219 / 222
ヘンリエッタ編
197.いるべき場所へ
しおりを挟む何もかもが真っ白い世界だった。どこまでも無辺に広がっているようにも、3歩も歩かないうちに壁にぶつかってしまうようにも感じられる、おおよそ距離というものが図りにくい空間であった。
そんな中に、エイトは立っている。
この特異な空間に来るのは、二度目であった。以前は、少女の姿をしたものが彼を出迎えた。
今は、神官風の青年ポンテオが彼を送り出そうとしている。
「ここは、いくつもの世界の『インガ』の接する場所です」
ポンテオ――「旅の神」はそう説明した。
「旅の神」が空中に指で円を描くと、空間に穴が開いた。瓦礫が積み重なり雑然としていたリオット西地区からその穴を通り、エイトたちはこの真っ白い何もない空間にやってきたのだった。
「ヒロキさん、エイトくん。当然、君たちの世界にも繋がっている」
「まさか、こんなに早く帰れるとは思ってもみなかったな」
1年はかかるって言われてたからさ、とヒロキはボヤくように言った。「カタナ」の柄に手をかけた時と比べれば、その表情は和らいでいる。
「私もあなた一人を送り届けるだけならば、急いでこちらに戻ってくるつもりもなかったのですが、エイトくんを呼ぶのに『神玉』が使われたので、こちらの世界に急いで来ざるを得なかったのです」
その意味では今回の騒動は幸運でしたね、と「旅の神」はヒロキに向き直る。
「かなり犠牲が出てるんだ。そういう喜び方はできないな」
表情が一気に険しくなる。射貫くような視線であったが、ポンテオは気にした風もない。
「しかし、エイトはもう戻すんだな。あんたらの中じゃイレギュラーな召喚だったからか?」
「それもありますが……、実はもうこの世界に神の力を関わらせるのはやめよう、ということになっていましてね」
「新しい世界を創っている、と前に言っていましたわね?」
この空間にいる最後の一人、エッタの言葉にヒロキは眉を寄せる。
「世界を、創る……?」
「はい。我々は、この世界だけでなく多くの世界を創ってきました。おおよそ1万年ほど文明を見守り、その後は手を引いてそこに生まれた生き物たちに任せるのです」
この世界の文明も、できてそろそろ1万年を超える。そう「旅の神」は言った。
「ヒロキさんのよく知る彼女――『戦の女神』の謹慎も、その年に合わせて解除されるように設定されたものでした」
途方もない話だ、とヒロキは眉間を押さえた。
「するとなんだ? この世にある無数の世界は、全部あんたらが創り出したって言うのか?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
煙に巻くような物言いに、ヒロキの視線がきつくなる。
「出ましたわね、その口癖」
呆れたようにエッタが肩をすくめる。
「ご自分たちのことなのに、わからないのかしら?」
「我々は今ここにいて、今ここにいない場所にもいる、そういう存在です」
数えきれないほどの場所にそれぞれ彼ら「神」はいて、1000個の世界を同時に1万年間見守ることを、100度も1000度も繰り返してきた。「それは曖昧にもなりましょう」と「旅の神」は悪びれもしない。
「ヒロキさんたちの世界を創ったのも私たちかもしれないし、そうでないかもしれない」
やれやれ、とヒロキはかぶりを振った。
「……やっぱ、こいつらとまともに話そうとするのは無駄らしいな」
「でしょう? 何もかもが曖昧でどうとでも取れて……。精神構造が違うのでしょう」
神の思惑は人には理解できない、ということのようだ。
「もういいや、とっとと帰してくれ。あんたらとこれ以上話す気もないし」
「そうですか? まあ、いいでしょう」
「旅の神」が空中に指で円を描くと、白い空間に穴が開いた。
その向こうには、ネズミ色の道の上を様々な色の乗り物が行きかう、やかましい世界が広がっている。
「自動車……、懐かしいですわね何だか」
穴の向こうの様子を見て、どこかしみじみとエッタは言った。
「ロクでもない思い出しかないですけど、それでもね……」
「エッタも来るか?」
冗談めかした問いではあるが、エッタは「いいえ」と即答した。
「わたくしが向こうに行ったら、異世界転移になってしまうでしょう? それに、もうこの世界で生きていくことを決めているので」
だよな、とヒロキは笑って今度はエイトに水を向ける。
「君はどうだ? 元の世界にいたくなかったって聞いたけど、気持ちよく帰れるか?」
「元の世界では何者でもないが、この世界なら『賢者』でいられる。その構図が崩れたんです、未練はないでしょう」
「旅の神」の言葉に、「いえ」とエイトは首を横に振った。
「そうじゃないです。たとえ、まだ『賢者』と呼ばれていても、僕は帰らねばならないなら、素直に帰ったと思います。たくさんのことを、この世界で学べたから――」
戦いを終えてから、エイトはずっとそんな気持ちだった。
新しい道具の開発、命を懸けた戦い、エッタやヒロキの教え、クロエやトモテの言葉、そしてアマヌスと過ごした時間。そのすべてがエイトの中に根付いている。
「その全部を持って帰れるなら、『ゴッコーズ』がない世界でだってやっていける。そんな風に思えているんです」
きっと簡単な話ではない。ヒロキの言う「当たり前のこと」も、エッタの言う「積み重ね」も、それを続けて「居場所を作る」ことの難しさと大切さも、今のエイトには想像できていた。
想像できているからこそ、やっていこうという気持ちになっているのだ。
「だから、僕は帰ります。この世界に感謝して、自分の世界に帰ります」
「旅の神」はわかったようなわからないような、そんな態度のままであった。けれど、ヒロキが「よく言ったよ」とうなずいてくれた。
「この修復装置の完成を見られないことは、心残りですけど……」
手にしたその携帯魔道灯を、エッタがそっと受け取った。
「後はわたくしたちでやっていきます。あなたはあなたの世界で、一生を生きてください」
「……はい」
今までにないくらいに優しい笑みのエッタの顔は、やがて滲んで見えなくなった。彼女に装置を渡した時、エイトの中でこの世界であった色々なことが駆け巡ったから。
「さようなら、エイトくん。あなたは『予言の賢者』じゃなくとも、自分のやれることを精一杯やってくれましたよ」
濡れた頰を俯かせたエイトに、温かい手が触れた。
◆ ◇ ◆
「さて……」
真っ白い空間に空いた穴を閉じて、「旅の神」がエッタを振り返った。
既に、この空間には彼とエッタの二人だけになっていた。
(急に帰ることになってロクに挨拶もできなかったけど、バジルさんとグレースさんとクロエさん、それからトモテ陛下にもよろしく言っておいてくれ。あとは、フィオとザゴスと、アドニス王国のみんなにも)
ヒロキの伝言と、手にはエイトの残した修復装置を抱え、エッタは「旅の神」に問いかける。
「一つだけ、あなたにもう一度会うことがあったら、聞こうと思っていたことがありました」
「何ですか? 答えるかもしれないし、答えないかもしれませんが……」
別にそれでいいです、と相変わらずの曖昧さに少し苛立ちながら、エッタは本題に入る。
「大神殿の地下牢で会った時、あなたはわたくしに言いましたわよね」
あの時、自身の正体について問われた「旅の神」は、逆にこう尋ね返してきた。
(あなたはヘンリエッタ・レーゲンボーゲンですか? それとも田辺恵理ですか? あるいは――グリム・エクセライでしょうかね?)
この世界での名と転生前の名、その二つと並列に「旅の神」が持ち出したのは、300年前にヒロキに味方した女魔道士の名だった。
「あなたは誤魔化しましたけど、あれからわたくしずっと引っかかっていましたの」
「それで、答えは出ましたか?」
あまり考えたくはないのですが、と前置いてエッタは続ける。
「グリムは話によると、ヒロキに執着していました。それは、グリムの子孫に見せてもらった日記や、何よりヒロキ自身の証言からもわかることです」
そして、グリムの子孫――スヴェン・エクセライに見せてもらった日記の中に、気になる記述があったことを思い出したのだ。グリムが晩年研究していました、ある魔法のことを。
「それは、異世界転移の魔法です」
走り書きのような魔法理論と錬成式を読み解くと、グリムが目指した異世界転移は、魂を別の世界に移すというようなやり方だった。
「グリムはこの魔法を完成させたんじゃないですかね? それで、ヒロキの世界に転移して彼を追いかけた」
ところが、魂だけ別の世界にやってきたグリムは異世界転移ではなく、「転生」してしまったのではないか。
「転生によってグリムは記憶を失い、赤ん坊になった。それが、田辺恵理――即ちわたくしの前世なのではないかと」
やがて田辺恵理は若い命を散らす。その魂は世界を越えて、こちらに戻ってきた。
「おかしいとは思っていたんですよ。わたくしが知っている三人の異世界人、さらにタクト・ジンノを加えても、みんな転移者であって転生者はいない」
そもそも、転生というものが広く信じられている世界ではない。
「そして、転移には神の力が介入しているはずなのに、この世界から神の力の影響を除こうというあなたは、わたくしを前世の世界に還そうとはしていません」
それは、エッタ自身の魂がこの世界のものだからではないか。
ぶつけられた考えに、「旅の神」は微笑を浮かべた。
「素晴らしい……。お一人の考えで、そこまで辿り着くとは」
「ということは、そうなんですね?」
はい、と「旅の神」は笑顔のままうなずく。
「あなたという魂は、本当に素晴らしい。グリムの時は自力で世界を超える方法に気付き、今またそれに辿り着こうとしている……。人のままでいさせるのは惜しいくらいです」
どうですか、と「旅の神」は手を伸べた。
「私たちと一緒に来て、新たな神になるというのは?」
その手を一瞥して、エッタは問い返す。
「おや、八柱だか九柱だか、人数は決まっているのではないんです?」
「そんなものは人の認識次第で如何様にも変わります。八百万にも、唯一にもね。私たちは『全にして一、一にして全』『そこにある』というものですから」
わかるようなわからないようなことを、とエッタは肩をすくめる。
「お断りします」
きっぱりとエッタは言い切った。
「さっきも言いました通り、わたくしはこの世界で生きていく、と決めていますから」
「……そう応えると思っていました」
うなずいて、「旅の神」は空中に指で円を描いた。その向こうには、砂色のリオットの市街の景色が見える。
「では、この辺りで」
「ええ、さようなら神さま。人の世界は、人に任せてくださいね」
言って、エッタは白い世界に開いた丸い出口をくぐっていった。
0
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
【改稿版】休憩スキルで異世界無双!チートを得た俺は異世界で無双し、王女と魔女を嫁にする。
ゆう
ファンタジー
剣と魔法の異世界に転生したクリス・レガード。
剣聖を輩出したことのあるレガード家において剣術スキルは必要不可欠だが12歳の儀式で手に入れたスキルは【休憩】だった。
しかしこのスキル、想像していた以上にチートだ。
休憩を使いスキルを強化、更に新しいスキルを獲得できてしまう…
そして強敵と相対する中、クリスは伝説のスキルである覇王を取得する。
ルミナス初代国王が有したスキルである覇王。
その覇王発現は王国の長い歴史の中で悲願だった。
それ以降、クリスを取り巻く環境は目まぐるしく変化していく……
※アルファポリスに投稿した作品の改稿版です。
ホットランキング最高位2位でした。
カクヨムにも別シナリオで掲載。
迷い人 ~異世界で成り上がる。大器晩成型とは知らずに無難な商人になっちゃった。~
飛燕 つばさ
ファンタジー
孤独な中年、坂本零。ある日、彼は目を覚ますと、まったく知らない異世界に立っていた。彼は現地の兵士たちに捕まり、不審人物とされて牢獄に投獄されてしまう。
彼は異世界から迷い込んだ『迷い人』と呼ばれる存在だと告げられる。その『迷い人』には、世界を救う勇者としての可能性も、世界を滅ぼす魔王としての可能性も秘められているそうだ。しかし、零は自分がそんな使命を担う存在だと受け入れることができなかった。
独房から零を救ったのは、昔この世界を救った勇者の末裔である老婆だった。老婆は零の力を探るが、彼は戦闘や魔法に関する特別な力を持っていなかった。零はそのことに絶望するが、自身の日本での知識を駆使し、『商人』として新たな一歩を踏み出す決意をする…。
この物語は、異世界に迷い込んだ日本のサラリーマンが主人公です。彼は潜在的に秘められた能力に気づかずに、無難な商人を選びます。次々に目覚める力でこの世界に起こる問題を解決していく姿を描いていきます。
※当作品は、過去に私が創作した作品『異世界で商人になっちゃった。』を一から徹底的に文章校正し、新たな作品として再構築したものです。文章表現だけでなく、ストーリー展開の修正や、新ストーリーの追加、新キャラクターの登場など、変更点が多くございます。
俺だけ異世界行ける件〜会社をクビになった俺は異世界で最強となり、現実世界で気ままにスローライフを送る〜
平山和人
ファンタジー
平凡なサラリーマンである新城直人は不況の煽りで会社をクビになってしまう。
都会での暮らしに疲れた直人は、田舎の実家へと戻ることにした。
ある日、祖父の物置を掃除したら変わった鏡を見つける。その鏡は異世界へと繋がっていた。
さらに祖父が異世界を救った勇者であることが判明し、物置にあった武器やアイテムで直人はドラゴンをも一撃で倒す力を手に入れる。
こうして直人は異世界で魔物を倒して金を稼ぎ、現実では働かずにのんびり生きるスローライフ生活を始めるのであった。
生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました【リメイク版】
雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。
そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!
気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?
するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。
だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──
でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!!
最強の職業は解体屋です! ゴミだと思っていたエクストラスキル『解体』が実は超有能でした
服田 晃和
ファンタジー
旧題:最強の職業は『解体屋』です!〜ゴミスキルだと思ってたエクストラスキル『解体』が実は最強のスキルでした〜
大学を卒業後建築会社に就職した普通の男。しかし待っていたのは設計や現場監督なんてカッコいい職業ではなく「解体作業」だった。来る日も来る日も使わなくなった廃ビルや、人が居なくなった廃屋を解体する日々。そんなある日いつものように廃屋を解体していた男は、大量のゴミに押しつぶされてしまい突然の死を迎える。
目が覚めるとそこには自称神様の金髪美少女が立っていた。その神様からは自分の世界に戻り輪廻転生を繰り返すか、できれば剣と魔法の世界に転生して欲しいとお願いされた俺。だったら、せめてサービスしてくれないとな。それと『魔法』は絶対に使えるようにしてくれよ!なんたってファンタジーの世界なんだから!
そうして俺が転生した世界は『職業』が全ての世界。それなのに俺の職業はよく分からない『解体屋』だって?貴族の子に生まれたのに、『魔導士』じゃなきゃ追放らしい。優秀な兄は勿論『魔導士』だってさ。
まぁでもそんな俺にだって、魔法が使えるんだ!えっ?神様の不手際で魔法が使えない?嘘だろ?家族に見放され悲しい人生が待っていると思った矢先。まさかの魔法も剣も極められる最強のチート職業でした!!
魔法を使えると思って転生したのに魔法を使う為にはモンスター討伐が必須!まずはスライムから行ってみよう!そんな男の楽しい冒険ファンタジー!
異世界に転生した俺は元の世界に帰りたい……て思ってたけど気が付いたら世界最強になってました
ゆーき@書籍発売中
ファンタジー
ゲームが好きな俺、荒木優斗はある日、元クラスメイトの桜井幸太によって殺されてしまう。しかし、神のおかげで世界最高の力を持って別世界に転生することになる。ただ、神の未来視でも逮捕されないとでている桜井を逮捕させてあげるために元の世界に戻ることを決意する。元の世界に戻るため、〈転移〉の魔法を求めて異世界を無双する。ただ案外異世界ライフが楽しくてちょくちょくそのことを忘れてしまうが……
なろう、カクヨムでも投稿しています。
スキル喰らい(スキルイーター)がヤバすぎた 他人のスキルを食らって底辺から最強に駆け上がる
けんたん
ファンタジー
レイ・ユーグナイト 貴族の三男で産まれたおれは、12の成人の儀を受けたら家を出ないと行けなかった だが俺には誰にも言ってない秘密があった 前世の記憶があることだ
俺は10才になったら現代知識と貴族の子供が受ける継承の義で受け継ぐであろうスキルでスローライフの夢をみる
だが本来受け継ぐであろう親のスキルを何一つ受け継ぐことなく能無しとされひどい扱いを受けることになる だが実はスキルは受け継がなかったが俺にだけ見えるユニークスキル スキル喰らいで俺は密かに強くなり 俺に対してひどい扱いをしたやつを見返すことを心に誓った
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる