暗殺貴族【挿絵有】

八重

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第4章 サリエル編

始まりの話③

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 その日、私はいつも通りアイリスと会う裏路地へと向かっていた。
 ちょうど路地が見える上空まで来た時、小汚い格好をした男が小さな少女に掴みかかっているのが見えた。


「……ダメっ! …こ、これは家族のぶんなの」

「てめーは毎日めし食べてるんだろっ!? だったらそいつくれたっていいだろーがっ!」


 急に乱暴に怒鳴る男に怯えながらも、アイリスはパンの入ったバスケットを手放そうとしなかった。それだけそのパンがアイリスの家族にとって大切なものだったのだろう。
 幼いアイリスは小さな体で必死にそれを守ろうとしていた。


「あいつ…っ!」


 空を急降下してすぐにアイリスのもとに降り立った。


「アイリス! パンは諦めろ! すぐに逃げるんだ!」


 男に怒鳴っても無駄だとわかっていた私はアイリスにそう言った。


「サリー! でも…」

「また1人で喋ってやがる! お前気色悪いんだよっ…! 離れろよっこのクソ餓鬼っ!」


 ドンと強い力でアイリスの体が押された。相手が幼い少女とか、そのような事は関係ない強い力。
 アイリスの小さな体は簡単に飛ばされ、石造りの壁へと頭からぶつかることになった。

 その衝撃的な出来事に私の体は一瞬硬直した。

 壁にバウンドしたアイリスの体は再び地面へと強く叩きつけられる。その瞬間わたしはハッとし、アイリスのもとへと駆け寄っていった。


「アイリスっ」


 地面に叩きつけられた時小さな段差の角に頭をぶつけたようで、少しの時間差のあと倒れた彼女の頭付近にジワリと赤い液体が流れ出た。
 嫌な予感がする。


「アイリスっ! アイリスっ!」


 何度も名前を呼ぶが反応はなく、私は傷を見ようと彼女を抱き上げようとした。
 しかし、私の腕は彼女の体を通過するだけで、その傷ついた体を持ち上げることができなかった。


「っく……!」


 肉体がないから触れる事もできない。

 助けを呼んだって誰の耳にも入らない。

 出来る事はひたすら彼女の名前を叫ぶ事だけ。


「アイリスっ! しっかりしろ! アイリスっ! アイリスっ!」

「……お、俺は何もし、してないんだからなっ。…が、餓鬼が勝手にこけただけだっ…じょ冗談じゃねぇっ」


 後ろから聞こえた声に私は叫ぶのをピタリと止めた。沸々と煮えたぎる怒りを抱え私は男の方を振り返る。
 男はバスケットからこぼれ落ちたパンを全て拾い上げており、それら全てを回収すると慌ててその場から逃げ去ったのだ。
 私は怒りに震え、その男を追おうとした。がその時、うぅ。と苦しそうなアイリスの声が聞こえてきた。


「アイリスっ!」


 良かった。生きている。
 その時、私がどれほど安堵したか。


「アイリス聞こえるか?」


 私の声に反応し、アイリスがこちらを向く。そして彼女はふっと穏やかな笑顔を私に向けてくれたのだ。

 そう。命つきるその瞬間に。



*********



「その時、私は初めて大事なものを失った。失う事の辛さを知った…。
 そしてアイリスに触れる事も、助ける事もできなかった自分の存在を何度も何度も呪った」


 サリエルは俯き、ギュッと唇を噛んだ。


「……だから、次にアイリスの魂がこの世に生を受けた時、触れられる存在になりたいと思った」


 サリエルはそう言うとジッとリラを見つめた。


「だから私は神に背き、堕ちた天使としてメイザース家と契約したんだ」

「え……?」

「メイザース家の者は寿命が短い事を聞いただろう?」


 サリエルの言葉にリラはコクンと頷く。


「…力を使うから体に負荷がかかると…。そう聞きました」


 初めてメイザース家に来た時、マディーナにそう説明されたの思い出す。


「それは真実ではない。
 メイザース家がみな寿命が短かったのは、私が力を与えた者から生命力を半分奪っていたからだ」


 リラはサリエルの言葉の意味を噛み砕くのに少し時間がかかった。そしてその意味を正確に捉えるとその瞳を大きく見開く。


「っ……! な、何で…何でそんな事を…!」

「この肉体と人間としての寿命を得る為だ」


 まるで自分には全く関係ないことのように淡々と答えるサリエルにリラは強い口調で詰め寄る。


「そんな事の為に…! それは皆さん知っていたんですか!?」

「いや、さっきリラが言ったように体に負荷がかかるからだと思っていたようだ」

「じゃあ…皆さん知らずに…。ラリウス様達のご両親も!?」

「あぁ」

「ラリウス様ご本人達も!?」

「あぁ、そうだ」

「っ……そんな、何でそこまでして…」


 リラの脳裏に寂しそうに笑うアン達が浮かび上がる。

 両親の話になった時、早く亡くなったのは仕方ない事だと言って皆寂しそうに微笑んでいたのだ。


「一体、何人の未来を奪ってきたんですかっ!」

「悪かったと思ってる。
 だが、誰にどれだけ恨まれようと私はどうしてもこの体を手に入れたかった」


 サリエルは自分を睨みつけるリラを見つめ返し、一呼吸置いて口を開く。


「アイリス……。いや、リラに触れる為に」

「……わたし?」

「リラ。お前はアイリスと同じ魂の持ち主。所謂生まれ変わりだ」


 リラは聞かされた言葉に頭が追いつかず、口を開いたものの言葉が出てこなかった。


「やはり、いきなりは受け入れがたいだろうな」

「な…何かの間違い、よ…」


 絞り出した否定の言葉は掠れ、微かに震えていた。


「私が間違うはずない。リラはアイリスの生まれ変わりだ」

「ち、違う…! だって、私はあなたの事なんか知らないっ!」

「当たり前だ。以前の記憶を持つものは殆どいない。
 しかし、気づいてるはずだ」


 何か見透かされるような視線を受け、リラは小さく身じろぎした。


「……な、何を」


 ひと呼吸置いてサリエルが口を開く。


「リラは私の事を完全に拒否出来ていない」


 リラはその言葉に息を飲み込んだ。


「…そ、んな事ない」


 力強く否定したいのに出来ない自分がいることにリラは小さく戸惑う。


「そんな事……」

「本当にそうか?」

「っ! 私はあなたなんて嫌いですっ」


 カッとなって思わず出た言葉にリラはハッとした。


「………まぁ、それならそれでいい。
 お前がどう思おうと私はずっとリラのそばにいる。ただそれだけだ」


 それは自分がどんなに彼を拒絶してもそれ自体彼には関係のないという事。
 リラはサリエルの言葉に彼の固い意志を感じた。


「……あなたがそう思うのは罪悪感からですか?」


 リラがそう尋ねるとサリエルは少しの間をあけ答えた。


「罪悪感がないと言ったら嘘になるが…、一番はリラと一緒にいたい」

「私と……?」

「いや…違うな。私はただ……。お前が欲しいのだ」


 その瞬間、リラはゾワリと鳥肌をたてた。
 この眼だ。静かな狂気を含んだ瞳に今にも浸蝕されてしまいそうになる。


「……」


 リラは言葉を返す事も目を逸らす事も出来ず、ギュッとシーツを握りしめる。少ししてサリエルはふとリラから視線を外しソファーから立ち上がった。


「まぁ…そういう事だ。抵抗はあるだろうが私は引かない。少しずつ慣れろ。
 じゃあ、また明日の朝来る」

「そ、そんな事言われてもっ―…。……どうすれば…いいのよ…」


 リラはサリエルに向かってそう言葉を投げかけたが途中で扉は閉まり、最後の方の言葉は虚しく壁へと吸い込まれていったのだった。


「そんな事言われてもっー…」


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