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父の日
しおりを挟む―もうすぐ父の日。
何をプレゼントしようかな!? ちゃんとありがとうって、言えるかな!?
ちょっとどきどきしながら迎える、お父さんのいる父の日―
僕のお父さんは、僕が幼稚園のときに事故で死んでしまった。
お父さんは一人息子だった。
お母さんはお父さんの思い出を大切にしたいと言って、お父さんの両親と暮らすことを願い出た。
おじいちゃんとおばあちゃんは喜んで承諾し、お母さんは僕を連れておじいちゃんの家に移った。
僕は小学校に入学して、お母さんは会社に勤めるようになった。
家にはおばあちゃんがいてくれてたので、僕はひとりで留守番することもなくて寂しくなかった。
その頃はおじいちゃんもまだ働いていて、おじいちゃんが僕のお父さん代わりだった。
父の日も、僕ん家はおじいちゃんの日だねって言うと、おじいちゃんは嬉しそうに僕の頭をぐりぐりと撫でた。
お母さんとおばあちゃんは、おじいちゃん良かったわねって、二人して顔を見合わせて笑っていた。
お父さんを失った悲しみは家族が生きる日常に溶け込み、時間の流れは癒しとなり語らう思い出の中で笑顔をもたらすようになった。
そして僕も二年生、三年生と進級するに従ってだんだんお父さんの記憶は薄れ、いつしかお父さんという存在の感覚も失くしていた。
再び僕にお父さんの言葉が戻ったのは、四年生に進級する年のことだった。
お正月が明けて、お母さんはお仏壇の前に僕を呼んだ。
お仏壇は居間と続きの和室にあり、おじいちゃんとおばあちゃんもいた。
何だか改まった雰囲気が子供心にもわかった。
おじいちゃんは落ち着かない様子の僕に、まわりくどい説明は省いて話し始めた。
「稔、これから話すのはね、お父さんの話だ」
「お父さん!?」
「そうだよ、稔の新しいお父さんだ。おじいちゃんもおばあちゃんも、とても良い話だと思っている」
「・・・・・・おじいちゃんとおばあちゃんは?」
しかし口をついて出たのは新しいお父さんのことよりも、おじいちゃんおばあちゃんとのことだった。
別れの予感。おじいちゃんの家を出て行く。
お母さんの方を見ると、目が真っ赤だった。
「おばあちゃん!」
おばあちゃんは、涙で潤んだ目で僕を見つめていた。
それは既に決まったことのようだった。
おじいちゃんは最後にひと言呟いて、話を終えた。
「稔は優しい子だ」
新しいお父さんの話を聞いてから暫く経った日曜日、その人が挨拶に来た。
その人はお母さんの会社の取引先の人で、仕事関係で知り合ったらしい。
詳しい経緯や過去の経歴などは、僕が大人になってから自然に知ることだった。
お仏壇のお父さんの写真に手を合わせた後、その人は僕に向き直って言った。
「初めまして、稔くん。まずおじさんは、君とたくさん遊びたい」
お母さんはそれから度々、その人を家に連れて来るようになった。
会う回数が増えて僕の人見知りの緊張が取れると、今度は外でも会うようになった。
遊園地にも動物園にも連れて行ってくれて、最初の言葉通りたくさん遊んでくれた。
いつの間にか僕を呼ぶのも、稔くんが稔になって君がお前になっていた。
おじさんはおもしろい話もいっぱい知っていて、一緒にいると楽しかった。
お正月から半年後の六月、父の日にお母さんはおじさんと入籍し、おじさんは僕のお父さんになった。
その夜、お母さんに「父の日にお父さんが出来ちゃうなんてね!」と言うと、傍にいたおじさんがお父さんと言ってもらえたと思ったようだった。
「うおーっ!」と歓声を上げながら、僕に抱きついて来た。
僕は一瞬戸惑ってしまったけど、でもおかげですんなりお父さんと呼べるようになった。
それからの新生活は慌ただしかった。
おじいちゃんたちの家を出てお父さんの家に引っ越すと、お母さんはお勤めを辞め僕は小学校を転校した。
四年生の二学期から新しい学校に通いだして、名字が変わっていてもここでは最初から僕はお父さんの名字なので全く普通でいられた。
おじいちゃんたちと離れた寂しさは、すぐに目新しい日々の生活の中に埋もれていった。
お母さんから「今週はおじいちゃんの家に電話したの?」って聞かれても生返事で誤魔化して、しないことが多くなった。
五年生になるとサッカークラブにも入った。
野球が好きなお父さんはちょっとがっかりしていたみたいだったけど、翌日にはサッカー入門なんて本を読んでいて、お母さんに笑われていた。
それともうひとつ、五年生になって嬉しいことがあった。
お小遣いをもらうようになったこと。
「500円?」
「そうだ。500円、少ないか?」
「ん・・・500円で買えるものって、少ないよ」
「だからお金の使い方を覚えなさい。いいか、この500円は稔が自由に使っていいお金だ。
何を買ってもどんな使い方をしても稔の自由だ」
「本当!?何を買ってもいいの?」
「ああ。だけど、自由にもルールがあることを忘れちゃダメだぞ」
「ルール?いま何を買ってもいいって言ったよ」
「学校の帰りに、その500円で買い食いしてもいいか?」
「それは、だめだけど」
「そういうことだ。稔、良し悪しの区別、わかるな?」
「うん!ちゃんと考えて使うよ」
「よし!ほら、これ。お母さんからのプレゼントだ」
お母さんが青色の小銭入れを買ってくれていた。
文房具や本、おやつのお菓子などはいままで通りに買ってもらうので、案外500円のお小遣いでも賄えた。
5月は母の日に、赤いカーネーションの花束をプレゼントした。
初めてひとりで花屋さんに行って、たくさんあるカーネーションの中から迷いながらも大奮発して350円の花束を買った。
お店のおじさんがおまけしてくれたから、値段以上に豪華に見える感じになった。
僕は喜んでくれると思ったのに、お母さんは「花束!お小遣いで足りたの!?」って、すごく心配そうな顔をした。
仕方なくて、値段は言わなかったけどお店のおじさんがおまけしてくれたことを言うと、安心したみたいに嬉しそうな顔で花束を抱えた。
後でお父さんにこそっと値段を言うと、ほおっ!っていう顔をしながらすごく褒めてくれた。
「えらいぞ!そういうのを、生きたお金を使うっていうんだよ。
父さんの方が、稔を見習わなくちゃいけないなぁ」
「へへっ、ねえ、お父さんは何をプレゼントしたの?」
「父さんか?内緒だ」
「えーっ、そんなのずるいよ!・・・いい、お母さんに聞くから!」
「母さん!言っちゃダメだぞ!」
お母さんのところへ行こうとする僕を、お父さんが後ろから抱き留める。
「離してよぉ!あーっ、お父さん照れてるんだぁ!あははっ!」
どったん、ばったん、ふざけあう僕たちに、お母さんの笑い声が交ざった。
僕とお父さんの関係は、とても上手く行っていたように思う。
当然母の日の次に控える父の日は、早くから意識した。
お小遣いは月初めにもらう今月分の500円と、先月余った分を残しておいた150円。
650円入ったサイフを見ながら、あれこれと考えていた。
もうすぐ父の日。
何をプレゼントしようかな!? ちゃんとありがとうって、言えるかな!?
ちょっとどきどきしながら迎える、お父さんのいる父の日。
僕はお父さんといると楽しくて夢中だった。
そうして迎えた六月第三日曜日。
休日の遅い朝食を済ませた後、お父さんにプレゼントを渡した。
「お父さん、・・えっと・・いつもありがとう!これ、使って」
どきどきが一気に弾けて、お父さんの驚き混じりの顔を見たら、やったぁ!って気分だった。
「稔に父の日を祝ってもらえるなんて、父さん本当に嬉しいよ。綺麗な包装だね。開けてもいいかな」
お父さんは包みを丁寧に開いた。
僕がプレゼントに選んだのは、ノック式の三色(黒、赤、青)ボールペン。
お父さんがいつもボールペンを背広の内ポケットに差しているのを、僕は知っている。
グリップが太くて全体にどっしりした形のボールペンは値段も500円と、僕のお小遣いの一か月分もしたけど、全然惜しいなんて気持ちはなかった。
お父さんは箱に入ったままのボールペンを、暫く黙って見ていた。
そしてまた丁寧に箱のフタを閉めて、僕の前に返した。
「お父さん・・・?」
「稔、これはもらえないよ」
まさかの言葉に僕はすっかり動揺してしまって、咄嗟の言葉さえも出なかった。
お父さんは怒っているふうには見えなかった。
「気に・・入らないの?気に入らないのなら、他のと代えてもらってくるよ!」
ああそうだ・・・困ったような顔だ。お父さんは静かに問いかけてきた。
「稔、おじいちゃんには何をしてあげたんだ?」
ドクンッ!
お父さんは知っていたのかな・・・。
最近あまり話をしなくなって、電話すらしていなかったこと。
お母さんから聞かれても、生返事で誤魔化していたこと。
「おじいちゃん・・・どうしておじいちゃんの話するの!今日はお父さんの日だよ!」
ドクンッ!
―父の日も僕ん家はおじいちゃんの日だね―
・・・でも!忘れていたわけじゃないよ!
「稔には、おじいちゃんの日でもあるんだろ?」
ドクンッ!ドクンッ!
だって・・・だって!忙しかったんだ!
新しい学校、新しい友達、新しい名字、新しい・・・お父さん!
僕、一生懸命プレゼント選んだんだよ!
―稔は優しい子だ―
おじいちゃん!!
胸が張り裂けそうに苦しくなって、その苦しさを振り払うように喚き散らした。
「父の日だよ・・・僕のお父さんはお父さんなんでしょ!!おじいちゃんは関係ない!!」
「稔!!」
立ち上がりながらのお父さんの怒鳴り声に、身が竦んだ。
これまでも窘められる程度に叱られたことはあったけど、怖いと感じることはなかった。
思わず、叩かれる!?と両手で避けるようにして身を覆ったら、体ごと捕まれて隣室に連れて行かれた。
そしてそのまま腰を下ろしたお父さんの胡坐の上に、強い力で引き倒された。
お父さんはもがく僕の背中を片肘で押さえ込み、もう一方の手でズボンのホックを外した。
下着ごとズボンが引き下ろされて、お尻に空気を感じた瞬間――。
ばちんっ!
それは痛みと熱に変わった。
「うえぇっ・・・やだ!やあぁ・・・だ・・て・・・僕・・・ふええぇん・・・」
一度に痛みだけの涙じゃない涙がブワッと溢れ、さらに続けざまに二度三度、そんな僕の感情を押し出すようなお父さんの平手が降った。
ばちん! びしゃん!
「うわあああんっ!!わああぁぁん!!・・・・・・・」
悔しさも恥ずかしさも何もかもどうでもよくなって、ただ思いっきり泣いた。
泣いて泣いてその間もいくつか打たれたけど、もう僕の心に残っていたのは、お父さんの手の平の熱い感触だけだった。
「稔、おじいちゃんやおばあちゃんに電話する時間は、1日の内に何分かかる?お前の1日は何時間あるんだ」
泣き声も掠れて出なくなった頃、お父さんは反省を促すように聞いてきた。
おばあちゃんに、新しい学校でたくさん友達が出来たこと言ってなかった。
―稔はちょっとおとなしいから、おばあちゃん心配だわ―
おじいちゃんに、サッカークラブ入ったこと言ってなかった。
―稔のお父さんは、足が速かったぞ―
胡坐の上に腹ばいになったまま、お父さんの膝を抱える両手に力が入った。
「おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい。僕は元気だよって」
「そうだな。ほら、お尻仕舞うぞ」
「それから・・・おじいちゃんに、今日は父の日でおじいちゃんの日だねって」
「うん」
お父さんは僕の話に耳を傾けつつ、下着とズボンを元通りに直してくれた。
お父さんの膝の上は温かくて、ずっと昔にもあったような感覚が記憶の片隅に甦った。
懐かしさと心地よさと少しの恥ずかしさに、僕は面と見ることが出来ずお父さんの膝に顔をつけた。
「ごめんなさい」
「何を謝ることがあるんだ?誰にも謝ることはないんだよ。おじいちゃんもおばあちゃんも、怒ってなんていないさ。稔がわかっていればいいんだよ。ごめんなさいは、父さんの方だ」
「お父さん・・・」
「父さんも稔の良い父親でいようと一生懸命だった。楽しいことばかりでも、息を抜くところがなくては疲れてしまうからね。お前にそうさせてしまったのは、父さんの責任だ」
お父さんは僕の頭を撫でながら、自分の気持ちを告白するように話した。
お父さんの言葉の意味を理解するには僕はまだ子供で無理だったけど、お父さんも僕と同じで一生懸命だったということだけはわかった。
「お尻、まだ痛いか?」
やっと起き上がった僕に、申し訳なさそうに聞くお父さんが何だか可笑しくて、わざと口を尖らせた。
「痛いよ。でも、お父さんが僕のプレゼントを受け取ってくれたら、痛いのも少しはマシになるかもだよ」
「・・・ありがとう、稔。あのボールペンは父さんの宝物だ。もったいなくて使えないな」
お父さんの目尻がキラリと光ったような気がした。
「もう!使わなきゃ意味ないよ!」
「はははっ、そりゃそうだ。大切に使わせてもらうよ。稔、それじゃおじいちゃんの家に行くか!」
「うん!行く!」
急遽おじいちゃんの家に行くことになって、慌てて用意をしなくちゃいけなくなったお母さんは、お父さんに文句を言いながらも嬉しそうだった。
お父さんの車でおじいちゃんの家に向かった。
向かう道の途中で、おじいちゃんにも父の日のプレゼントを買った。
夕方到着すると、おばあちゃんが晩御飯を作ってくれていて、皆で早い夕餉の食卓を囲った。
その席で僕は、おじいちゃんに父の日のプレゼントを渡した。
プレゼントはおじいちゃんの大好きなおまんじゅう。
150円しかなくてお母さんがお金を出してくれようとしたけど、僕は自分のお小遣いで買いたかったから、80円と70円のおまんじゅうを一個ずつ選んだ。
そしたら事情を知ったお店の人が10円おまけしてくれて、80円のおまんじゅうを二個買うことが出来た。
たった二つなのに箱に入れてくれて、和紙の包装紙に包んでくれた。
おじいちゃんが喜んだのはもちろんだけど、とりわけ僕のお小遣いで買ったことに感激していた。
おばあちゃんはそのうちの一つを、お仏壇のお父さんにお供えした。
「稔、ありがとうね」
違うよ、おばあちゃん。
今日は父の日なんだから。
「お父さん、ありがとう」
そう言ったら、お父さんとおじいちゃんが、お仏壇のお父さんの写真と同じように微笑んだ。
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