上 下
36 / 44
あなたのことだけわかりません

二人でお散歩なんて贅沢すぎます

しおりを挟む
 
「保温して調理する道具ってあるじゃないですか」

 夕食をとりながら、咲子はそんな話をする。

「置いておくだけで調理できる箱みたいなのなんですが」

 タオルやなにかで包んだり、保温調理用の鍋があったり。

 保温調理は今でも盛んだが。

 保温調理の技法は、この時代にはもうドイツから入ってきていて。

 火無し煮箱、または、炊ぎ箱などというものが作られていた。

「あれで一ヶ月置いておいたらどうでしょう?」

「……腐ると思うぞ」

 そんなことを言いながら、行正はチラと外を見た。

 咲子も庭を見てみた。

 帰るのが早かったので、まだ明るいようだ。

 行正が、
「ちょっと散歩でもしてみるか」
と咲子を誘う。

「ええっ? ほんとですかっ?」

 いつも帰りがそんなに早い方ではないので。

 仕事のある日に、二人で散歩することなんて、滅多にない。

 なんか贅沢してる気持ちになるな~と思いながら、咲子は出かけようとして気がついた。

 玄関を出た行正の袖を後ろから強く引っ張る。

「だ、駄目ですっ」

 咲子の突然の奇行によろけながら、行正が振り返った。

「今、外に出たら、大変なことが起こりますっ」
  


「今、外に出たら、大変なことが起こりますっ」

 そう叫ぶ咲子の顔を見ながら、行正は、

 ……また、なにか不思議なことを言い出した、と思っていた。

「大変なことってなんだ……」

 空から隕石が降ってくるとかだろうか。

 いや、そんなことをこの愉快な妻が予見できるのはおかしい。

 どうせ、しょうもないことだろう、と思っていると、咲子は真剣な顔で言い出した。

「今出ると、豆腐屋さんにとり憑かれてしまうんですっ」

「……なんなんだ、豆腐屋にとり憑かれるって」

 やはり、しょうもない話だった、と思ったのだが、何故か庭を掃いていたユキ子までやってきて、咲子に加勢する。

「そうなんですっ。
 今、この時刻に外に出ると、豆腐屋さんにとり憑かれてしまうんですよっ」

 咲子ひとりの発言ならともかく。

 いつも暴走する咲子をさりげなく抑えてくれているユキ子まで言い出したので、豆腐屋に一体、なにが……? と行正は怪しんだ。

 咲子は両の手に拳を作り、緊迫した表情で言う。

「一度買ったら、何度でもやってくるんです、その豆腐屋さん。
 この時間にこの辺りを流しています」

「……買わないって言えばいいじゃないか」

 なんてことをっ、という顔を二人がする。

「笑顔の素敵なおじいちゃんなんですっ」
とユキ子が言った。

「そうですっ。
 ラッパを拭きながら、笑顔の素敵なおじいちゃんが、
『豆腐はいかがですか?』
 って照れながら言うんですよっ。

 買わないわけにはいかないじゃないですかっ」

 そう咲子が熱く語る。

「だから、いらない日でもつい買ってしまうんですっ」

「それで、買わない日は、この時刻には外をうろつかないことにしてるんですよ~っ」

 二人に畳みかけるように言われたそのとき、パーフーと豆腐屋さんのラッパの音がした。

 逃げそびれたっ、という顔を二人がする。

 莫迦なことを、買わなければいいんじゃないか。

 揉めながら、門のところまで来てしまっていた行正たちの前で、自転車に乗った豆腐屋さんがとまる。

 あたたかい夕焼けの光の中、しわしわの笑顔でおじいさんが照れたように笑った。

「あの、お豆腐、いかがですかいの?」

 行正は言った。

「……五丁もらおうか」

 ほらっ、という顔で、二人に見られる。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

華が閃く

葉城野新八
歴史・時代
会津松平家は、戦乱の世がおわり泰平の世に使命をもってつくられた家中だった。 武田、最上、蒲生、蘆名などの遺臣を集め、勇武と奨学の気風はとだえることなく脈々と受け継がれる。 19世紀。西からロシアやヨーロッパ、東からアメリカの軍艦があたらしい時代の波にのりやってきた。クリミアでは50万人が犠牲となる戦争があり、清国は西洋の技術革新のまえに敗れた。 そして日本では、一人の男の欲望からあるひとつの概念がつくりだされた。やがてそのプロパガンダは災害などの世情不安により加速をつけ、止まらなくなってゆく―― その時代に生まれた会津娘子のあさ子は、武芸と恋、結婚と子育に奮闘しながらも暮らしていたが、威信と権力の欲望と、恐怖にとりつかれた群衆の標的とされて攻めこまれる。 それでもあさ子をはじめ会津娘子たちは、故郷の実存をかけてそれぞれのやり方で戦った。 これは数々ある会津娘子の伝承のなかでも激烈に愛と義を貫いた、河原善左衛門の妻、あさ子の物語。 (※更新は不定期です。)

神様になった私、神社をもらいました。 ~田舎の神社で神様スローライフ~

きばあおき
ファンタジー
都内で営業事務として働く27歳の佐藤ゆかりは、色々あって(笑)神様から天界に住むことを勧められたが、下界で暮らしたいとお願い?したところ、神社の復興を条件にされてしまう。 赴任した神社は前任の神様が主祭神ではなく、本殿の悪神をおさえるのが仕事であった。 神社を発展させ、氏子を増やさないと存在が消えてしまう。 神格があがると新しい神の力、神威が使えるようになる。 神威を使って神域を広げ、氏子を増やし、更に神威を大きくすることができるのか。 ゆかりは自分の存在を護るため、更に豊かなスローライフも目指し、神使の仲間や氏子と神社復興ために奮闘する。 バトルは少なめです

追放された8歳児の魔王討伐

新緑あらた
ファンタジー
異世界に転生した僕――アルフィ・ホープスは、孤児院で育つことになった。 この異世界の住民の多くが持つ天与と呼ばれる神から授かる特別な力。僕には最低ランクの〈解読〉と〈複写〉しかなかった。 だけど、前世で家族を失った僕は、自分のことを本当の弟以上に可愛がってくれるルヴィアとティエラという2人の姉のような存在のおかげで幸福だった。 しかし幸福は長くは続かない。勇者の天与を持つルヴィアと聖女の天与を持つティエラは、魔王を倒すため戦争の最前線に赴かなくてはならなくなったのだ。 僕は無能者として孤児院を追放されたのを機に、ルヴィアとティエラを助けるために魔王討伐への道を歩み出す。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

【完結】愛することはないと告げられ、最悪の新婚生活が始まりました

紫崎 藍華
恋愛
結婚式で誓われた愛は嘘だった。 初夜を迎える前に夫は別の女性の事が好きだと打ち明けた。

溺愛なんてお断りです!~弱気な令嬢が婚約を断ったら王子様が溺愛してくるようになった~

山夜みい
恋愛
「お前みたいなブサイクに女としての価値はない」 弱気なライラは婚約者に浮気されて婚約破棄を告げられる。 根暗女、図書館の虫、魔法オタク…… さまざまな言葉で罵倒されたライラは男性不信に陥っていた。 もう男なんて信じない。貴族なんて懲り懲りだ。 そう思っていたのに、王子の婚約を断ってから人生が一変する。 「僕の目には君しか映らない。婚約してくれないか?」 「お断りします!?」 王子は何故か子爵領まで来てライラに求婚を始めたのだ。 しかも、ライラの傍に居たいがために隣に住み着く始末。 リュカ・ウル・ルドヴィナ。 冷酷王子、氷焔の微笑、人でなし、数々の悪名を持つはずなのに、ライラにだけはぐいぐい来て噂とかけ離れた姿を見せる。 「どうしてそんなに私が好きなんですか?」 「君が僕を見てくれたから」 ありのままの好きだと告げるリュカにライラは徐々に心を許し始める。 そうすると、だんだん彼女の真価も現れ始めて…… 「こんな魔法陣を見たのは初めてだ」 「君が何者であろうと、僕が守ってみせる」 ライラの真価に気付いたリュカは彼女を守ろうと動き出す。 古代魔法を狙う邪教集団、ライラを取り戻そうとする婚約者。 弱気な令嬢を取り巻くロマンス劇が、今始まろうとしていた。

【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~

暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」 高らかに宣言された婚約破棄の言葉。 ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。 でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか? 2021/7/18 HOTランキング1位 ありがとうございます。 2021/7/20 総合ランキング1位 ありがとうございます

【完結】女嫌いの公爵様は、お飾りの妻を最初から溺愛している

miniko
恋愛
「君を愛する事は無い」 女嫌いの公爵様は、お見合いの席で、私にそう言った。 普通ならばドン引きする場面だが、絶対に叶う事の無い初恋に囚われたままの私にとって、それは逆に好都合だったのだ。 ・・・・・・その時点では。 だけど、彼は何故か意外なほどに優しくて・・・・・・。 好きだからこそ、すれ違ってしまう。 恋愛偏差値低めな二人のじれじれラブコメディ。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。

処理中です...