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第二章 相思相愛編

スザンヌの失敗

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「どうした?」

ルーファスはリスティーナを気遣うように声を掛けた。

「…母の事を思い出して…、」

「確か君の母は病気で亡くなったといっていたな。」

「はい。もう五年も前のことなのですが…、」

記憶の中の母は儚げで美しい女性だったが、年々、窶れていっていた。
王妃や側室達の虐めにより、身も心も衰弱してしまったのだ。
病に罹った途端、目に見えて母の病状は悪化し、そのままあっけなく亡くなってしまった。
もう五年も経つのに…、私は未だに母の死を忘れることができない。

「もう五年も経つのに…、まだ私は母の死を忘れることができないんです。まるで五年前のまま時間が止まったままのように感じてしまう時もあって…、」

情けない。リスティーナはこんな弱い自分が嫌になる。
じわ、と涙が滲み出てきた。母の事を思い出すだけでリスティーナは泣きそうになる。

「それだけ、君は母親を愛していたんだろう。君にとっての母親は大切な家族だった。忘れる事ができないのは当然だ。無理に忘れようとする必要はない。」

「ルーファス様…。」

母が亡くなった後、落ち込むリスティーナを乳母やエルザ達が慰めてくれたおかげで何とか立ち直ることができた。でも、リスティーナの心の傷は未だに消えない。心に穴が開いたように空っぽなままだ。
母は死の間際にリスティーナに生きてと願った。だから、リスティーナは母の分まで生きると決めた。
いい加減に早く忘れないと…。無理矢理自分にそう言い聞かせていた。でも、ルーファス様は忘れる必要はないと言ってくれた。その言葉にリスティーナは救われた。忘れなくてもいいんだ。母を忘れないままで生きる。それが許された気がした。

「君の母親は愛情深くて、優しい人だったんだな。」

「はい…。母は…、とても優しくて…、私を愛してくれました。」

下賤な女。卑しい女。下品な踊りで男に媚を売る浅ましい女。他人の夫を寝取る売女。王妃や側室、貴族達は母をいつもそう言って、蔑んだ。
でも、ルーファス様は…、母が優しい人だと言ってくれた。嬉しかった…。

「君の母は踊り子だったと話していたな。君に似ているのか?」

「はい。私はどちらかというと、父よりも母に似たので…。」

「では、君に似て美しい女性だったんだな。」

「へ!?い、いえ!私は母に似てはいますが少し似ているだけで…、」

リスティーナは母が美しいとは思うが、自分が似ているのは髪と瞳の色だけだ。母の様に美しくはない。
だって、王妃にもレノア王女にも地味だの、みすぼらしいだの言われ続けていたのだから。
貴族令嬢達も口を揃えて、同じことを言っていたし、レノア王女の婚約者候補である高位貴族の男性も全員、美しいレノア王女の足元にも及ばないと言われたのだから。
自分が美しくないということは嫌という程、思い知らされた。
この国でもダニエラ様やアーリヤ様、ミレーヌ様以外にも夜会にいる貴族令嬢を目にしたが、どの女性も皆、美しくて、輝いていた。
私にはあんな華やかさもないし、美しさもない。

母はリスティーナを綺麗、可愛いと褒めてくれたがあれは親だからこその言葉だろう。
ニーナ達もリスティーナを綺麗だと褒めてくれた。エルザに至っては妖精姫のようにお美しいだの、まるで天から舞い降りた天使のよう!だの過剰な位に褒めてくれるが、きっとあれは気を遣ってくれたのだと思う。そう思うと、何だか申し訳なかった。

「君は自分の美しさを自覚していないんだな。」

スルッとルーファスに髪を触られ、リスティーナの金色の髪がルーファスの指に絡みついた。

「は、はい…?」

美しい?私が…?ルーファスの言葉にリスティーナは困惑する。

「君は綺麗だ。外見だけじゃなく、その心も…。君以上に美しい女性は見たことがない。」

「ええ!?そ、そんな事…!」

「俺は嘘が嫌いだ。だから、今の言葉は俺の本心だ。それとも、俺の言葉は信じられないか?」

「い、いいえ!」

リスティーナは慌てて首を横に振った。彼が嘘を吐くような人でない事はよく分かっている。
きっと、本心から彼はそう言ってくれているのだろう。
ルーファス様は、私を綺麗だと思ってくれているんだ。
きっと、ルーファス様は特殊な環境に身を置いたせいで美的感覚が他の人と異なってしまったのかもしれない。良かった。ルーファス様が普通の美的感覚の持ち主でなくて。
リスティーナはルーファスの言葉を信じたが見事に違う方向に解釈した。
リスティーナは一般的に美しいといわれる女性の顔に彼は魅力を感じないタイプの人間だと解釈したのだ。
エルザから世の中には、凡庸な見た目、醜い見た目に惹かれる特殊な好みを持った人もいるんですよと聞いたことがあるのでルーファスもそのタイプなのかもしれないと勘違いをしたのである。

「君の母は、踊りだけでなく、まじないにも詳しかったみたいだな。占いもしていたのか?」

「はい。本業は踊り子でしたけど、占いもして生計を立てていたそうです。母の占いはよく当たるのでかなり人気だったみたいです。」

「どんな占いをしていたんだ?」

「私が母に見せてもらった占いは札術や小道具を使って占っていました。母はよく効くおまじないにも詳しくて…、」

「俺にくれたハンカチも母から教わったまじないだと言っていたな。」

「はい!」

リスティーナは嬉しそうに母から教わったまじないをルーファスに話した。
こんな話をしても、退屈しないだろうかと不安になったがルーファスは興味深そうに黙って聞いてくれた。その反応が嬉しくて、ついついリスティーナは話しこんでしまう。
話の途中でルーファスが不意にリスティーナに、

「そういえば、今朝、見せてくれた君の母親の形見のペンダントの事だが…、あれをもう一度見せてくれないか?」

「はい。勿論です。」

リスティーナはルーファスの言葉に笑顔で頷き、ペンダントを取り出して見せた。
ルーファスはそれを手に取り、目を細めた。

「ルーファス様?どうしましたか?」

「いや…。よくできた装飾品だと感心しただけだ。君の母親の形見はこのペンダントとあの肩掛けだけなのか?」

「いえ。実は、もう一つあるんです。今、持ってきますね。」

そう言って、リスティーナは本棚の奥に保管していた臙脂色の古びた本を持ってきた。

「本当はルーファス様にお見せするような物ではないのですが…、これも母が私に残してくれた形見なんです。」

そう言って、リスティーナはルーファスに何も書かれていない真っ白いページの本を見せた。

「何も書いていないが…、」

「そうなんです。本なのに、何故か文字が書いてないんです。もしかしたら、これは日記帳だったのかもしれません。何の本なのかも分からないのですけど…、捨てることができずにこうして取っているんです。」

「そうか…。」

ルーファスはじっと臙脂色の本を見つめた。そして、本を机の上に置いた。

「リスティーナ。」

そのまま距離を詰められ、唇を塞がれる。

「んっ…。」

リスティーナは一瞬、目を瞠ったがすぐに目を閉じて、彼の口づけを受け入れた。

「いいか?」

何を、とは聞かなくても分かった。リスティーナは顔を赤くしながら、コクンと小さく頷いた。
そのまま彼に抱えられて、リスティーナは寝台に運ばれた。夜はまだ始まったばかりだった。




「全く…。エルザったら…、私の頼みは聞かない癖に姫様の名前を出した途端にああも簡単に引き受けるなんて…。」

スザンヌは溜息を吐きながら、エルザとの連絡手段である鏡を磨いて手入れをしていた。
初め、スザンヌが話すとあからさまに面倒臭そうな顔をしていた癖にリスティーナの名前を出したら、ころっと態度を変えて即答した。
毎度のことながら、私との温度差が明らかに違い過ぎる。まあ、知ってたけど…。
それにしても、どうして姫様はあの茶葉を調べるように頼んだのかしら?
まさか、王妃様はあの茶葉に何か…、そんな風に考えながら、鏡を拭いていると、

「あっ…!」

考え事をしていたせいか手元が狂い、鏡を床に落としてしまう。スザンヌは慌てて鏡を拾い上げるが、鏡は割れていて、壊れてしまっている。

「しまった…!やってしまった…。」

スザンヌは割れた鏡を手に持って、ガックリと項垂れた。

「これがないと、エルザと連絡が取れないのに…。」

スザンヌは自分がやらかした失敗にハーと溜息を吐いて、落ち込んだ。
エルザとの連絡は手紙でもできるけど、それだと少し不便だし…。何より、時間がかかる。

「明日はあたしも出勤の日だし…。しょうがない。次の休みの時に修理屋に直して貰おう。」

スザンヌはそう呟いて、割れた鏡を包んだ。
この時の判断をスザンヌは後に激しく後悔することになる。だが、今のスザンヌはその事に気付かなかった。




スウスウ、と寝息を立てて眠るリスティーナの寝顔を見つめながら、自分の手に視線を落とした。やっぱり、身体が以前よりも軽い。リスティーナと触れ合うようになってからルーファスの身体は確実によくなっている。
あれだけ頻繁に襲っていた全身の激痛も吐きそうになる程の気持ち悪さも眩暈もなく、血を吐くこともほとんどない。
あれから、視力が低下することはないし、幻覚や幻聴も聴こえなくなった。
発作がおさまったルーファスに主治医は驚いていた。きっと、薬が効いたのだろうと言っていたがルーファスはそうとは思えなかった。
今までずっと薬を飲み続けていたのに全く効かなかったのだ。

悪夢は相変わらず続いているが、それもリスティーナといない時だけだ。
リスティーナの傍で寝ている時は悪夢に魘されることなく、朝までぐっすり寝ることができる。
偶然とは思えない。もしかしたら、これは…、

ルーティア文字。太陽の形のペンダント。まじないと占いに通じた一族…。
もしかしたら、彼女は…、
ルーファスはリスティーナを起こさないようにそっと寝台から抜け出し、机に置かれた臙脂色の本を手に取った。やはり、真っ白だ…。何も書いていない。ルーファスは指を切り、その血をページの上に垂らした。が、血が付着しただけで本には何も変化は起きなかった。
ルーファスは寝ているリスティーナの傍に近付き、そのままじっと彼女を見下ろした。
寝台に腰を下ろし、そっとリスティーナの白い手を取った。ルーファスはリスティーナの指の腹に爪を当てた。が、それ以上、力を籠める事ができない。

「ん…。」

寝息を立てたリスティーナにルーファスはバッと手を離し、膝の上に置いた本を閉じた。
俺は、今…、何をしようとした?じわり、と汗が滲み出てくる。
勝手な憶測でリスティーナの意思も聞かずに無理矢理暴こうとした。
これでは…、奴らと同じじゃないか。ルーファスがリスティーナを見ると、彼女は何も知らずに眠っている。ルーファスはホッとした。そのまま本を棚に戻すと、リスティーナの隣に横になる。
リスティーナが何者かなんてどうでもいい。こうして、俺の傍にいてくれるなら…。
ルーファスはリスティーナの身体を抱き寄せる。その瞬間、リスティーナからは、フワッと花のような甘い香りがした。さっきも散々したばかりだというのにまた彼女を抱きたいという欲望が強くなる。
が、まだ慣れておらず、先程の情事で疲れて寝てしまっているリスティーナに無理をさせる訳にはいかない。必死に理性を働かせてルーファスはグッと我慢するのだった。
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