手の届かない君に。

平塚冴子

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2学期

間違いじゃない!

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僕は傷心のまま、食堂に向かうと、待ち伏せしていた葉月に捕まった。
網を張るなっつーの!
「先生、婚約者の話しをして下さい。」
「はあ?」
「ライバルの事は知りたいんです!」
「ははは。」
葉月を追いやる気力もなかった。
食欲もあまりなかったので、キツネ蕎麦を頼み
葉月とテーブルに着いた。
「おい!正面に行けよ!何で右隣に座るんだ?」
「恋人同士はこっちの方がいいんです。」
「恋人って…あのな!」
身体をすり寄せて来る葉月から身を離した。
その時、清水先生と田宮真朝が2人で食堂に入って来た。
2人だけ…?牧田はいないのか?
清水先生がこっちに気が付いた。
ニヤリ。
「!!」
不敵な笑いをされた!何だよそれ!その顔は!
田宮も気が付いた。
いつものように軽く会釈をして通路を挟んだ
テーブルに着いた。
何を話すのか気になった。
耳をそばだてようとした途端、葉月がすり寄って来た。
「先生!婚約者の名前って何?同級生だった人?どこが好きなんですか?」
「こらー!別にいいだろ、僕のプライベートだ!」
「だって!まだ結婚はしてないんです!
結婚破棄する事もあり得るじゃないですか!
不満はないんですか?」
「勘弁してくれ。」
「じゃぁ!携帯見せて下さい!
写真くらいありますよね!」
「あ、コラ!勝手に!」
久瀬の時と同様に葉月は素早く携帯を奪った。
横目に、清水先生と田宮が楽しそうに話すのが目に映った。
肩を揺らして、笑う田宮。
何で…その笑顔を僕には向けてくれないんだ…。
「…先生!ロック外して写真見せて!」
「あ、ああ…。」
僕は、気の無い返事で葉月を黙らす為に、香苗の写真を見せた。
香苗の写真フォルダには結構古い写真もあった。

「香苗さんって言うんだ。ふ~ん。可愛らしい感じですね。ああ!キス写真が!」
「な!葉月辞めろ!」
学生時代の古い写真で、香苗とのキス写真があったのを忘れていた。
田宮に気が付かれ…。
彼女と視線が合ってしまった。
クスッと笑った気がした。
うおおおお!葉月!お前はぁ!

「返せ!」
僕は携帯を奪い取った。
「先生、真面目。
彼女以外の女の写真1枚もないんだもの。婚約者一筋なんだぁ。
手強いな。」
「判ったら、諦めろ!」
そう葉月に言いながら、僕は胸の手帳に手を当てた。
香苗以外の彼女の写真…。
清水先生と向かい合って笑う田宮…。
僕は、無言で席を立った。
「あ、先生!?待ってよ~。」
葉月の声を背中にして、足早に食堂を出た。

旧理科室へ向かう途中の玄関ホール。
僕はここで先回りして田宮真朝を待ち伏せた。
2人だけで、話したかった。
田宮美月の事、絵の事、そして僕とのキスの事…。
殆どの生徒が帰宅、もしくは部活で廊下には殆ど生徒がいない今、彼女を呼び止めるチャンスだと考えたのだ。
10分から15分くらい待っただろうか。
予想通り、田宮真朝が来た。
彼女の姿を見ただけで鼓動が激しく高鳴った。
彼女が僕の横をすり抜けようとした時、僕は彼女の白く柔らかい腕を掴んだ。

「武本先生…?」
「話が…したい。2人きりで。」
「今、ですか?」
「今、すぐに。」
彼女は少し困惑していた。
しかし、僕が真剣な目をしている事に気がついてくれたようだった。
「わかりました。でも、ここじゃぁ…。」
「こっち…きてくれ。」
僕は彼女を連れて、新校舎二階にある生徒指導室に入った。
生徒指導室は二畳ほどの広さで簡易テーブルとパイプイスが2、3個あるだけの部屋だ。
「先生、お話しって何ですか?」
入ってすぐに彼女が聞いてきた。
「何故、文化祭のポスターを君が描いてる?
しかも田宮美月の名で。」
「…!…そう。知ってるんですか、その事。
でも、別に大した事じゃ…。」
「大した事だろうが!
田宮美月は、お前を利用してるんだぞ!」
僕は彼女の変に普通な態度が気にいらなかった。
「知ってます、それを承知でやってます。」
「自分の言ってる意味が、判ってるのか?」

「先生…。人間はいつでも死ねるでしょ。でも、死んだら生き返る事はない…。」
「なんだ…何が言いたい?」
彼女の言う意味が即座には理解出来なかった。
「今、生きてる世界を辛くて最低で嫌になるくらいの苦しみの果てに死ねたなら…私は誰よりも幸せに死ねる。
2度と生き返りたく、なくなるくらいに…死後の世界を幸せに感じられる。」
透明で今にも消えそうな気がした。
「田宮…お前…。」
「だから…大丈夫なんですよ…先生…。」
彼女は女神のような笑顔で僕の顔を見上げた。
刹那的な美しさを感じた。
「…先。」
「……。」
僕は彼女を強く抱きしめていた。
消えそうで、壊れそうで…。

「田宮…この前のキス…。」
「ダメですよ…先生…間違えちゃ。」
「えっ…。」
僕は思わず、腕を解いた。
「酔ってたからって、婚約者と間違えちゃうなんて。
先生ドジっ子だよ。」
僕の鼻をツンと突くと、彼女は僕の腕をすり抜け出て行こうとした。
「まっ!違…。」
違う!間違えなんかじゃない!
僕は本気で君の事を…!
ガチャ。
生徒指導室が開いて、ドアの向こうに清水先生が立っていた。
「なーんだ?使用中?昼寝しようと思ったんだけど…。」
「いいえ。もう話も終わりました。
ね。武本先生。」
「あ、はい。」
清水先生は鋭い眼差しで僕を見ていた。
「それでは失礼します。」
何事も無かったように彼女はスッと出て行ってしまった。

僕は、清水先生と生徒指導室で2人きりになってしまった。
「お前…何してたんだ?」
いつものふざけた感じではない、本気の声だ。
物凄い圧を感じた。
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