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あなたのことだけわかりません
二人でお散歩なんて贅沢すぎます
しおりを挟む「保温して調理する道具ってあるじゃないですか」
夕食をとりながら、咲子はそんな話をする。
「置いておくだけで調理できる箱みたいなのなんですが」
タオルやなにかで包んだり、保温調理用の鍋があったり。
保温調理は今でも盛んだが。
保温調理の技法は、この時代にはもうドイツから入ってきていて。
火無し煮箱、または、炊ぎ箱などというものが作られていた。
「あれで一ヶ月置いておいたらどうでしょう?」
「……腐ると思うぞ」
そんなことを言いながら、行正はチラと外を見た。
咲子も庭を見てみた。
帰るのが早かったので、まだ明るいようだ。
行正が、
「ちょっと散歩でもしてみるか」
と咲子を誘う。
「ええっ? ほんとですかっ?」
いつも帰りがそんなに早い方ではないので。
仕事のある日に、二人で散歩することなんて、滅多にない。
なんか贅沢してる気持ちになるな~と思いながら、咲子は出かけようとして気がついた。
玄関を出た行正の袖を後ろから強く引っ張る。
「だ、駄目ですっ」
咲子の突然の奇行によろけながら、行正が振り返った。
「今、外に出たら、大変なことが起こりますっ」
「今、外に出たら、大変なことが起こりますっ」
そう叫ぶ咲子の顔を見ながら、行正は、
……また、なにか不思議なことを言い出した、と思っていた。
「大変なことってなんだ……」
空から隕石が降ってくるとかだろうか。
いや、そんなことをこの愉快な妻が予見できるのはおかしい。
どうせ、しょうもないことだろう、と思っていると、咲子は真剣な顔で言い出した。
「今出ると、豆腐屋さんにとり憑かれてしまうんですっ」
「……なんなんだ、豆腐屋にとり憑かれるって」
やはり、しょうもない話だった、と思ったのだが、何故か庭を掃いていたユキ子までやってきて、咲子に加勢する。
「そうなんですっ。
今、この時刻に外に出ると、豆腐屋さんにとり憑かれてしまうんですよっ」
咲子ひとりの発言ならともかく。
いつも暴走する咲子をさりげなく抑えてくれているユキ子まで言い出したので、豆腐屋に一体、なにが……? と行正は怪しんだ。
咲子は両の手に拳を作り、緊迫した表情で言う。
「一度買ったら、何度でもやってくるんです、その豆腐屋さん。
この時間にこの辺りを流しています」
「……買わないって言えばいいじゃないか」
なんてことをっ、という顔を二人がする。
「笑顔の素敵なおじいちゃんなんですっ」
とユキ子が言った。
「そうですっ。
ラッパを拭きながら、笑顔の素敵なおじいちゃんが、
『豆腐はいかがですか?』
って照れながら言うんですよっ。
買わないわけにはいかないじゃないですかっ」
そう咲子が熱く語る。
「だから、いらない日でもつい買ってしまうんですっ」
「それで、買わない日は、この時刻には外をうろつかないことにしてるんですよ~っ」
二人に畳みかけるように言われたそのとき、パーフーと豆腐屋さんのラッパの音がした。
逃げそびれたっ、という顔を二人がする。
莫迦なことを、買わなければいいんじゃないか。
揉めながら、門のところまで来てしまっていた行正たちの前で、自転車に乗った豆腐屋さんがとまる。
あたたかい夕焼けの光の中、しわしわの笑顔でおじいさんが照れたように笑った。
「あの、お豆腐、いかがですかいの?」
行正は言った。
「……五丁もらおうか」
ほらっ、という顔で、二人に見られる。
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