上 下
181 / 222
第四章 覚醒編

ロジャーの昔話

しおりを挟む
「リスティーナ様。少しだけでも食べて下さい。」

床に座り込んだまま動かないリスティーナの前に食事を載せたお盆が置かれた。
スープとサラダ、パン、果物といった簡素な食事だ。
リスティーナが食べやすいようにという配慮で作ったものだ。
のろのろと顔を上げればそこにはロジャーがリスティーナの視線に合わせるように床に膝をついて屈んでいた。

「リスティーナ様の好きなオレンジもありますよ。」

「……食欲がないの…。」

食事を促すロジャーにリスティーナはフルフルと首を横に振った。

「そうですか…。」

しばらく、無言の時間が続いた。
やがて、ロジャーがリスティーナに話しかけてきた。

「リスティーナ様…。少しだけ…、このおいぼれのつまらない昔話に付き合っていただけませんか?勿論、ただ聞いてくれるだけでいいのです。」

「……。」

無言のまま微動だにしないリスティーナにロジャーはポツリ、ポツリと話し始めた。

「わたしは先代皇帝の頃から、王宮で執事としてお仕えしておりましてな…。殿下が生まれた時からわたしは殿下専属の執事としてお仕えするようになりました。それから、ずっと…、殿下を見守ってきました。」

ロジャーは先代皇帝の信頼も厚い忠実な執事だった。
そのため、ルーファスの執事として任命されたのも自然な流れだった。

容姿端麗、頭脳明晰、魔法と武芸にも秀でた完璧な王子。
幼い頃からケルヴィン皇帝の再来だと言われ、神童と謳われていたルーファス。
特に先代皇帝に仕えていた大臣達や貴族達はルーファスを神のように崇拝していた。
かくいうロジャーも先代皇帝に仕えていた身。先代皇帝の面影を濃く残すルーファスにかつての主人を重ねていた。

けれど…、いつからかそんな自分が間違っていたのだと気づいた。
ルーファスはルーファス。ケルヴィン皇帝はケルヴィン皇帝なのだ。
そんな簡単な事にも気付けず、愚かにも自分はルーファスをケルヴィン皇帝と重ねて見ていた。
ロジャーはそんな自分を心底、恥ずかしいと思った。
そして、愚かなのは自分だけではなかったのだと知った。

ルーファスを天才だと、神童だと持て囃す者、ルーファスを崇拝する者、ルーファスこそ次期皇帝にふさわしいと言う者…。
彼らは皆、ルーファスを見ているようで見ていない。
ルーファスを通して、先代皇帝を見ているだけだった。
ルーファスが何か成果を残せば、さすがはケルヴィン皇帝の孫だと賛辞する。
しかし、それは裏を返せばケルヴィン皇帝の孫ならばこれくらいはできて当然という意味合いが込められている。

ルーファスは確かに天才だった。
一を聞けば百を理解するような子だった。
それだけでも十分にすごいことなのに彼らはそれだけでは満足しなかった。もっと上を目指せと圧をかけてくる。
少しでも失敗をすればあからさまに落胆し、ケルヴィン皇帝はこんな失敗はしなかったと言った。
ケルヴィン皇帝なら‥、ケルヴィン皇帝はあなたと同じ歳の頃は既にこれができていた、あれができていた。
だから、ケルヴィン皇帝の孫である殿下にもできる筈だと言い出す始末。

愚かなのは彼らだけではなかった。
皇帝と王妃にもロジャーは怒りを抱いた。
優秀な息子を認められない器の小さい父親。
少し他人と見た目が違うだけで実の子供を疎む母親。
傍で仕えているとよく分かる。
ルーファスはとても孤独な子だった。誰も自分を見てくれない。誰もルーファス自身を見ようとしない。
両親はルーファスを疎んじて、周りの人間は先代皇帝によく似たルーファスしか見てくれない。
そんなルーファスを見て、ロジャーは最初は同情した。
そう。最初はただの同情からだった。
それがいつからかルーファスを自分の子供のように思える程の感情を抱くようになった。

爺、と呼ばれるたびに愛しいと思う感情が沸き上がった。
両親に認められようと努力するルーファスを見て、なんと健気な子だろうと思った。
執事という立場上、何もできない自分が悔しくて仕方がなかった。
こんな状況であっても、卑屈になることなく、前向きに努力し続けるルーファスの姿に心打たれた。
この孤独で心優しい少年が幸せになれるようにずっと傍で見守ろうと固く心に誓った。

「子供の頃の殿下は…、無邪気に笑う子でした。ですが…、成長するごとに殿下は笑わなくなり、ローザ様に婚約破棄されてからはまるで感情を失った人形のようになってしまって…。他人を拒絶する殿下を見る度に…、苦しかった…。」

ロジャーは声を震わせて、そのまま顔を隠すようにうつむいた。
ロジャーの眦はうっすらと涙の膜が張っていた。

「ですが…、リスティーナ様と出会ってから坊ちゃ…、殿下は変わられました。あんな風に笑う殿下は本当に子供の頃の時以来で…。殿下はこんな表情ができるのだと…、あんなに優しい目をすることができるのだと…、」

「……。」

「とても…、とても嬉しかったんです…。殿下が変わったのはリスティーナ様のお蔭です。殿下の冷たい心を溶かしてくださり、ありがとうございます…。リスティーナ様…。殿下は…、最後は幸せだったと思います…。あなたのような方に看取られたのですから…。」

「ロジャー様…。」

ロジャーは頭を下げて、リスティーナに感謝の意を示した。
そんなロジャーをリスティーナはぼんやりとした目で見つめた。

「それだけが言いたかったのです。…リスティーナ様。葬儀は四日後に執り行う予定です。準備はわたしどものほうで行いますのでリスティーナ様はゆっくりお過ごしください。」

そう言って、ロジャーはリスティーナに一礼して、部屋から退出した。
四日後…。ルーファス様の…。
リスティーナは体が動かなかった。
ルーファス様の傍にいたいのにできない。冷たい躯となったルーファス様の傍にいれば、彼の死を嫌でも思い知ってしまうから…。
ロジャー様もルカもロイドもリリアナも…。皆、悲しい中にいるのに私を励まそうとしてくれている。
私も…、葬儀の準備を手伝わないと…。
でも…、できない。
リスティーナは膝を抱えると、そのまま蹲った。
立ち上がれない…。
ザアア、と外からは雨音が聞こえた。

「リスティーナ様。あの…、ホットレモネードを淹れてみたのです。リスティーナ様、お好きですよね?良かったら…、」

スザンヌはそう言って、リスティーナの好きなレモネードを差し出した。
が、スザンヌが話しかけてもリスティーナは窓の外を眺めたままだ。
生気のない目をしたリスティーナの表情にスザンヌは表情を強張らせた。
今のリスティーナはヘレネ様が亡くなった時と同じ顔をしている。
あの時もまるで生気のない人形のような表情を浮かべていた。
ほとんど食べず、大好きなオレンジやレモンパイにも無反応で夜も眠ることがなく、一日中窓の外を眺めていた。どんどん痩せていくリスティーナの姿は見ていて、痛ましかった。
でも、今のリスティーナ様は…、あの時以上に憔悴している。
スザンヌはこのままリスティーナが儚くなってしまうのではないかと不安になった。
すぐにエルザに報告しないと…!スザンヌは急いでエルザと魔法鏡で連絡を取った。
その間にリスティーナが外に出て行ったことに気付かないまま…。




リスティーナはぼんやりと窓の外を眺めていた。
外は雨が降っていた。

「雨…。」

あそこに行けば、私の悲しみも苦しみも…、全部洗い流されるのかな。
ルーファス様を失ってしまったこの喪失感も…、消えてなくなるのかな。

リスティーナは立ち上がり、フラフラとおぼつかない足取りで屋敷から出て行く。
傘も差さずにザアア、と雨に打たれながら、リスティーナは目的地もなく、歩いた。
その時、石に躓き、転んでしまう。
転んだはずみで膝から血がでるが、リスティーナは座り込んだまま微動だにしない。

リスティーナは空を見上げる。
このまま…、雨と一緒に私も溶けてしまえばいいのに…。
リスティーナはしばらく、そのままそこから動くことなく、空を見上げ続けた。
雨が段々と強くなり、リスティーナの髪や身体は全身がびしょ濡れになった。
視界の端にペンダントが目に映った。

お母様…。ルーファス様…。
リスティーナはまたしても目から涙が滲んだ。
お母様もルーファス様も…。死んでしまった。
お母様も最後はルーファス様のように痩せ衰えていた。
どうして…。お母様もルーファス様もあんなに苦しんで死ななければならなかったのだろう。
どうして…、女神様は二人を助けてくれなかったんだろう。
大切な人はいつも奪われる。何でいつも…、神様は私から大切なものを奪っていくのだろう。

『このペンダントは願いを叶える魔法のペンダントなのよ。』

リスティーナは母の言葉を思い出し、胸元に下げていた太陽のペンダントを鎖ごと引きちぎった。
ペンダントを見つめ、それをグッと握りしめる。唇を噛み、

「嘘つき…!」

そう言って、リスティーナはペンダントを投げ捨てた。
ペンダントは固い音を立てて、地面に転がっていく。リスティーナはその場で蹲り、泣き崩れた。
雨音のせいでリスティーナの泣き声は掻き消された。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ

中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。 ※ 作品 「男装バレてイケメンに~」 「灼熱の砂丘」 「イケメンはずんどうぽっちゃり…」 こちらの作品を先にお読みください。 各、作品のファン様へ。 こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。 故に、本作品のイメージが崩れた!とか。 あのキャラにこんなことさせないで!とか。 その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

異世界立志伝

小狐丸
ファンタジー
 ごく普通の独身アラフォーサラリーマンが、目覚めると知らない場所へ来ていた。しかも身体が縮んで子供に戻っている。  さらにその場は、陸の孤島。そこで出逢った親切なアンデッドに鍛えられ、人の居る場所への脱出を目指す。

姉の結婚式に姉が来ません。どうやら私を身代わりにする方向で話はまとまったみたいです。式の後はどうするんですか?親族の皆様・・・!?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
家の借金を返済する為に、姉が結婚する事になった。その双子の姉が、結婚式当日消えた。私の親族はとりあえず顔が同じ双子の妹である私に結婚式を行う様に言って来た。断る事が出来ずに、とりあえず式だけという事で式をしたのだが? あの、式の後はどうしたら良いのでしょうか?私、ソフィア・グレイスはウェディングドレスで立ちつくす。 親戚の皆様、帰る前に何か言って下さい。 愛の無い結婚から、溺愛されるお話しです。

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

ポンコツ女子は異世界で甘やかされる(R18ルート)

三ツ矢美咲
ファンタジー
投稿済み同タイトル小説の、ifルート・アナザーエンド・R18エピソード集。 各話タイトルの章を本編で読むと、より楽しめるかも。 第?章は前知識不要。 基本的にエロエロ。 本編がちょいちょい小難しい分、こっちはアホな話も書く予定。 一旦中断!詳細は近況を!

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

処理中です...