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第五章 再会編

黒い感情

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リスティーナが生まれる前からシャノンは母と交流していて、仲良くしていた。
シャノンは母に初めて会った時から、友好的だったらしい。
同じ平民出身ということで親近感を抱いたのかもしれない。
学問と教養が深く、特に音楽の才能に恵まれていたシャノンは自分が持っていた知識をリスティーナに教えてくれた。

リスティーナは幼少の頃から、王妃の嫌がらせで淑女教育も王族教育も一切、受けることができないように根回しされていた。
そんなリスティーナにシャノンが淑女教育を教えてくれたのだ。
知識やマナーは自分を守る武器になるし、この先必ず役に立つから、と言って。

リスティーナはローゼンハイムに嫁ぐ前、さすがに教養も何もない王女を嫁がせる訳にはいかないからと教師がつけられたが、シャノンから受けた教育のお蔭か特に何の問題もなく、教師からの課題をこなすことができた。
何故か、教師には驚愕の眼差しで見つめられたが…。

シャノンについて話していると、リスティーナは段々と心の内に秘めていた感情が溢れだしてきた。

「私…、悔しいです…!あの時、私は何も出来なくて…!シャノン様は不義を犯すような人じゃないのに…!」

シャノンと交流していたリスティーナは彼女の性格をよく知っている。
シャノン様は不義をするような人じゃない。そう断言できる。

「シャノン様は無実です…。だって、おかしいんです。確かに証拠はあったけど、あれだけ完璧に証拠が残っているなんて…、」

シャノンが処刑されることになったのは、証拠があったからだ。
シャノンの部屋から、不義の証拠品である手紙が押収され、相手の男からの証言もあった。
シャノンは必死に否定し、身の潔白を主張していた。
相手の男も知らないし、手紙だって身に覚えがないと‥。
あの時のシャノン様は嘘をついていなかった。
けれど、手紙の筆跡がシャノンの字にそっくりであることから、それが動かぬ証拠となり、シャノンは不義密通を犯した罪で死刑となった。

「きっと、シャノン様は誰かに陥れられたんです。でも…、お父様は…、」

リスティーナは必死に父に訴えた。
シャノン様は冤罪だ。もっと、しっかりと調べて欲しい。
シャノン様を処刑しないで欲しいと…。
だけど…、父はリスティーナの訴えを聞き入れてはくれなかった。

あの時にリスティーナは父に心底、失望した。
それまでは、父への愛を求めていたこともあった。
だけど…、シャノン様が処刑されてから、リスティーナは父にはもう何も求めないと思った。
あの時から、リスティーナは…、ずっと父を嫌悪して、憎んでいた。

「本当はずっと…、私は父を嫌って、憎んでたんです…。でも、お母様が…、人を憎んでは駄目だと…。
憎しみの心を他人に曝け出してはいけないと言ってたから…。だから…、」

『ティナ…!落ち着いて…。憎しみに囚われないで…。
私はティナの笑った顔が大好きよ。憎しみに染まってしまったら、あなたの笑顔は失われてしまう。お願い。ティナ。どうか…、他人を憎んだりしないで。』

お父様を許せない。私はあの人をもう父だなんて思わない。
お父様なんて…!と言いかけたリスティーナの口を母は手で塞ぎ、リスティーナに諭した。
そして、母は悪い感情を沈めるおまじないをかけてくれた。
あの言葉があったから…、私は憎しみの感情に取り込まれずにすんだ。

今、思えば、あれは私を守る為だった。
もし、あの国で憎悪を抱いたまま父に接してしまえば、きっと、私は父を憎しみの眼差しで見つめていただろう。
そして、それが父に見られてしまえば、ひどい折檻を受けていたかもしれない。
だから、母は…、私に人を憎むなと言ったのだろう。
母のお蔭で私は自分の身を守ることができた。でも…、同時に母の言葉は私の心を縛った。

リスティーナは決して、綺麗な心を持った人間でもないし、聖人君子でもない。
誰かに対して、強い怒りを抱くこともあるし、許せないことだってある。
誰でも平等に接している訳でもない。
他人を嫌ったり、関わりたくないと思う程の生理的嫌悪や苦手意識を抱いたりだってする。
だけど…、そんな醜い感情を出したら、お母様が悲しむから…。だから、必死に隠してきた。
母が望む娘像をリスティーナは必死に演じてきた。

だけど、本当はずっと自分の中に黒い感情がドロドロに渦巻いていた。
その度に必死に自分を抑えてきた。
こんな気持ち、エルザ達にですら話したことはない。
話せるわけがない。私を慕ってくれるエルザ達にこんな醜い姿は見せられない。
エルザ達に嫌われたり、失望されるのが怖かった。

なのに…、どうしてだろう。誰にも話せずにいたこの悩みを…、リスティーナは気付けばルーファスに吐き出していた。
こんな事、ルーファス様に話せない。
そう思ってたのに…、止まらなかった。
今まで我慢してきたものが一気にこみ上げてきてしまったような…。
自分でも感情が抑えられなかった。
気付けば、リスティーナは全てを打ち明けてしまっていた。

リスティーナの話を聞き終えたルーファスは無言だった。
リスティーナはさああ、と顔色を悪くした。
わ、私…!な、何て事を…!何でこんな事を話してしまったんだろう。
こんな、醜い感情を抱いているだなんて、ルーファス様に知られたくなかったのに…!

「あ…、違っ…!い、今のは…、その…、」

必死に弁解しようとしたが、どう言い訳をしたらいいか分からなかった。

「ち、違うんです…!さっきのは私の…、本心じゃなくて…!わ、私…、何でこんな事言ってしまったのか自分でも分からなくて…、」

リスティーナはポロッと涙が零れた。
嫌われた…。今ので絶対に嫌われてしまった。何て醜い女だろうと軽蔑したかもしれない。
リスティーナはそれが恐ろしくて、堪らない。

「リスティーナ。ごめん。」

不意にルーファスがリスティーナの後頭部に手を回して、抱き寄せた。

「俺はいつも君を泣かせてばかりだ…。君がこんなにも苦しい気持ちを抱えていることを知らずに俺は…、」

「な…、ど、どうして、ルーファス様が謝るんですか?ルーファス様は何も悪くないのに…。」

「君が感情的になってしまったのは、俺のせいなんだ。」

ルーファス様のせい?どういう意味だろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。ルーファスはリスティーナに視線を合わせて説明してくれた。

「さっき、俺は君に魔法をかけたんだ。簡単に言えば、心の奥底に眠る感情を引き出す魔法だ。その魔法なら、君の本心を聞けると思って…。」

そういえば、さっき、ルーファス様が私の視界を覆った時、身体に何か電流のようなものが流れたような感覚がしたけど…、あれがその魔法だったの?
そういえば、小さい声でルーファス様が何か言っていた気がする。
まさか、あれは詠唱?全然気付かなかった。

「君の本心が知りたかった。だけど、俺は君の気持ちも考えずに自分の欲望を押し付けてしまった。…すまない。」

「い、いえ。その…、少しびっくりしましたけど…、そもそも、私が誤解を与えるような事を言ってしまったのが原因ですし…、」

きっと、ルーファス様は私が他の男の人の名前を口にしたから、不安に駆られたのだろう。
同じことをされたら、私だって不安になるし、気になる。本当のことを知りたいと思うのは当然だ。
あれ?でも、確かこういう感情や精神系の魔法って、闇魔法の一種だったような…。
リスティーナは頭の隅で引っかかる何かを感じながらも、それよりも気になる事があった。

「でも、あの…、正直言って、ガッカリしたでしょう?私…、ルーファス様が思っている程、優しくもないし、綺麗でもないし、純粋でもないんです。」

ルーファスはよくリスティーナの事を優しくて、心が綺麗だと褒めてくれるが実際の私はそんなんじゃない。負の感情を心の内に隠して、取り繕っているだけ。
きっと、ルーファス様はこんな私を知って、失望したことだろう。
リスティーナはそれが怖くて、ルーファスの顔を見ることができなかった。

「まさか。俺が君に対して、失望なんてする筈ないだろう。むしろ…、君の本音が知れて、俺は嬉しい。」

思いがけない言葉にリスティーナは顔を上げた。
そこには、優しい目でリスティーナを見つめるルーファスがいた。

「さっき、君は自分を優しくもないし、綺麗でもないと言っていたが…、そんな事はない。
君が父親を憎むのも、許せないと思う気持ちも自然な感情だ。それだけ、リスティーナにとって、シャノンとシオンは大切な存在だったということだろう?大切な人間を殺されて、何とも思わない人間なんていない。君の怒りも憎しみも全ては他人を思えばこその感情だ。何も恥じる事はない。」

「こんな私を…、軽蔑しないんですか?」

「する訳ないだろう。俺は他人の為にそこまで怒れる優しさと苛烈な一面を持った君も好ましいと思う。
だから…、リスティーナ。俺にもっと聞かせてくれ。君が一体、今までどれだけのものを耐えてきたのか…。俺は君の本心が知りたい。」

「ルーファス、様…。」

リスティーナはじわり、と涙が溢れた。
そんな風に言って貰えるなんて…、思ってもいなかった。
優しいのはルーファス様だ。こんなにも包み込むような優しさを持った人を私は知らない。

リスティーナは心が軽くなった気がした。
ずっと心の奥底に眠っていた黒い感情…。
こんな気持ちは抱いてはいけない。そんな風に思っていた。
でも…、ルーファス様はこんな汚い感情を持った私を受け止めてくれた。
怒りも憎しみも抱いていいのだと…。そう許された気がした。
自分の心の内を明かすのはとても怖かったけど、話して良かった。リスティーナは心からそう思った。
不思議だ…。ルーファス様に話したら、スッと心が軽くなった気がする。

「ありがとうございます。ルーファス様。私…、ルーファス様に話して良かったです。その、安心しました。私…、ルーファス様に嫌われたらどうしようかと…、」

「嫌う訳ないだろう。例え、世界中の人間が君の敵になったとしても、俺だけは君の味方でいる。それだけは…、忘れないでくれ。」

そう言って、ルーファスはチュッとリスティーナの指先に唇を落とした。
その妖艶な仕草にリスティーナはドキリとした。
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