50 / 89
お茶汲み秘書の話すのやめときたい秘密
人間は忘却する生き物です
しおりを挟む朝食は夕べの個室とは違い、大きなガラス張りの広い部屋で、眩しいような山の緑を眺めながら、みんなで食事するようだった。
手前の庭と借景になっている山がいい感じだなーとぼんやり見ていると、昨日、車で一緒になった老夫婦が、バイキング形式になっているパンやサラダを取りに行くのを見た。
立ち上がり、
「昨日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました」
と頭を下げる。
和やかに少し話していると、
「貴女たち、なんだか初々しいけど、新婚さん?」
とおばあさまの方が言ってこられ、海里が勝手に、
「はい」
と答えていた。
「まあー、そうなの。
いいわねえ。
私たちもそんな頃があったわよねえ」
と夫に微笑みかけ、少し無愛想にも見えたご主人が無言で頷く。
ちょっと照れておられるようだった。
非常に穏やかな時間が過ぎた。
失礼します、と頭を下げたあとで、笑顔のまま海里を振り向き、
「……なに平然と嘘ついてんですか」
と言うと、海里は、
「嘘じゃない。
いずれそうなる。
それに此処の宿帳でも、お前の名前は、犬塚あまりになっている」
とふわふわのオムレツを食べながら言ってきた。
うっ。
意外に語呂がいい。
『犬塚あまり』
「フロントで、全然違和感を抱かれなかったぞ。
明らかに夫婦じゃないだろって奴らがそう書くこともあるだろうにな」
なんか夫婦っぽい雰囲気が漂ってたんじゃないか? と言われ、
「……そんなもの漂わせた覚えはありません」
と呟く。
卵料理やデザート、それとスープ系のものはバイキングではなかったのだが。
選べる卵料理の中から、海里はオムレツ。
あまりは、とろとろスクランブルエッグを選んでいた。
「……欲しいのか」
あまりの目線を追って、海里が言ってくる。
あまりの目は、がっちり海里のオムレツをとらえていた。
「いや、めちゃくちゃ迷ったんですよーっ。
ふわふわオムレツか、とろとろスクランブルエッグかっ。
いつもは、こういうとき、オムレツなので、今日こそはスクランブルと思ったんですけどっ」
そうあまりが熱く語ると、
「まあ、今までと変えてみるのはいいことだ。
ひとつ大人になったことだしな」
と言われる。
……えーと。
爽やかな朝食の場がフリーズするようなことを言わないでください、と思っていると、海里が上目遣いにこちらを見て言ってきた。
「お前、すべてをなかったことにしようとしてるだろ」
いけませんか?
人間は忘却する生き物です。
都合の悪いことは忘れるから、人は生きていけるのです。
「……犬に噛まれたと思って諦めます」
と言って、そういえば、犬塚だしな。
うまいこと言うな、私……。
はは、と乾いた笑いを浮かべていると、海里が、
「本人を前にして言うなよ。
っていうか、傷つくし」
とオムレツの方を見ながら言ってきた。
うっ、とあまりは、つまる。
そういえば、そうですね。
あまり全否定しても。
でも、夕べあったことを事実として認めてしまうと、恥ずかしくて顔も上げていられないのですが。
「……パンッ、取ってきますっ!」
とさも重大事のように言って、あまりは立ち上がった。
ちょうど、
「焼きたてですー」
と声がして、パンが追加されているのを見たからだ。
行きかけて振り返る。
「パン、いりますか?
どんなのがいいですか?」
「お前がいいと思うのでいい。
二、三個持ってきてくれ」
イエッサー! という勢いで言い、あまりは居なくなった。
11
お気に入りに追加
170
あなたにおすすめの小説
OL 万千湖さんのささやかなる野望
菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。
ところが、見合い当日。
息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。
「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」
万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。
部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
ご先祖さまの証文のせいで、ホテル王と結婚させられ、ドバイに行きました
菱沼あゆ
恋愛
ご先祖さまの残した証文のせいで、ホテル王 有坂桔平(ありさか きっぺい)と戸籍上だけの婚姻関係を結んでいる花木真珠(はなき まじゅ)。
一度だけ結婚式で会った桔平に、
「これもなにかの縁でしょう。
なにか困ったことがあったら言ってください」
と言ったのだが。
ついにそのときが来たようだった。
「妻が必要になった。
月末までにドバイに来てくれ」
そう言われ、迎えに来てくれた桔平と空港で待ち合わせた真珠だったが。
……私の夫はどの人ですかっ。
コンタクト忘れていった結婚式の日に、一度しか会っていないのでわかりません~っ。
よく知らない夫と結婚以来、初めての再会でいきなり旅に出ることになった真珠のドバイ旅行記。
ちょっぴりモルディブです。
ケダモノ、148円ナリ
菱沼あゆ
恋愛
ケダモノを148円で買いました――。
「結婚するんだ」
大好きな従兄の顕人の結婚に衝撃を受けた明日実は、たまたま、そこに居たイケメンを捕まえ、
「私っ、この方と結婚するんですっ!」
と言ってしまう。
ところが、そのイケメン、貴継は、かつて道で出会ったケダモノだった。
貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる