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あまりさんののっぴきならない今後――
あまりさんののっぴきならない今後――
しおりを挟む今日のまかないは、干し肉とルッコラのサンドイッチ。
それにポタージュとコンソメの二種類のスープから好きな方を選べた。
「はあー。
美味しいです」
とあまりはスタッフルームでスープを飲んで、ほっと一息つく。
今日の昼休憩は沙耶と成田と同じ時間だった。
「久しぶりです、まかない。
海里さんの会社に行ってたときは、あんまり食べられなかったから」
と笑うと、
「もうそのまま、あっち就職しちゃうのかと思っちゃいましたよー」
と沙耶が言ってくる。
思い返せば、あっという間の二週間だったが、楽しかったな、と思う。
超個性的な人ばかりだったし……。
「あーあ、私も捕物参加したかったな」
と沙耶はあの事件のことを掘り返しては言うが、いやいやいや。
沙耶が居たら、何度も犯人をきょろきょろ覗きに行って、大変なことなっていたと思うのだが……。
あのあと、あの男が、
『明らかに刑事な男が客にも居た』
と言っていたらしい。
『マル暴から応援に来たような、何処の組の者かと思うような刑事が居た』
と。
マル暴、つまり、暴力団を扱う四課の刑事は、舐められないように、見た目、ほぼヤクザな人が多いようなのだが。
そこの刑事かと思ったという。
あとで聞いたら、寺坂のことだった。
……いや、外見はあれですが、やさしい人なんですよ、寺坂さん、と思う。
いや、四課の刑事もやさしいだろうが。
「ところで、あまりさん、結婚するんでしょ?
いつまで此処勤めるんですか?」
とズバッと問われ、
「えっ。
いや、結婚とか、まだ決めてないんだけどっ」
と言うと、
「ええっ?
しないんですかっ?
ご両親に犬塚さん会わせたんでしょ?」
と言ってくる。
そうなのだ。
挨拶したいという人が居る、と両親に言うと、いつもさっさと嫁に行け、と言っているくせに、父親は機嫌が悪かったのだが。
連れていって、海里が、
「犬塚海里です。
初めまして。
お嬢さんをください」
と言うと、
いや、ストレート過ぎるが。
もっと他に時候の挨拶とかないのか、と思っている横で父親が叫び出した。
「お前、なんで見合いを断ったーっ!」
ええ……。
今回ばかりは、ごもっともです、お父さん。
兄は兄で、
『俺がその男に会って、見極めてやる。
俺が戻るまで婚約すること、許さんぞ』
と今度はフランスに向かう船の中、言ってきた。
……いつ帰ってくるんだろうな。
その前に、そのままバカンスに行って帰ってくるなと上司に言われないのだろうかと思っていると、沙耶が言う。
「あーあ、あまりさんが居なくなると、くだらない話をする相手が居なくなって面白くないです」
いや……くだらなくない話もしてくれていいのよ、沙耶ちゃん、と思っていると、沙耶は、
「私は此処、辞めませんよー。
まかないは美味しいし、皆さん優しいし、成田さんも居ますしねー」
ねえ、成田さん、と言っている。
「成田さん、私の彼氏の次に格好いいですもん」
「えーと、沙耶ちゃんの彼氏って、この間来てた人だよね?」
ちょっとぼんやりして、ふっくらして、感じのいい……。
「はいっ。
清治さん、最高ですっ。
成田さん見たとき、あっ、地球上で、清治さんの次に格好いい人が居るって思いましたっ」
どうやら、沙耶と清治は家が近所で幼なじみらしいのだが。
「……恋は魔物ですね」
サンドイッチを手に、あまりが呟くと、
「どういう意味ですか、あまりさん……」
と言われた。
「もう~、付き合い始めの人は、自分の彼氏が一番格好いいと思ってるからっ」
と沙耶が言ってくる。
いや、それは、こっちのセリフですよ。
っていうか、海里さんは、いつ、誰が見ても格好いいですよーっ。
格好良すぎて、ドン引きするほどにっ。
いや、最初、ドン引きした写真は遥真だったのだが……。
海里は結局、遥真が自分の父親なのかは、
『訊けてない。
もう訊く気もない』
と言っていた。
『今となっては俺の妄想のような気もするし。
隔世遺伝とか、全然違うところの血が突然出てきたりとか、よくあるじゃないか』
いや、よくあるだろうか、と思ったのだが、
『もういいんだよ。
俺は俺で新しい家族を作るんだから』
過去はもういい、と海里は言った。
「ああそう。
私、特にやめるつもりないからね、沙耶ちゃん」
「ええーっ。
どっかの支社長夫人だったり、そのうち、社長夫人になったりするような人が一緒にバイトとか気を使うじゃないですかーっ」
とズバズバ言ってくる沙耶が本当に気を使ってくるとは到底思えないのだが……。
「さ、あまりさん。
休憩終わり。
さっさと片付けてくださいよ」
「……はーい」
沙耶に仕切られながら立ち上がるあまりを成田が笑って見ていた。
付き合い始めだから格好よく見える、か。
付き合い始めは可愛く見える、と同じですよね、とあまりは思っていた。
私もそろそろ可愛くなく見えてきましたか?
と海里の部屋のベッドの上で、くつろいで本を読んでいる海里を窺う。
……変わりましたね、海里さん。
前は、終わったあとも、いつまでも、ぎゅっと抱き締めてくれていたのに、最近は、余裕で本とか読んじゃってますよ、と恨みがましく見つめる。
やはり、もうすぐ捨てられるに違いありません、と海里が聞いていたら、
『また発想が飛んでるぞ』
とそっけなく言ってきそうなことを思う。
海里はこちらの視線に気づいたように、チラと見て、
「なんだ。
なにが不満げなんだ?
……お前も、たまには愛してるとか言ってみろ」
と要求してくる。
うーむ。
態度もデカくなって来ましたよ。
いや、それは前からか、と思いながら、
「無理です。
此処は日本で、私は日本人です」
と言って枕を抱きかかえ、あまりは丸くなる。
「そうか」
と言ったまま、海里はまた本に目を落とした。
海里さん、海里さん、相手にしてくださーいっ、と自分が言わなかったくせに、いじけて見上げていると、海里は、そっけない素振りはわざとだったのか、チラとこちらを見る。
「J’etais toute seduite a l'instant meme ou nos regards se sont croises.」
「……今、誰がしゃべった」
「私です」
と枕の陰からあまりは言った。
「すごいぞ、発音完璧じゃないか」
「毎晩、兄に電話で習ったんです。
まだフランスには着いてないそうなんですが」
本当にクビになるぞ、と思っているのだが、まあ、船の中でも現地と交渉はしたりして、仕事はしているようなのだが。
じゃあ、行かなくていいんじゃ……と思わなくもない。
「そうか。
訳してみろ」
と改めて言われ、赤くなる。
「に、日本語では無理です」
とあまりは布団に潜る。
他所の国の言葉だから、まだ記号的に言えなくもないのだ。
日本語では無理だ、と思うあまりの布団を相変わらず、情緒もなく引き剥がしながら、海里は言ってくる。
「目が合った瞬間に好きになったって、お前が最初に目が合ったの、遥真だからなっ」
「いやいや、写真とは目は合いませんよっ」
と布団を取り返そうとする。
「……どうでもいいが、俺が住んでたの、イギリスとアメリカだからな」
はっ、そうでした。
パトリックさんとのやり取りのインパクトが強くて、つい、フランス語を覚えようとしてしまいました、と思う。
「だが、確かにフランス語は、愛を囁くのにいい言葉だ。
Je t’aime pour toujours.」
「なんて言ったんですか?」
「お前、ほんとにあのワンフレーズを覚えただけなんだな……?」
呆れたように言う海里に、はい、と頷く。
ちなみに、どのセンテンスがどの意味なのかもわかっていない。
海里はあまりを膝に抱き上げ、言ってくる。
「一生お前を愛するよ。
……ずっと側に居る」
後ろから抱き締めてくる海里に、さっきは抱き締めてくれないとぐずっていたくせに動揺し、
「そっ、そんなに今の文章長くなかったですよねっ?」
と言うと、
「最後のはおまけだ」
と耳許で囁いてくる。
「楽しみだな、社員旅行。
行こうな、あの宿」
と海里は言う。
そうなのだ。
送別会と兼ねて、あまりも行かせてもらうことになった秘書室の旅行は、あのとき行った宿になったのだ。
素敵な宿だと秋月たちも浮かれている。
「そうだ、あのとき言ったろ」
と後ろから海里が言ってくる。
「お前に幸せなど訪れないよう願ってる」
振り向くと、海里は、もう一度、そのセリフを繰り返しながら、探るように指先をからめ、キスしてきた。
「お前に幸せなど訪れないよう祈ってる。
俺なしでは――」
少し離れた海里に、
「……呪いですね」
とあまりが笑うと、
「呪いだよ。
一生俺から離れられないように」
永遠に愛してる、と海里は言った。
「おお、そうだ。
パトリックがまた、あのエスペラント語のお嬢さんに会いたいと言ってたぞ」
ええー? とあまりが苦笑いすると、
「なにか言ってみろ、俺に。
お前の怪しいエスペラント語で」
と機嫌よく言ってくる。
えーと……。
「C^u mi rajtas prezenti min?」
(自己紹介してもよろしいですか?)
「……俺にか」
「Mi petas fakturon?」
(お勘定をお願いします)
「愛を囁けと言ってるんだ。
お前、ほんとに日常会話の定型文しか知らないな」
うっ、確かに……っ。
だが、あまりは少し考えたあとで、ちょっと赤くなり、子どもが抱っこ、というように海里に向かって手を広げ、言った。
「Bo……Bonan apetition!」
(めっ、召し上がれっ!)
海里は笑い、
「上出来だ」
と言って、強くあまりを抱き締めた――。
完
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johndoさん、
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いつもありがとうございますっm(_ _)m
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万千湖さんのおまけのあとにやりますね(⌒▽⌒)
Dankon pro la amuza rakonto.
Mi trovis c^ tiun romanon偶然.
Antau 55jaroj,mi lernis Esperanton.
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どうぞ、ご自愛されて、ご無理なさいませんように。
blua c^ieloさん、
もったいないお言葉ありがとうございますっm(_ _)m
子どもの頃、図書館の本でエスペラントという言語があるのを知って、いつか勉強したいなと思っていたんです。
でも、なかなか(^^;
今回、どうしても出したかったので、いろいろ調べて書いてみました。
合っているといいのですが。
ありがとうございます。
これからも頑張りますねm(_ _)m
はーっ…(ため息)
カワイイですかわいいです可愛いです!
もー、海里とあまりのやり取りに、ずーっとによによしっぱなしです(笑)
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(意味なく韻を踏んでみました)
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johndoさん、
ありがとうございますっ(⌒▽⌒)
どのお名前も可愛いですね~(*^^*)
そういえば、その後のお話あるんですよね(^^;
本編直後の話なんですけど。
今度更新しますね~(^^)/
ありがとうございましたっ。