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あなたのことだけわかりません
我、宇宙ノ真髄ヲ見タリ!
しおりを挟むそれから少しして、文子の婚約披露パーティがあった。
義母、弥生子が選んだ服を着ていくと、弥生子がいて、
「あら、似合うじゃない」
と言い、早速周りに、娘夫婦を紹介しはじめた。
「まあ、三条さまのところの行正さんと。
さすがですわ、弥生子さま」
なにが何処にどうかかって、さすがなのだろうな……と思いながら、咲子は弥生子とその知人たちの話を聞く。
そのあと、そこを離れ、ウロウロしていると、若い男性の取り巻きやご婦人がたの取り巻きをたくさん引き連れた実母、美佳子がいた。
「あら、似合うじゃないの、それ」
と弥生子が選んだ服を見て言うが。
弥生子が選んだという事実を告げると、なにやらめんどくさいことになりそうだったので、咲子は、
「ありがとうございます」
とだけ言って、頭を下げた。
美佳子は、
「行正さん、咲子をお願いしますね。
ぼんやりした子だけど、いいところもあるのよ。
……何処かに」
と実母ならではの率直な意見――
いや、継母でも同じことを言うか……
を言い、行正としばらく歓談していた。
「あら、ルイス先生が……」
ふいに咲子の視界に、庭で物思いに耽っているようなルイスが入った。
今日は天気もいいので、大きな窓は開け放たれ、庭とひとつなぎのパーティ会場のようになっている。
「ルイス先生、なにやら浮かない顔ですね」
と咲子が言うと、行正は咲子の手を握り、
「では、失礼します」
と美佳子に頭を下げて行こうとする。
美佳子は笑い、
「……咲子をよろしくね」
と言って二人を見送った。
ルイスが見える場所から離れた咲子たちは、行正の従姉妹たちと出会った。
まだ幼い彼女らに咲子はずいぶんと懐かれた。
「行正のお嫁さん綺麗っ」
その子たちの母親が微笑んで言う。
「この子たち、行正さんとのお披露目パーティのときから、ずっと咲子さんに憧れてるの」
「そう、咲子さまのファンなの」
「ファンなの」
と子どもたちが口々に言った。
行正が横で、
「何故、俺は呼び捨てで、咲子は『さま』呼びなんだ……?」
と呟いている。
いやまあ、この子たち、行正さんの身内ですからね~と咲子が苦笑いしていると、その子たちの友だちやその姉たちまで寄ってきた。
姉たちは咲子たちより少し年下、くらいの感じだった。
「咲子さま、ほんとうに素敵ですわ」
「そうして、淡い色のドレスをお召しになっていると、まるで、西洋の妖精かなにかのよう。
さすが、行正さまと結婚されるほどの方ですわっ」
憧れに満ちた眼差しで、年下の少女たちから見られて、咲子は背中の辺りがむずがゆくなる。
側を通りかかった文子がいつもの静かな毒舌で、ボソリと、
「まあ、しゃべらなければ……」
と言ってくれて、かえってホッとした。
行正さんは……? と見ると、何故か少し満足げだった。
そのとき、少女たちが言い出した。
「ほんとおねえさまは妖精か、天使か。
きっと、この世のものではないのですわ」
箱入り娘で人の良い少女たちの妄想は、かなりの確率で暴走する。
少女たちの中で、咲子が神格化され。
咲子は、花の蜜を吸って、朝露で喉を潤している、という話になっていた。
咲子はそのときにはもう、彼女たちからは離れ、行正の知り合いの紳士と話していたのだが。
背後でとんでもないことになっている少女たちの夢物語は聞こえていた。
「咲子さまは、きっとお手洗いにも行かれないはずですわっ」
――なんだって!?
実は、さっきからずっと我慢していて、今、まさにお手洗いに行こうとしていた咲子は固まる。
浅野の屋敷のトイレは、西洋風のトイレで。
飾られた薔薇の香りに満ち溢れ。
手洗いの蛇口が金色だったり、女神の彫像が据え置かれていたりして、なかなか素敵なので、ちょっと行くのを楽しみにしていたのだが……。
というか、それ以前に、そろそろ我慢も限界なのだが。
少女たちはずっと自分を見ている。
彼女らの夢を壊していいものか……。
行正の側で、咲子は青ざめていてた。
そんな咲子を行正は黙って眺めている。
咲子はお手洗いのことを考えないようにしようとした。
すると、余計に頭に浮かんでくる。
気を散らそうとした。
段々心が宇宙の深淵に向かっていく。
この間、行正と見た星空が頭に浮かんだ。
結局、なにひとつ星座を答えられず、ルイスが自分のことをなんと言っていたかも教えてもらえなかったのだが――。
宇宙の真髄を見ようとした咲子は、そのうち、おのれは何者かとか考えはじめた。
我ハ 伊藤咲子ナリ。
あ、違った。
三条咲子ナリ。
……いや、それもまた、正確にはまだ違うけど。
我ハ サトリ ナリ。
我思ウ 故ニ 我アリ。
マタ楽シカラズヤ。
「なんかいろいろ混ざってるぞ……」
横で小さく行正が言った。
声に出てしまっていたらしい。
行正が、ふう、と溜息をつく。
「なんかいろいろ混ざった変な漢文みたいなの詠み上げはじめるくらいなら、さっさとお手洗いに行ってこい」
「な、何故、私がお手洗いに行きたいとわかったのですかっ?」
そう咲子が驚いて言ったとき、横を通ったさっきの姉たちのひとりが笑って言ってきた。
「あ、咲子さま、お手洗いですか?
私もちょうど行くところです。
ご一緒しましょう」
――っ!?
お手洗いに行く道中、咲子がお手洗いに行くのを我慢していた話をすると、彼女は軽やかに笑って言う。
「嫌ですわ、咲子さま。
咲子さまがお手洗いにお行きにならないのでは、というのは、物の例えですよ。
そのくらい、咲子さまが浮世離れしていてお美しいという話です」
二人で楽しく豪奢なお手洗いを堪能し、
「今度ご一緒にお茶でも」
と約束して別れた。
「お帰り。
これで心置きなく呑めるだろう」
と行正が葡萄酒のグラスを渡してくる。
そう。
さっきから、お手洗いを我慢していたので、あまり呑まないようにしていたのだ。
渋いが美味しいそれに口をつけながら、咲子は行正に感謝したあとで言う。
「……行正さんは、なにもかも私のこと、お見通しですなんですね」
「いや、お前がなに考えてるかなんて、誰にもわからないと思うぞ。
ときどき、とんでもないことやらかすからな」
でもまあ、日常のちょっとしたことならわかる、と言う。
咲子は、ふう、と溜息をついたあと、グラスを置いて行正を見上げた。
「行正さん」
「なんだ」
「実は、私……」
覚悟を決め、自分が人の心を読めること。
そして、行正に関しては、まったく読めていない気がしてきたことを告白しようとしたとき、咲子は庭で起こっている小さな騒ぎに気がついた。
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