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第三章 立志編

懇願

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「!これ…。」

リスティーナは震える手で肩掛けに触れる。

「それ、あんたの物だろう?あの時、落としていったから、俺が拾ったんだ。」

「ラシード殿下…。ありがとうございます!」

リスティーナは肩掛けを手に取り、ギュッと抱き締めるように握りしめた。
良かった…!

「お母様…!」

「それ、よっぽど大事な物だったんだな。母親の形見なのか?」

「あ…、はい。そうなんです。これは亡くなった母が刺繍したもので…。私の宝物なんです。」

「へえ。」

「綺麗な刺繍ね。そういえば、噂で聞いたことがあるけど、リスティーナのお母様って、流浪の踊り子なんですって?」

「は、はい。」

アーリヤの質問にリスティーナは否定することなく頷いた。リスティーナの出自は隠している事でもないし、王族の間では割とよく知られている。

「へえ。流浪の踊り子か。もしかして、占いやまじないにも詳しかったのか?」

「あ、はい。よくご存じですね。母の本業は踊り子でしたけど、占いでも生計を立てていたそうなんです。」

「放浪民族は踊りや占いに詳しいと聞いたことがあったからな。その刺繍も見事な物だな。あんたの母親は刺繍も得意だったんだな。」

ラシードの言葉にリスティーナは嬉しそうに頬を緩めた。大好きな母を褒めてくれたのが嬉しかったからだ。
ラシード殿下って…、何だか怖そうな人に見えたけど、意外と親切でいい人なのかもしれない。
そんなに警戒することはなかったのかも。リスティーナはそう思うようになった。

「ねえ、リスティーナのお母様って、どこの出身の方なの?」

「あ…、それが、私も知らないんです。母はあまり昔の事を話してくれなかったので…。」

「そういえば、その肩掛け母親の形見だって言ってたけど、形見といったら、ペンダントとか指輪とかが王道じゃないのか?そういうのは形見として貰ってないのか?」

「あ、それは…、」

アーリヤとラシードの質問にリスティーナは答えていく。
こんな風に母親について好意的に話してくれるのはルーファス以外では初めてだったのでリスティーナはつい、口が軽くなってしまった。思わず質問に答えるがままにペンダントならありますと言いかけたが、不意にハッと口を噤んだ。母が亡くなった後、ニーナの忠告を思い出したからだ。

『いいですか?姫様。もし、今後、ヘレネ様について詳しく話を聞いてくる輩がいたら、決して言われるがままに答えてはいけませんよ。必要以上にヘレネ様のことについて話さないようにご注意下さい。』

そういえば、ルーファス様も…。あまり人前でペンダントは見せようにと言っていた。
私ったら、ニーナとルーファス様との約束を破るところだった。正直にペンダントがあると言えば、それを見せなきゃいけなくなる。リスティーナは咄嗟に否定した。

「母の形見は…、それだけなんです。他は全部…、その…、なくなってしまったので…。」

母の持ち物は王妃やレノア王女に取り上げられてしまった。そもそも、母の所持品もそこまでなかったが…。
ペンダントと肩掛けと古びた本はずっと隠して保管していたので取り上げられることはなかった。
でも、それ以外の物は全部燃やされてしまった。
まさか、本当の事を言えるはずもなく、リスティーナはそう言って誤魔化した。

「…そうか。」

ラシードはそう言って、グラスを傾け、酒を飲み干した。そして、グラスを置いて、頬杖をつくと、リスティーナをジッと見つめた。

「…?ラシード殿下?どうなさいましたか?」

「いや?こうしてみると、あんたとレノア王女は全然似てないなと思っただけだ。」

「…よく言われます。レノア様は…、お姉様は私と違って正統な血を引いた王女ですから。」

日陰王女とメイネシアの赤薔薇。社交界ではリスティーナとレノアを指す言葉だ。
美しく、華やかな王女レノアと平民の血を引いている半王女のリスティーナ。
今まで出会った王族や貴族に嫌と言う程、言われてきた。レノア王女とリスティーナを比べて、あからさまに見下されたことも数えきれないほどある。今更…、そんな事を言われても傷つかない。

「ハッ…、成程な。」

ラシードが何か納得したようにそう呟いた。…?どうしたのだろう?

「リスティーナ、と呼んでも?」

「え…?あ…、はい。」

リスティーナは戸惑いつつも、頷いた。パレフィエ国の王太子であり、炎の勇者でもあるラシード殿下から言われたのだ。断ることはできない。
でも、何で急に呼び捨て?
ううん。今はそんな事どうでもいい。リスティーナは内心、頭を振って思考を切り替えた。

ラシード殿下…。リスティーナはチラッとラシードを見つめた。
ルーファス様の婚約者を奪ったというからあんまり性格はよくないのかもしれないと思っていたけど…。
私が北の森に行った事を黙っていてくれると約束してくれたし、私が落とした肩掛けをわざわざ返してくれた。そんなに悪い人ではないのかもしれない。

この方なら…、ローザ様の件をお願いしても大丈夫かもしれない。リスティーナは僅かな希望を抱いた。ギュッと手を握りしめ、覚悟を決める。…大丈夫。心の中で深呼吸をし、リスティーナは勇気を振り絞って声を上げた。

「あ、あの…、ラシード殿下!少しだけ…、お時間よろしいでしょうか?」

「何だ?」

ラシードはリスティーナに視線を向ける。

「どうしても、殿下にお願いがあるのです。どうか、話だけでも聞いて下さらないでしょうか?お願いします!」

頭を下げて、ラシードに懇願するリスティーナ。ラシードは無言のままだ。
リスティーナは頭を下げたまま、緊張と不安で心臓がドキドキした。グラスに酒を注ぐ音が響く。
その直後、ラシードが口を開いた。

「ああ。いいぞ。話を聞く位なら別に構わないさ。まあ、聞けるかどうかは分からないが…、それは話の内容次第だ。」

「ッ…!ありがとうございます!」

リスティーナはぱあ、と顔を輝かせた。

「で?お願いとは何だ?」

「はい。あの、実は…、」

リスティーナは膝の上に乗せた手を握りしめ、話した。

「ルーファス殿下が呪いに侵されていることはご存知ですよね?」

「ああ。知ってる。というか、知らない奴はいないんじゃないか?あいつが呪われた王子ってのは有名な話だからな。」

「では…、ルーファス殿下が余命僅かという事も…?」

「ああ。もう後、一年もないらしいな。それがどうかしたのか?」

ラシードはルーファスの余命を聞いても顔色一つ変えない。彼にとって、ルーファス様は他人事でしかないのだろう。…分かっているけど、なんだかそれがとても悲しい。リスティーナはもどかしさを堪えるようにグッと唇を引き結んだ。

「ルーファス殿下にはもうあまり時間がないんです!こうしている間にも、呪いが殿下の身体を蝕んでいってるのです。私は、殿下を助けたいんです!その為には…、巫女様のお力が必要なのです!」

そう言って、リスティーナは立ち上がって、床に膝をつき、額を擦りつけるようにして、頭を下げて懇願した。

「お願いします…!ラシード殿下!どうか、巫女様を…、ローザ様を説得するのに力を貸して下さい!」

「ローザを?」

「殿下を助けることができるのはもうローザ様しかいないんです!ローザ様は巫女の末裔だとお聞きしました。巫女様の力には呪いを解く力があるとも。ですから…、巫女の血を引くローザ様なら、きっと…!」

「成程…。ローザが巫女の末裔なのは有名な話だからな。しかも、あいつは巫女に選ばれた女だ。確かにローザならルーファスの呪いを解くことができるかもな。」

「!」

やっぱり、そうなんだ!リスティーナは期待と希望を抱いた。
しかし、ラシードは空になったグラスをクルクルと器用に回しながら、無情にもこう言った。

「だが、今のローザはパレフィエ国の人間だ。そう簡単に国外に出す訳にはいかないんだ。
それに、巫女は世界でたった一人しか存在しない。その世代でたった一人しか選ばれないからな。
巫女が死んだら、次の継承者が選ばれる。けど、巫女が死んだからすぐに次の新しい巫女が現れるとも限らない。つまりだ…、巫女が死んだりしたら、次の巫女が誕生するまでひたすら待ち続かないといけなくなる。巫女を失ったらパレフィエ国は大きな損失になる。…分かるか?ルーファス一人の為にそんなリスクは犯せないって言ってるんだ。何せ、ローザは各国の王族や貴族、重鎮達から狙われている。どの国も隙あらばローザを手に入れようと考えているんだ。お前は巫女の身の安全を保証できるっていうのか?ローザに何かあった時、責任は取れるのか?」

「そ、それは…、」

リスティーナは言葉に詰まった。ルーファス様の呪いを解くことに必死でそんな事まで考えていなかった。
ローザ様は巫女に選ばれた特別な女性。そんな方を各国の王族達が欲しがるのは当然の事。パレフィエ国にいる間は手が出せないが、国外を出てしまえばそれは彼らにとって絶好の機会だ。ローゼンハイムに行く道中で巫女に接触できる機会があるということなのだから。そんな事にリスティーナは気づきもしなかった。ローザ様に何かあった時、リスティーナが責任を取れるわけがない。どうしよう…!

「それに、ローザはもうルーファスと関わりたくないって言ってるんだよなあ。ローゼンハイムからの手紙にも巫女の協力を要請する手紙も届いてはいるが、あいつは行きたくないの一点張りでな。ああ見えて、ローザは強情なんだ。悪いが、俺には説得は無理だ。」

「そ、そんな…!」

ラシードの素っ気ない返答にリスティーナは愕然とする。
ルーファス様…!リスティーナの脳裏には苦しそうに咳き込むルーファスの姿が思い浮かんだ。嫌…!私はもう失いたくない!

「ラシード殿下!お願いします!このままではルーファス様が…、あの方が死んでしまうかもしれないんです!光の聖女様にお頼みしても、聖女様の力では呪いを解くことはできないのだと言われました。ですから、もうローザ様に頼るしか他に手がないのです!…お願い、します…!」

「……。」

リスティーナは堪えきれずに俯いた。じわっと涙で視界が滲んだ。駄目…!ここで泣いては駄目!堪えないと…!今はラシード殿下を説得しないといけないのに…!ラシードは黙ったまま言葉を発しない。その沈黙がとても長い時間に感じた。やがて、ラシードがようやく口を開いた。

「話は分かった。つまり、正攻法じゃローザの協力を得られないから夫である俺から話を通してくれ、そういうことか?」

「このようなことをお願いするのは図々しい事は分かっております。でも…、ローザ様を説得できるのは殿下しかいません。」

「へえ?随分と俺を買ってくれるじゃないか。そう思ったのは何か理由があるのか?」

「その…、ローザ様はルーファス殿下との婚約を破棄してまでもラシード殿下を選ばれました。それは、きっと…、それだけラシード殿下を愛していたからだと思うのです。」

ルーファス様との婚約を破棄したことに関しては思うところはある。ローザ様がルーファス様にしたことは今でも納得できない。でも…、ローザ様はやり方は間違えたけど、ラシード殿下の気持ちは本物だ。そうでないと、王命で決められた婚約を破棄するなんてことはできない。きっと、それだけ強い覚悟と決意があったのだろう。それだけの思いをしてまでラシード殿下と結ばれたのだ。そのラシード殿下から頼まれればローザ様も受けてくれるかもしれない。誰だって、好きな人に頼まれたら断れないだろう。リスティーナはラシード殿下に賭けていた。きっと、彼ならばローザ様を説得できる筈…!
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