。
そのくらいなにに使ったらいいのかわからない。
だが、この空間がこの家を立派に見せているのも確かだった。
やっぱり、私なんかが住むような家じゃないのかなあ。
万千湖は吹き抜けになっている高い天井を見上げる。
吊るされている立派なシャンデリアが目に入った。
まだ新しく手入れが良くされているので、暖色系の灯りにキラキラと輝いている。
その視線に気づいたように清水が言った。
「照明器具も家具も1800万の中に含まれてるので、今、この家の中にあるもの、そのままお譲りいたしますよ」
あ、パンフレットとかはいらないでしょうけど、とそこ此処にある住宅メーカーのパンフレットを見て清水は笑う。
「ほんとですかっ?」
と万千湖は身を乗り出した。
「あっ、でも、二階の読書スペースの棚にズラッと飾ってあった本なんかはついてないですよね?」
と言って、万千湖は、ははは、と笑う。
「え? ああ、欲しいのなら、差し上げますよ」
そんなものいるんですか? という感じに清水は言ったが。
「買いますっ」
と万千湖は手を上げた。
万千湖の理性は吹き飛んだ。
万千湖は十数冊の本のために、1800万の家を買った。
買った家の本棚に、最初から本が詰まっているなんて、夢のようではないかっ。
「いや、本でか……」
と後ろで駿佑が呟いていたが、この家を買う、ということについては、特に異論はないようだった。
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