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バックストリア編
53.夜空にかかる虹
しおりを挟む枝にとまった大きな蜻蛉の彫像が中心に座するこの広場は、普段は町民たちの憩いの場として親しまれている。
しかし、今は武装した冒険者と街に侵入してきた魔獣との戦いの場となっていた。
ザゴスやフィオ、リックのパーティの他、この街の冒険者のおよそ3分の1が、蜻蛉の像を中心に円形に展開していた。像に近い位置に治癒士、その周囲に魔道士、そして一番外側を戦士が守る。
その円形の布陣を更に取り巻くように、ブキミノヨルが集まってきていた。
「行きます、疾風馳夫!」
ユントの手から放たれた光が、周囲を固める戦士たちの体を緑色の粒子となって取り巻いていく。
「ッシャオラァ!」
補助魔法を受け、巨体に似合わぬ素早さを発揮し、ザゴスは広場を取り巻く建物の壁を軽々と登っていく。屋根から飛び上がると、空を大股に歩いて群がるブキミノヨルを薙ぎ払う。
翼を切り落とされ落下してきた魔獣に、地上で待ち構えていたリックらが襲い掛かる。
「東方向! まだまだ来てるよ!」
一方、探索士たちは広場からほど近い「健康の神」の礼拝所の鐘楼に陣取り、戦況の監視と援護を行っている。その中の一人、アイリが広場の冒険者たちに声をかける。
「森からおかわりが来たようだな」
「んな注文してねぇんだけどな!」
フィオと軽口を叩き合いながら、リックは剣を振り回し、ブキミノヨルに応戦する。
「強化魔法の方はおかわり頼むぜ!」
「わかった、今……」
そう応じたユントの背後に、ブキミノヨルが回る。
「後ろだ!」
ブキミノヨルの槍がユントの肩口を貫くのと、フィオの剣が魔獣の首を落とすのは同時だった。
「ユント! トレヴァー、頼む!」
「あいわかった。しかし……」
肩を押さえるユントを治癒士のトレヴァーが広場の中心へと引きずっていく。
「怪我人が多すぎる……。礼拝所の神官も来てくれているが、限度というものがあるぞ」
「わかっている! まだか、エッタ……!」
円形の布陣の中心、蜻蛉の像の真下でエッタは目を閉じ、深い呼吸を繰り返しながら静かに錬魔を行っていた。
(致し方ありません、虹を使います)
街に押し寄せる大量のブキミノヨルを一掃するにはそれしかない、とエッタは断言した。
虹。同時に複数の魔法を錬魔し連続で放つエッタの特技、連鎖魔法の奥の手である。
連鎖魔法とは、複数の魔法の錬魔を同時並行で行うことで、矢継ぎ早に魔法を繰り出し錬魔の隙を低減する、エッタが大学在学中に開発した技術である。その効果のほどは、お尋ね者の盗賊を捕まえた際やザゴスとのケンカで発揮されたとおりだ。
ただし、何でも「連鎖」させられる訳ではない。
「えらく時間がかかってんじゃねぇか、ええ!?」
斧を振り回しながら、ザゴスが怒鳴る。その声は、人垣の最奥で錬魔を行うエッタの耳にも届いていた。
まったく、うるさい人ですわね。エッタは内心毒づきながら錬魔を進める。
まず、一度の「連鎖」に組み込めるのは1属性ずつ、つまり「炎属性と炎属性」や「風属性と土属性と風属性」などの組み合わせは成立しない。人間が扱える属性は7種であるため、7連鎖が最大値となる。
また、次に放つ魔法の威力は必ず前に放つ魔法と同等か、それ以上でなくてはならない。すなわち、「上級魔法の後に中級魔法」や「極大魔法の後に基本魔法」などといった組み合わせも不可能だ。
更に、「錬魔の隙を低減する」と言っても、強力な魔法を連鎖させたり、連鎖数を増やしたりすると、当然錬魔に時間はかかり、隙も大きくなる。そのため、普段のエッタは連鎖魔法を3連続、即ち三までしか使用しない。
虹とは七、つまり連鎖魔法の最大値である。錬魔には当然長い時間がかかるが、単純に極大魔法を使用するよりも遥かに高い効果が見込めるという。
「……できました」
胸の前で手を一つ叩き、エッタは目を開く。連鎖に組み込んだ極大魔法の効果で、身体の輪郭が薄く発光している。
「ザゴス!」
「おう!」
エッタの声に応じて、ザゴスは人垣の後ろへ後退する。十数匹のブキミノヨルが、大男を追ってくるが――
「雷帝紫光衝!」
フィオが間に割って入り、上級魔法を解き放った。縦横に雷撃が走り、魔獣の翼や腕、頭を吹き飛ばす。
「やれ、ザゴス!」
ザゴスはエッタの前で腰を低く落とすと、両手を差し出した。エッタはそれを見てうなずき助走をつけて跳躍、ザゴスの手の上に乗る。
「行けやぁ!」
ザゴスは彼女の体を投げ上げた。その力を発射台に、エッタも高く跳んだ。探索士達が詰める礼拝所の鐘楼よりも、バックストリアの時計台よりも更に高い空の上へ。
(複数の魔道式を並行して錬魔? そんな精密な魔素操作ができる魔道士など、ほとんどおらんぞ)
大学の頃、研究成果として連鎖魔法を発表した際、教授らに言われたことがエッタの脳裏に蘇る。
(一つの属性の魔法を連続させることはできず、基本中級上級と段階を上げていく必要もあり、しかも極大魔法を組み込んでも錬魔中の『攻防一体の陣』は展開されない上に、錬魔が短くなるわけでもない……)
こんなものは欠陥品だ。そう烙印を押されて、黙っているエッタではない。
(この技術の意義は、従来訓練された複数の魔道士で行っていた連携を、たった一人でこなせる点にあります。魔法戦術を複数人に教育し訓練する時間と費用よりも、連鎖魔法を覚えた一人の魔道士の方が……)
(ご高説は結構だがな、レーゲンボーゲン)
エッタの言葉を遮ったのは、学部長を務める教授であった。
(君のその考えは、選ばれた人間のみが魔法を使えた時代のものだ)
現代の思想に反するものだと学部長は断じた。
(我々ガンドール家は、バックストリア大学は建学以来、魔法が一般に普及するように努めてきた。たった一人の天才だけが使いこなせるものを、卒業研究として認めるわけにはいかない)
その通りだ、と他の教授たちも賛意を示す。
(大方、エクセライの連中に何か吹き込まれたのだろう。彼の『研究塔』のサイラス師の下で、魔法を学んだというからな)
(悪しき魔法選民思想だ。持たざる者を踏みにじるような研究者を、我が大学から出すわけにはいかぬ)
研究の中止と題材の変更を命じられ、エッタは唇を噛んで「研究塔」へ戻った。
(連鎖魔法か……。なるほど、これは面白いな)
一方、師であるサイラスはそう評した。
(これを使いこなすには、精密な魔力、七属性を操る才能、豊富な錬成式知識が必要になる。確かに大学の連中が言うように、汎用的な技術ではないだろう)
だが、とサイラスは続けた。
(ヘンリエッタよ、これはお前が編み出した、お前のための、お前だけの技術だ。それを研鑽しろ。凡人共に何を言われようともな)
結局、卒業研究の題材は無難なものに変更し、連鎖魔法の開発は独自に進めていくことにした。この出来事が、エッタを研究者の道ではなく、冒険者の道へ進ませたきっかけとなった。
持たざる者を踏みにじる、悪。
いいでしょう、その評価を受け入れましょう。確かに魔法にかけては天才的で、その才がないものの気持ちなど、推し量るしかできないのだから。
けれど、それ故に。
大きな力を持つ責任は果たす。自分の持てる魔道と才のすべてをかけて、この街を覆う脅威を除く。
エッタは身体をひねり、故郷とそれを蹂躙するブキミノヨルどもを見下した。
さあ、架けましょう。この不気味の夜空に魔道の虹を。
「連鎖魔法・虹――」
エッタは合わせていた両手を開く。闇色の粒子がエッタの体を取り巻いていく。
「壱式・暗黒覚醒!」
最初に唱えたのは、闇の力を上乗せして自分の魔法の威力を上げる魔法だ。黒くきらめく粒子をまとい、落下しながらエッタは次の魔法を解き放つ。
「弐式・魔器徴収!」
周囲の補助魔法を魔素に分解して吸い取り自分の力とする魔法、地上からたくさんの魔素がエッタへと集まってくる。暗黒覚醒で増幅された魔法の威力は、広場の魔道士や戦士たちが展開した補助魔法は元より、ダメージを負ったブキミノヨルの体すらも魔素に分解して吸い取っていく。
「おいおい、俺らの魔法まで吸い取っちまうのかよ!」
「そんなことより、ここへ落ちてこないか!?」
トレヴァーの言うように、エッタの体は自由落下を続け、このままでは地上に激突してしまうだろう。
そして、それだけではない。
「魔獣が広場から飛び立ってる! あの子、危ないよ!」
アイリが叫んだ通り、広場にいた魔獣も、森から新たに来るもの共も、皆エッタの方へ向かっている。エッタの集めた強大な魔素に引きつけられているのだ。
「空中じゃ身をかわせない、危険だ!」
「おい、フィオ!」
「いや、心配ない」
フィオは飛び立つ魔獣たちの向こう、落下する彼女を冷静に見つめた。
「参式、竜翼飛翔!」
エッタは背中に風の翼を展開し、大きくはばたかせて再び上空へと舞い上がる。
現在、バックストリアの近辺は魔素が希薄だ。大きな魔法を使うには、暗黒覚醒からの魔器徴収は必須であった。両者は基本魔法であるため、先に中級魔法の竜翼飛翔を使うと連鎖に組み込めない。そのため、エッタはザゴスに上空へ投げ上げるよう依頼したのである。
(何せ、空の上でないと、街を壊してしまいますからね)
普段からは考えられない冷静な思考である。
広場にいたブキミノヨルたちは、今や一塊の巨大な蚊柱のようになって、エッタを追ってきている。ほとんどの魔獣がこちらに向かっていることを見て取って、エッタはぐるりと反転して、魔獣の群れの中に突っ込んだ。
「肆式、圧水青光刃!」
エッタの十本の指から水流が放たれる。高圧縮されたそれは、群れる魔獣どもを面白いように斬り裂いていった。水を滴らせながら、霧散したブキミノヨルの角が次々と地上へ落下する。
「ぷ、圧水流にあんな使い方が……! 上級魔法クラスの威力じゃないか!」
水とブキミノヨルの角が降り注ぐ広場で、怪我から復帰したユントは空を見上げて嘆息した。圧水流とは、3年ほど前に開発された工業用の魔法なのだが、それを攻撃に転用する発想は彼や他の魔道士にはないものだった。
「というか、何ゆえ職人向きの魔法を覚えてるんだ……?」
トレヴァーの疑問はもっともであるが、実はこの圧水流こそが、エッタが連鎖魔法の代わりに卒業研究として開発した魔法である。
次だ。エッタは水流の止んだ手の平を広げ、両腕を横に伸ばした。
「伍式、熱線赤光環!」
夜空が一瞬赤く染まる。自分を中心に高熱のリングを放ち、触れたものを焼き尽くす上級魔法だ。光が消えた頃には魔獣の「蚊柱」はほとんど消え去っていた。
「また森から群れが……! 今までより多いよ!」
アイリからの警告を受けるまでもなく、エッタの瞳は「アンダサイの森」から雲霞のごとく押し寄せる魔獣の群れを捉えていた。森の魔素を絞り出すように現れたそれは、最後の一群なのだろう。
ここまで計算通り。ならば、このまま最後までやればいい。
向かってくる群れに向けて、エッタは両腕を突き出した。
「陸式、百年呪茨森!」
エッタの指から、今度は暗緑色の茨が何本も伸び、迫りくる魔獣の群れを包み込んでいく。
これは大地城塞の上位にあたる防御用補助魔法で、通常は人の背丈ほどまでしか茨は伸びない。だが、今のエッタには壱式として使われた暗黒覚醒の効果がかかっている。魔法の威力を底上げする闇の力は、茨の強度と生育力を大幅に引き上げていた。
エッタは棘の生えた茨を伸ばし編みあわせて、ブキミノヨルを群れごと閉じ込める巨大な丸籠を作り上げた。
エッタは丸籠の上に立ち、竜翼飛翔の起こす風で籠を空中に保ちながら、最後の魔法を解き放つ。
「虹式、神罰必杖覇!」
空から放たれた何本、いや何十本もの光の柱が、すべて茨の籠へと降り注ぐ。辺りは強烈な白い光に包まれて、一時昼のような明るさとなった。
光属性の極大魔法である。いにしえの戦いでは、街や城を攻撃するのにも使われたという大規模な魔法だ。街中で使えば、バックストリアごと滅ぼしかねない。
それ故、エッタは百年呪茨森で籠を作り、ブキミノヨルを閉じ込めた。そしてその中に、神罰必杖覇の光柱を集中させたのだ。
茨の籠が焼き尽くされた後には、魔獣の姿はきれいさっぱり消え去っていた。焼け焦げ、砕けた角の破片がばらばらと地上へ落ちていく。
終わった。
エッタは自分の体から力が抜けていくの感じた。虹を使った時はいつもそうだ。全身から魔力が抜けたようになり、しばらくは立ち上がることもできなくなる。
風の翼は魔素に溶け、夜の暗闇を取り戻した空へ、エッタの体は投げ出される。
それでも、恐怖心はなかった。きっと、あの子が来てくれるから。
「エッタ!」
抱き留められた感覚にエッタは小さく笑った。
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