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3.トマト
しおりを挟む「さて、と……」
舩橋は俺のところへ歩いてきた。スカートやシャツにケチャップが飛び散っていて、少々スプラッタな見た目だ。俺はちょっと引いた。
「じゃ、悪魔呼ぶから」
そんな飛び散らせて下手くそすぎんだろー、という煽りを入れる前にするりと宣言されてしまって、俺は「うん……」としか言えなかった。
舩橋は手元と床の懐中電灯の明かりを切ると、さっきまで魔法陣を描いていたところへぶつぶつと、教室内のテンションで何かを唱え始めた。
似合うなあ、呪文。なんて、茶化せるような雰囲気はなかった。
「――彼方より来たれ! 悪魔ブラブラッド!」
舩橋の声が体育館の天井に響く。芝居がかった声にエコーが上乗せされて、それは思った以上に空虚に聞こえた。俺たちがよく目にしてる画面の向こうのリアルでもリアルじゃないような映像と同じように。
いや、恥ずかしいな、来たれとか。だって普通に言う言葉じゃないじゃん。言う? 「俺の家に来たれ、ロクでなし人間・桟敷!」って。言わんでしょ。
でも真剣だった。暗がりの中の舩橋の横顔は、抜き身の刃物のようで、その視線はジッと床のケチャップをぐちゃぐちゃに撒き散らした図形に注がれている。焦がすような視線だ。
夜の体育館、撒き散らされたケチャップ、「スパイごっこ」と「ブツ」、女子と二人きり、悪魔を呼び出す儀式。
全部作り物みたいな中で、ここに立つ舩橋だけが確かに存在しているかのようだった。
どこかで、落雷のような音が鳴った。次の瞬間、体育館の中が赤い光に包まれる。
「え、ちょ、ホントに……!?」
「来るわ、来るわ……!」
目の開けられない強烈な光と渦巻く風、その中で舩橋の興奮した声が聞こえる。
「来た、来たのよ、ヒャハッ、ヒャヒャヒャヒャ!」
興奮してても笑い声は気持ち悪い。やがて光と風は収まり、俺は恐る恐る目を開いた。
闇の帳が戻った体育館、その中央に何かがいた。
「あ、ああ……」
巨大な赤い頭、それに反して小さく、布がふわふわと宙に浮いているような胴体。足はなく、やたらに長い手の爪が床をこすっている。
どこにも釣り糸はない。いや、あるわけがない。これが俺をハメるドッキリでも、これだけ大掛かりに騙してくれたらむしろ気持ちいい。
目の前の、あるはずのない異形は、それだけの真を持ってそこにいるのだ。
『我が名は……』
赤い頭のそれは地の底から響くような声で言った。
「ああ……」
うっとりと、舩橋は声を漏らした。
「本当にきてくれたのね、ブラブラッド様!」
『悪魔トマトマト……』
ん? 今、なんか別の名前言わなかった……?
『赤きリコピンの使徒……、悪魔トマトマト……!』
「いや、別悪魔じゃん!」
ケチャップでやるから、ブラッドじゃなくてきっちりトマトが来ちゃってるじゃん!
そう言えば、赤い大きな頭はよく見ると、トマトで作ったジャックオーランタンみたいな感じだった。
これは、完全にトマトマトだ。間違いない。
「ブラブラッド様、さっそくお願いがあるんですけど!」
舩橋は話を聞いていない。完全に舞い上がっている。
『我が名はトマトマトだが、願いは聞いてやろう……』
リコピンが満ち満ちているトマトマト様は、矮小な人間の名前間違いなど気にせず、話に応じてくれるらしい。
『ただし! 我が問いに答えられたらな!』
「はい! 知ってます! ブラブラッド様は血にまつわる問題を出してくるんですよね? ちゃんと予習してきてますよ!」
いや、ブラブラッドじゃないからその予習は役に立たないだろ。俺は若干緊張してきた。異常事態が起こった割に、相手がトマトなことでちょっと安心してしまっていたが、予習と違うとなるとやっぱりドキドキする。
トマトがらみの問題……、なんだろうか。生産数一位の都道府県とかか?
え? どこ? 二学期の中間テストで地理64点の俺には分からない……。
『汝に問う……!』
トマトマトは厳かに続ける。
『野菜の中で、上から読んでも下から読んでも同じ名前なのって、なーんだ?』
何だその問題!? トマトじゃん! トマトしかないじゃん!
『ヒントは、私の名前に入っている野菜です!』
幼稚園児向けか! それか、「クイズの正解者から抽選します」みたいなキャンペーンで、一応作っておきました、みたいな問題じゃん!
こんなの予習なしでも絶対答えられるわ。名前を間違えても気にしないし、問題も簡単だし、リコピンをたくさん摂ると本当に心が広くなるのかもしれない。
よかったな、舩橋。満願成就だ、と俺はヤツを見た。
満面の笑みで、自信たっぷりにあいつは叫んだ。
「しんぶんし!」
舩橋!? お前……、それは絶対野菜じゃないし、ブラブラッドも関係ないだろ!
『不正解!』
さすがに許してくれなかった。長い両腕でバツを作ってトマトマトはそう宣告した。
『なのでそこの少年のトマトをいただく!』
「はぇっ!?」
急に矛先が向いて、間抜けな声を――
「ぐふっ!?」
身構える間もなく、トマトマトの伸ばした腕が俺の腹に突き刺さる。
『うむうむ、若干腐ってはいるが食えんことのないトマトだ……』
などと呟きながら、トマトマトは俺の腹の中から何かを取り出した。
爪の先には、ちょっと緑色になって形の崩れた、握りこぶしぐらいの基本的には赤い色した球が刺さっている。
俺は腕が引っこ抜かれた辺りを押さえるが、特に穴は開いていなかった。だけど、確かに何かを取られたような感覚がしている。
『まあまあのトマトだな!』
トマトマトは赤い球を丸呑みして、そう評した。
あれはトマトなのか? トマト最近食べてないけど、どうも俺の中にはトマトがあったらしい。トマトのプロフェッショナルっぽいトマトマトが言っているんだから、そうなのだろう。
『最近食べてなかったから、何でも美味しい』
それはつまり、大して美味しくなかったということか? 全く関係ないのにこの場にいて、何か取られて「まあまあです」って、ちょっとそれはないだろう。
『よし、このトマトの味に免じて願いを聞いてやろう』
あ、願いは聞いてくれるらしい。やっぱり人がいいのか、この悪魔。
でも、俺の願いじゃない。トマトマトは、舩橋の方を見ている。取られ損はどうもそのままのようだ。
『ただし、トマトがらみだけだ!』
「えー、ブラブラッド様、血絡みの願いを叶えてくれるんじゃ……」
まだ言ってんのか。こんだけトマトトマト言ってるトマト頭の悪魔が、ブラブラッド様なわけないだろ、いい加減にしろ。
「ケチャップで魔法陣描いたせいでバグったかな……」
うわ、勝手に決めつけて、間違いには気付かず自己完結しやがった。そんなだからお前、友達ができないんだぞ(二回目)。
「じゃあ、ハナモゲラ……、尾花ユイナがトマトを食べられなくしてください!」
俺の多分貴重なトマトを犠牲にした割に、意味不明な願いが体育館に響き渡った。
◆ ◇ ◆
翌日。
昨夜のことなんてなかったかのように、俺は登校していた。
あの後、トマトマトは『願いは叶えてやった、ではさらばだ!』と床に描いた魔法陣と一緒に消えてしまった。後始末をしなくていいのは、何とも便利な悪魔だ。
(じゃ、帰るわ)
教室での様子からは信じられないくらいにニコニコしている舩橋は、そう言うとケチャップまみれのジャージのまま、懐中電灯を全部拾い上げてさっさと体育館を出て行こうとする。
俺は、慌てて「ブツ」――クッキー缶を拾って一緒に体育館を出た。
どこから持ってきたのか、舩橋は体育館の扉に鍵をかけると、無言で歩いて行く。桟敷の言っていたフェンスの破れ目を、こいつも知っていたらしい。意外と有名な侵入口なのか?
一緒にフェンスの破れ目を出て、そのまま解散となった。
(またね。明日はお楽しみよ)
(う、うん……)
俺は何だか話しかけづらくて、何も言えなかった。悪魔が本当に出てきたことも、悪魔にあいつが願ったことの意味も、真剣な顔で悪魔を呼んでいたことも。
家に帰ってからも、「ブツ」を見ることなんてできなかった。ベッドの中で、舩橋のことばかり考えてしまうので、自分が気持ち悪くて仕方なかった。
「よう、小嶋!」
寝不足の目をこすりながら自分の席に座ろうとした俺の背中を、軽く叩いてきた者がいた。
もちろん、桟敷である。
「『ブツ』はどうした? ちゃんと取ったか?」
「うん……」
昨夜のことを言おうか言うまいか、言うにしても舩橋の話を人に聞かれる場所でするのは、ちょっと躊躇する。ザコ男子一号(二号では決してない)も、教室でサバイブしていかないといけないのだ。そのためには、最底辺の「フナムシさん」はその名を口にさえしてはいけないアンタッチャブルな存在で……。
「どしたのコジちゃん、元気ないないない?」
「まあ、ちょっと、寝不足で……」
ウザい桟敷のテンションに、そう俺はお茶を濁す。遅くに出かけていたんだから、寝不足なのは自然な話であるし、咄嗟に出たにしては良い言い訳だ。
「で、観たか?」
テンションはそのままで、桟敷は小声になる。
「いや、まだ。遅かったし……」
気分じゃなかった、とそこまでは言わない。ちらりと俺は横目で舩橋の席を見る。
鞄さえ置かれていないが、これはいつものことだ。
教室にいる時、舩橋はずっと精神的にも肉体的にもダメージを与え続けられることになる。そのスリップダメージを抑えるため、あいつはギリギリまで教室に入ってこないのだ。
これもサバイブの一環だな。「セイとシ」と言ったあいつの声が耳に蘇る。
「そっか、早めに見ろよ」
「うん……。プレイヤーも返さないとだしな」
そんだけじゃない、と桟敷は一層声を落とす。
「あの動画は割とヤバいヤツだからな。持ってるのバレたら……」
桟敷は無言で首を斬るようなジェスチャーをした。
「誰に斬られるんだよ?」
「社会的に死ぬんだよ」
気を付けろよ、と桟敷は真顔だったが、昨日の異常な経験のせいか「中二病を発症したかな?」としか思えなかった。
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