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1.セイ
しおりを挟む重たい闇の堆積した体育館で、ぐちゃぐちゃの赤い液体まみれのあいつは笑った。
床に転がった三本の懐中電灯の白い光の真ん中で、それは美しくもなんともなかった。
ただ、圧倒的だった。LEDの光よりも固く、この空間を満たした闇よりも尚冷たく。
「――わたし達の人生って、そんなお高い映画じゃないじゃん」
現実を、あいつはそう言葉にしたのだ。
ジャージに飛んだ赤い飛沫と同じ色の呪いが、その下には広がっている。
あいつを前にした俺の体も赤く汚れていて、どろりと頬を伝って落ちた。
その赤と同じ色のものを、脈々と送り出している左胸が、高く音を響かせる。
この瞬間、確かに俺たちはいた。
セイとシの、世界の真ん中に。
◆ ◇ ◆
「すっごいエロい動画がある」
給食後の昼休み、クラスメイトの桟敷が深刻そうに「渡り廊下に来い」というので行ってみたら、開口一番がこれだ。
「何? Youtube?」
「違ェよ。そんなとこにエロなんて転がってないだろ」
DVDだよ、と囁く桟敷の言葉はとても甘ったるく聞こえた。そのせいで、滅茶苦茶気持ち悪いな、と俺は少し身を引いた。
「つまり、それってAVってこと?」
14歳という思春期真っ盛りの俺たちは、どうしたってエロに飢えている。ネットの、Youtube以外のYoutubeには、エッチな動画がたくさん転がっているらしいが、俺も桟敷もまだスマホを持たせてもらっていない。
そんな中で、桟敷のヤツがAVを手に入れてきたとなれば、これは正しくヒーローとしか言いようがない。何せ、ヒーローは「H」で「ERO」だ。
「AVねぇ……。それよりも、もっとスゴいもんだぜ?」
「もっとスゴい……? どういう?」
桟敷は渡り廊下の周囲を見回した。昼休みのこの辺りは、教室にいるところがなくてここでボーっとしている生徒が多い。そういう連中は、あんまり他人に気を配らないので、内緒話をするにはぴったりだ。
それでも、桟敷はよほど警戒しているのか肩をすくめる。
「ちょっとこれ以上はここでは言えねェなあ……」
「引っ張るなあ」
危ないからな、と桟敷は一瞬真顔になった、ように見えた。
「まあ、そうガッツくなよ。貸してやるからさ。百聞は一見に何とか、って言うだろ?」
確かにそう言う。何とか、は俺も分からない。
「貸してくれるのか!」
「おう。ただし、今ここでじゃない」
何で、と問うと、「リスクが高いんだよ」と一層声を低くする。
「いいか、よく聞けよ? 特殊な受け渡し方法だ」
耳貸せ、と桟敷は俺の腕を引っ張る。
「……分かったか?」
「分かったけど、DVDってよく考えたら見られないかも」
パソコンは親のだし、プレステは兄が大学の下宿に持って行ってしまったし、俺の部屋のテレビには再生装置がついていない。
「安心しろ、中古で買ったポータブルプレイヤーを一緒に貸してやる」
「そんなものまで!?」
このDVDのために買った。桟敷はどこか誇らしげだった。
「壊すなよ? あと、取り上げられたりしたら絶対駄目だ。返すときは俺んちに直接来るか、さっきの隠し場所に戻せよ」
分かった、と俺はうなずいた。うなずいてから、少し「あれ?」と思う。
「直接桟敷ン家行っていいんだったら、そこで受け渡してくれたらいいんじゃ……」
「馬鹿野郎!」
この渡り廊下に来てから一番大きな声を桟敷が出したので、俺はビクッとなった。
「この受け渡し方法だからロマンがあるんだろ」
また声のトーンを落として、桟敷はそうウィンクした。気色悪い。というか、スパイごっこがやりたいだけじゃないか。
午後10時の校舎は、昼間の姿が思い出せないくらいに、巨大で威圧感があって、まるで俺のことを飲み込もうとする怪物みたいでさえあった。
桟敷は「スパイごっこ」の仕込みを、「放課後学校に帰ってすぐやる」と言っていた。
(だからお前は夜に取りに来い。親は夜に出ても気付かないんだろ?)
確かにそうだけども、酷い時間指定便もあったものだ。家に直接持ってきてくれればいいのに。桟敷のロマンはよく分からない。
(ロマンと実利だ。昼に渡すのリスク高いんだよ、マジで)
施錠もされて監視カメラがありセコムも効いている夜の学校に来る方が、よっぽどリスクが高いと思うし、そう言ってみた。
(大丈夫だ。フェンスが破れてるとこがあるんだ。そこから入ればいい)
実際のところ、監視カメラは校門と裏門にしかないし、滅多なことをしない限りセコムはやってこないらしい。
(滅多なことっていうのは、鍵のかかった校舎に入ろうとしたりとか、窓を割ったりだとか、そういうことな。鍵をこじ開けようとすると、あいつらすぐ来るから……)
まるで実体験みたいに聞こえたのだが、多分気のせいだろう。そうであってくれ。
というわけで、俺はフェンスの破れ目を通って夜の学校に侵入した。
目的の「ブツ」はそこからすぐの体育館、正確にはその床下にあった。
床下と言っても、別に地下に潜るわけじゃない。うちの中学の体育館は、建物をコンクリの板の上に載せた感じの、上げ底のような造りをしている。床下のメンテナンスを簡単にできるようにするためとか、そういう理由があるのか知らないが、とにかく地面よりも高いところにある。
だから、体育館に入るには階段を上るのだけど、ちょうどその裏っていうのが人や物を隠すのにいいスペースになっている。俺が小学生だったら、昼休みのかくれんぼで絶対使ってただろう。
桟敷も同じように考えていたらしく、ここに「ブツ」を入れたクッキー缶を隠したそうだ。このスペースをそういう風に使ってみたかったんだろう。
夜闇の中を、姿勢を低くして進む。破れ目から体育館までは少しの距離とは言え、俺は内心ビクビクしていた。
鍵には絶対触らない。監視カメラは校内にはないが、用心するに越したことはない。物理的なリスクは全部避ける。
そして、夜の学校と言えばもう一つ。そう、幽霊だ。そっちも見ていない、と思う。いたとしても俺には見えてないだけかもしれないが。
やれやれ、と俺は一つ呼吸を置いた。
AVのためだけに、ここまでしないといけないとは。ちょっと楽しいのが悔しい。桟敷め、よっぽどエロい動画でないと、許さんからな。
こうして、俺は体育館の前まで辿り着いた。
静かで薄暗い中に佇む体育館は、どこか寂しげにさえ見えた。窓も扉もカーテンも、すべてを閉ざしてこちらを拒んでいるようで――。
おや?
俺は闇の中で目を凝らす。
体育館には正面以外にもいくつか扉がついているものだ。小学校のもそうだったし、全国的にも多分そうだろう。
その内の一つが、少しだけ開いていた。
こんな時間に誰かいるのか? 一体誰だ、夜の学校にいる俺以外の馬鹿は。
(ちなみに、セコムが来るのは校舎の鍵を開けようとした時だけだから。体育館とかは別にそういう仕組みはないらしい。古い建物だしな――)
桟敷の言葉が蘇る。何であいつそんなこと知ってるんだ、とは思うが、この言葉を信じるならば、これから別にセコムが駆けつけてきたり、中に既にセコムがいる可能性は低いわけで。
目的の「ブツ」は床下だ。中には用はない。究極的に関係ないのだ、体育館の中で誰が何をしていようが。
(気が向いたら体育館の中にでも入ってみたらどうだ? 面白いかもよ――)
あの時は、「馬鹿か?」と思った桟敷の言葉だが、どうやら俺の気はあの扉の少しの隙間に吸い寄せられてしまったらしい。
「ブツ」を床下に残したまま、俺は階段を上がってその魅惑の隙間を覗き込んだ。
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