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1学期
遠すぎる距離のなかで
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あれから、4日が過ぎた。
さすがに、噂なんてものはすぐにほとんど消えていた。
問題は彼女自身の僕に対する印象は最悪のままだという事だ。
授業中にあてても、黒板に解答を求めても彼女が僕に視線を合わせる事はなかった。
怒っているのとは少し違うと思った。
無関心…ただ、ただ、無関心なのだ。
モヤモヤは以前にも増してこの胸を苦しめる。
「清水先生。あの…」
保険医の山中女史が僕の隣でウトウトしていた清水先生に声を掛けた。
「んん?ああ、すみません。何か?」
「4組の田宮真朝についてですが、先日の健康診断の結果で…その相談がありまして。」
「田宮の?」
清水先生がチラリと僕を横目で見ながら、一呼吸置いた。
「向こうで、詳しい説明を聞きましょうか。」
まるで、僕に聞かせたくないようにして2人は職員室の端まで移動した。
健康診断…。
持病でもあるのか?確かに肌の色はかなり白い方だが、痩せ過ぎという訳でもなく、身長もそこそこあり、か弱いイメージはなかった。
いつになく、険しい表情で清水先生は話し込んでいた。
まさか、重病…じゃないよな。
話し終えた清水先生が、少し考え込みながら戻ってきた。
「彼女、何かしらの持病でもあるんですか?」
さりげなく装いながら聞いてみた。
「ん?いや、そういう事じゃないから気にするな。こっちの問題だ。」
こめかみに、人差し指を当てトントンしながら清水先生が言う。
本当は物凄く問いただしたかったけど、その気持ちを押し殺した。
「そんなに、気になる~?ダメダメダメ。人を頼っちゃ。
彼女の事が知りたければ自分から行動しなきゃ。」
いつもの、チャラい顔で僕の顔を覗き込む。まるで、ごまかしてるかのようだった。
「だから。違うって。はぁ。もういいですよ!。」
僕は苛立っていた。四月になれば何かが分かってスッキリすると思っていたのに、解決するどころかますます問題が増えていく。
脳の中に彼女の事を考える場所が増えていく…。
彼女の存在が遠すぎる。どんなに手を伸ばしてもかすりもしない。
僕は岸先生から貰った胃薬を口の中に投げ入れた。
「今日こそは、皆んなでお昼食べて下さい。クラス委員長としては、先生とのコミュニケーションは大切にしたいんです!!」
さすがに、何度も断り続けてもう断れない状態だ。
クラス委員長に就任した葉月のヤル気を潰す訳にもいかない。
「分かった、今日は食堂で食べるよ。
一緒に昼飯食べる奴はついて来い。」
クラスの全員に声を掛けた。
本音を言えば、食事くらい静かにしたいのだが教師と言う職業上、仕方なかった。
食堂と言っても、そこは私立でカフェテリア仕様になっていてかなり広い。
メニューも豊富で値段も安い。
「先生!こっち、こっち!席取って置きましたー。」
葉月は窓辺の長テーブル1列を確保していた。
「ああ、どうも。」
10人くらいの男女が待ち構えていた。
「先生、カレーかよ。もっと栄養つけろよ。」
男子生徒がふざけてこっちを見た。
「教師の安月給じゃ、これが限度だよ。」
苦笑いで答え、テーブルの中央に座る。
窓辺の席のせいか、食堂全体が見渡せた。
ドキッ。
左端に、彼女の姿が映った。
友達2人と来たらしく、ここから通路を挟んで左前の席に座った。
なるべく、彼女の方を見てない振りをしながら、眼の端でチラ見した。
今日は珍しく、三つ編みのお下げ髪にしていた。
うどんか蕎麦の麺類を食べるみたいだ。
ゆっくりと割り箸を割り、しなやかで綺麗な指は美しい箸の持ち方をした。
「先生って、彼女いるんですか?」
女生徒が興味津々で顔を近づけて来る。
「いるよ。」
「えー。どんな人ですか?年上?年下?まさか生徒とかー?」
「おいおい、生徒じゃ問題あるだろ。大学の同級生だよ。同じテニス部だったんだ。」
当たり障りのない返事だったつもりが、若い生徒達は予想外に盛り上がった。
「夢のような学校生活~。羨ましい!!よくあるシュチュエーションってのがいいな。」
「いやいや、そんなんじゃ…。」
騒がしいこちらのテーブルに彼女が気が付いた。
クスッ。
柔らかく穏やかに笑った気がした。
…まだ、脈があるのかもしれない。
そのうち、こいつらの様に普通に話せる日が来るのかもしれない…。
勝手にそう思うと、少しだけ胸が軽くなった気がした。
食堂で食べるのも悪くないな…。
昼食を終え職員室に戻ると清水先生と岸先生が椅子を囲んで話をしていた。
「おっ。武本!何かいい事あったんじゃねー?ニヤケて。」
「ニヤケて…ません!」
「そお?今にもスキップしそうに見えたけど。」
「何で職員室でスキップし始めなきゃならないんですか。
ったく、下らない事ばっかり言わないで下さい。」
清水先生の冗談をあしらって席に座ると、岸先生が話しかけて来た。
「では、まともな話でもしに今夜は飲みに行きましょう。週末ですし。」
「はいー?」
素っ頓狂な声を出してしまった。
「僕も、武本先生に色々話したい事もありますし。
清水先生は酔ってしまえば言葉数減りますから。」
「うっ。わかりました。」
清水先生の誘いなら速攻で却下したが、岸先生の誘いは断れない。
胃薬のプレゼントを貰ったお礼もしてないし。
「おっ。珍しい。お前の酔い潰れるとこ見てみたいな。
話のネタになりそう。」
向こう側で清水先生が不敵な笑みを浮かべた。
急に、清水先生は何かに気が付いて視線を僕を通り越した先に移動した。
「…おーい!こっちこっち。」
職員室のドアの方に清水先生が手を振った。
「失礼します。先生、教材を取りに来ました。」
田宮真朝…!
彼女が職員室へ入って来た。
「日直、ご苦労様。ちょっと待って。」
彼女は…僕の真後ろに立ち止まった。
こんなに、近づいた事はなかったと思う。
身体中に一気に緊張感が走る。
彼女の息づかいを感じた。
自分の鼓動が彼女に聞こえていないか心配になるくらい高鳴っていた。
白々しく、眼鏡を拭きながらごまかすのが精一杯だった。
清水先生はわざとらしく、僕を横目でみながら彼女に紙袋を渡した。
「田宮、入試の小論文の事だが…。何故あんな事を?」
僕に聞こえるように清水先生は彼女に問い掛けた。
小論文、そう言えば、あの時清水先生はあの小論文で彼女を気に入ったと言っていた。
内容は教えてもらえなかったが。
「それは、自分に嘘はつきたくなかっただけです。それだけです。」
ゆっくりと、柔らかな口調で彼女は答えた。
月曜に僕に発せられた、トゲのある声ではなく。優しく穏やかな心地よい声だった。
「…そうか。じゃあ、これを教室に。
生徒に配布してくれ。」
「はい。先生。」
彼女は静かに音もなく立ち去った。
…先生。そう言えば、まだ彼女は1度も僕を先生とは声を掛けてきた事がない。
彼女にとっては教師としての価値も無いのかと、少しネガティブ思考に落ち込んだ。
小論文…確か『自分について』だった。
2人の意味深な会話が耳にのこった。
彼女には謎が多過ぎる…。
まだ、四月に入ったばかりで部活の方も暇だった為に、早めに帰り仕度をした。
久しぶりの飲み会。
確かに四月に入って色々な出来事が多過ぎて、どこかでハメを外しておかなければ爆発してしまうかもしれない。
プラスに考えて、楽しもうと決めた。
本当なら清水先生を酔わせて聞き出したい事もあるが、もっと時間を掛けていこうと思った。
焦ると、あの落雷のような出来事が起きそうで怖かった。
僕は臆病になっているのかもしれない。
「武本先生、清水先生は少し遅れて来るみたいなので、僕と先に行きましょう。
馴染みの居酒屋ですが個室があるので顔見知りに会う事も少ないですよ。」
「はぁ。よく清水先生と行くんですか?」
「ええ。清水先生には色々と相談に乗ってもらう事も多いので。」
清水先生に相談なんかして物事が解決するとは思えないんだが…。
とりあえず、僕と岸先生はコートを羽織りまだ肌寒い四月の夜風を浴びながら予約してる居酒屋を目指した。
店の中は新入生歓迎会とかのお客さんが多い時期のせいか結構繁盛してるようだった。
岸先生に腕を引っ張られるように予約席に入る。
「とりあえず、生でいいですか?」
「あっ、はい。」
岸先生は早々にビールといくつかのつまみを注文した。
先に来たビールで軽く乾杯をした。
「よかった。本当は武本先生には断られるかもしれないって思ってたんで。」
「こちらこそ、色々とサポートして頂いてるのに。」
「…で、堅苦しい挨拶は抜きにして、実は…武本先生に、恋愛相談に乗ってもらいたくて。」
「ゴホッ。なっ。僕に恋愛相談ですかー?なんでまた。」
ビールでむせてしまった。
恋愛相談って、この僕に?
「武本先生と違って、僕は恋愛経験も少ないし、友達も少ない。
ほら、この前彼女いるって。だから…その。」
「僕だって別に恋愛経験豊富って訳じゃありませんよ。」
「いや~。僕よりはありますよ。
今、僕は初めて自分から好きになった娘がいるんです。
でも、何をどうしていいか…。武本先生は自分から告白とかしたんですか?」
顔を少し赤らめながら岸先生は照れ臭そうに聞いてきた。
「僕は…。告白は彼女からでした。」
言いながら思い出す。
そうだ、僕は今の今まで1度も自分から告白した事がなかった。
いつも、相手からの告白から付き合いが始まっていた。
今思えば…過去の彼女を本気で好きだったかさえ解らない。
流されていた気がする…。
「やっぱり、モテるんだな。武本先生は。なんていうか…イケメンとかじゃないけど周りに気を使ってくれる感じが、優しく思うんじゃないかな。
本音は見えづらい感じするけど。」
「優しいはないかな~。毒吐くでしょ僕。
それに、彼氏にしたら当たり障りのないタイプなんじゃないですか?顔もスタイルも平均ど真ん中って。
学生時代によく言われました。」
自虐的に笑ってみせた。
「優しくない人が、生徒と対立しただけであんなに落ち込みませんよ。」
「あれは…。」
こっちも少し顔が赤くなった。
「で、僕は今、キチンと告白した方がいいのか悩んでいて。」
「その娘は、岸先生に気がありそうなんですか?」
「多分。その、デートというかそういうのも何度か。手作りのお弁当とかも作ってくれたりして。」
「僕は自分から告白した事はないですけど、その娘からしたらやっぱり相手からの告白が嬉しいんじゃないんですか?
特に女の子はそういうのに夢持ってそうだし。」
「…本当は、告白するのは怖いんだよ。
告白した先を色々考えちゃって。」
そうだな。本当に。
男の方が告白するのに物凄い慎重になるのに女は以外に軽く告白してくる。
時間を掛ける事が無駄なように。
こっちが考える暇を与えてはくれなかった。
僕は…恋なんて…していなかったんじゃ…。
じゃあ、恋ってなんだ。
人を好きになるって何だ…やっぱり、僕は大人になりきれていない。
学校の猿達と同じだ…。
「いや~。遅くなってごめんな。球技大会の日程やらスケジュールの調整で揉めてな。」
清水先生が息を切らして入ってきた…かと思うと、僕の飲みかけのビールを飲み干した。
「ちょっと!また清水先生は!僕をイジリすぎですよ!」
「そう、怒んなよ。
急いで来たから喉が渇いたんだよ。
男が小さい事でグチるなよ。」
ドカッと僕の正面に座ると、ビールを追加しながら清水先生は僕に間髪入れずに問いただして来た。
「武本、お前。真朝ちゃんとどうい関係だ?何もない風には見えないな。
何か、怪しいんだよな。」
突拍子もない質問に半ギレ気味に答えた。
「真朝ちゃんって…!怪しいって…!確かに好きとか嫌いじゃありませんけど、ちょっと気になる事があるだけです。」
「ほうほう。」
岸先生も清水先生と一緒に身体を乗り出して来た。
「今は…言えません!」
「えー。何だよそれ。」
2人同時に引いた。
「僕自身だって確証がない事なんですよ!だから話したくても話せないんです!
とにかく、そのうち本人に確認とって解決したら、話しますよ!」
「ふーん。やっぱり秘密があるのか。でも、先に言っておく。
彼女には近づきすぎないようにしろ。
危険…いやむしろ彼女を危険な目に合わせる可能性がある。」
急に真面目な顔で僕を見据えた。
「危険…って。まさか…田宮美月が関係してるんじゃ…。」
「おっとぉ。それ以上はこちらも言えないな。
何せ恋のライバルには!」
また、話をはぐらかしにかかった。
「田宮美月って、あの人気者の美人副会長ですよね。
生徒にも教師の間でも好かれてますよね。何かあるんですか?」
1人、話しについて行けない岸先生が疑問を投げかけた。
「お前は純粋だな!岸~!そこがお前の可愛いとこだな。
田宮美月みたいな女を魔女って言うんだよ。騙されるなよ~。」
魔女…確かに。あのいくつもの仮面を使い分けてる言動はまさに魔女そのものだ。
「珍しく、清水先生と意見があいました。僕も彼女には醜悪を感じてます。」
「へぇ。以外だなぁ。武本も騙されるタイプかと思ってた。」
「おかげさまで、僕も毒持ってますので。」
「なるほどねー。だははは。」
バカ笑いしながらビールを仰ぐ、清水先生は何処までが本気なのかさっぱり判らなかった。
そんな、こんなで馬鹿騒ぎ状態になり僕もストレスが溜まっていたせいで飲みすぎてしまった。
頭がボーっとする。
遠くで彼女の…田宮真朝の声が聞こえた気がした。
『ダメだよ…先生…。』
さすがに、噂なんてものはすぐにほとんど消えていた。
問題は彼女自身の僕に対する印象は最悪のままだという事だ。
授業中にあてても、黒板に解答を求めても彼女が僕に視線を合わせる事はなかった。
怒っているのとは少し違うと思った。
無関心…ただ、ただ、無関心なのだ。
モヤモヤは以前にも増してこの胸を苦しめる。
「清水先生。あの…」
保険医の山中女史が僕の隣でウトウトしていた清水先生に声を掛けた。
「んん?ああ、すみません。何か?」
「4組の田宮真朝についてですが、先日の健康診断の結果で…その相談がありまして。」
「田宮の?」
清水先生がチラリと僕を横目で見ながら、一呼吸置いた。
「向こうで、詳しい説明を聞きましょうか。」
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持病でもあるのか?確かに肌の色はかなり白い方だが、痩せ過ぎという訳でもなく、身長もそこそこあり、か弱いイメージはなかった。
いつになく、険しい表情で清水先生は話し込んでいた。
まさか、重病…じゃないよな。
話し終えた清水先生が、少し考え込みながら戻ってきた。
「彼女、何かしらの持病でもあるんですか?」
さりげなく装いながら聞いてみた。
「ん?いや、そういう事じゃないから気にするな。こっちの問題だ。」
こめかみに、人差し指を当てトントンしながら清水先生が言う。
本当は物凄く問いただしたかったけど、その気持ちを押し殺した。
「そんなに、気になる~?ダメダメダメ。人を頼っちゃ。
彼女の事が知りたければ自分から行動しなきゃ。」
いつもの、チャラい顔で僕の顔を覗き込む。まるで、ごまかしてるかのようだった。
「だから。違うって。はぁ。もういいですよ!。」
僕は苛立っていた。四月になれば何かが分かってスッキリすると思っていたのに、解決するどころかますます問題が増えていく。
脳の中に彼女の事を考える場所が増えていく…。
彼女の存在が遠すぎる。どんなに手を伸ばしてもかすりもしない。
僕は岸先生から貰った胃薬を口の中に投げ入れた。
「今日こそは、皆んなでお昼食べて下さい。クラス委員長としては、先生とのコミュニケーションは大切にしたいんです!!」
さすがに、何度も断り続けてもう断れない状態だ。
クラス委員長に就任した葉月のヤル気を潰す訳にもいかない。
「分かった、今日は食堂で食べるよ。
一緒に昼飯食べる奴はついて来い。」
クラスの全員に声を掛けた。
本音を言えば、食事くらい静かにしたいのだが教師と言う職業上、仕方なかった。
食堂と言っても、そこは私立でカフェテリア仕様になっていてかなり広い。
メニューも豊富で値段も安い。
「先生!こっち、こっち!席取って置きましたー。」
葉月は窓辺の長テーブル1列を確保していた。
「ああ、どうも。」
10人くらいの男女が待ち構えていた。
「先生、カレーかよ。もっと栄養つけろよ。」
男子生徒がふざけてこっちを見た。
「教師の安月給じゃ、これが限度だよ。」
苦笑いで答え、テーブルの中央に座る。
窓辺の席のせいか、食堂全体が見渡せた。
ドキッ。
左端に、彼女の姿が映った。
友達2人と来たらしく、ここから通路を挟んで左前の席に座った。
なるべく、彼女の方を見てない振りをしながら、眼の端でチラ見した。
今日は珍しく、三つ編みのお下げ髪にしていた。
うどんか蕎麦の麺類を食べるみたいだ。
ゆっくりと割り箸を割り、しなやかで綺麗な指は美しい箸の持ち方をした。
「先生って、彼女いるんですか?」
女生徒が興味津々で顔を近づけて来る。
「いるよ。」
「えー。どんな人ですか?年上?年下?まさか生徒とかー?」
「おいおい、生徒じゃ問題あるだろ。大学の同級生だよ。同じテニス部だったんだ。」
当たり障りのない返事だったつもりが、若い生徒達は予想外に盛り上がった。
「夢のような学校生活~。羨ましい!!よくあるシュチュエーションってのがいいな。」
「いやいや、そんなんじゃ…。」
騒がしいこちらのテーブルに彼女が気が付いた。
クスッ。
柔らかく穏やかに笑った気がした。
…まだ、脈があるのかもしれない。
そのうち、こいつらの様に普通に話せる日が来るのかもしれない…。
勝手にそう思うと、少しだけ胸が軽くなった気がした。
食堂で食べるのも悪くないな…。
昼食を終え職員室に戻ると清水先生と岸先生が椅子を囲んで話をしていた。
「おっ。武本!何かいい事あったんじゃねー?ニヤケて。」
「ニヤケて…ません!」
「そお?今にもスキップしそうに見えたけど。」
「何で職員室でスキップし始めなきゃならないんですか。
ったく、下らない事ばっかり言わないで下さい。」
清水先生の冗談をあしらって席に座ると、岸先生が話しかけて来た。
「では、まともな話でもしに今夜は飲みに行きましょう。週末ですし。」
「はいー?」
素っ頓狂な声を出してしまった。
「僕も、武本先生に色々話したい事もありますし。
清水先生は酔ってしまえば言葉数減りますから。」
「うっ。わかりました。」
清水先生の誘いなら速攻で却下したが、岸先生の誘いは断れない。
胃薬のプレゼントを貰ったお礼もしてないし。
「おっ。珍しい。お前の酔い潰れるとこ見てみたいな。
話のネタになりそう。」
向こう側で清水先生が不敵な笑みを浮かべた。
急に、清水先生は何かに気が付いて視線を僕を通り越した先に移動した。
「…おーい!こっちこっち。」
職員室のドアの方に清水先生が手を振った。
「失礼します。先生、教材を取りに来ました。」
田宮真朝…!
彼女が職員室へ入って来た。
「日直、ご苦労様。ちょっと待って。」
彼女は…僕の真後ろに立ち止まった。
こんなに、近づいた事はなかったと思う。
身体中に一気に緊張感が走る。
彼女の息づかいを感じた。
自分の鼓動が彼女に聞こえていないか心配になるくらい高鳴っていた。
白々しく、眼鏡を拭きながらごまかすのが精一杯だった。
清水先生はわざとらしく、僕を横目でみながら彼女に紙袋を渡した。
「田宮、入試の小論文の事だが…。何故あんな事を?」
僕に聞こえるように清水先生は彼女に問い掛けた。
小論文、そう言えば、あの時清水先生はあの小論文で彼女を気に入ったと言っていた。
内容は教えてもらえなかったが。
「それは、自分に嘘はつきたくなかっただけです。それだけです。」
ゆっくりと、柔らかな口調で彼女は答えた。
月曜に僕に発せられた、トゲのある声ではなく。優しく穏やかな心地よい声だった。
「…そうか。じゃあ、これを教室に。
生徒に配布してくれ。」
「はい。先生。」
彼女は静かに音もなく立ち去った。
…先生。そう言えば、まだ彼女は1度も僕を先生とは声を掛けてきた事がない。
彼女にとっては教師としての価値も無いのかと、少しネガティブ思考に落ち込んだ。
小論文…確か『自分について』だった。
2人の意味深な会話が耳にのこった。
彼女には謎が多過ぎる…。
まだ、四月に入ったばかりで部活の方も暇だった為に、早めに帰り仕度をした。
久しぶりの飲み会。
確かに四月に入って色々な出来事が多過ぎて、どこかでハメを外しておかなければ爆発してしまうかもしれない。
プラスに考えて、楽しもうと決めた。
本当なら清水先生を酔わせて聞き出したい事もあるが、もっと時間を掛けていこうと思った。
焦ると、あの落雷のような出来事が起きそうで怖かった。
僕は臆病になっているのかもしれない。
「武本先生、清水先生は少し遅れて来るみたいなので、僕と先に行きましょう。
馴染みの居酒屋ですが個室があるので顔見知りに会う事も少ないですよ。」
「はぁ。よく清水先生と行くんですか?」
「ええ。清水先生には色々と相談に乗ってもらう事も多いので。」
清水先生に相談なんかして物事が解決するとは思えないんだが…。
とりあえず、僕と岸先生はコートを羽織りまだ肌寒い四月の夜風を浴びながら予約してる居酒屋を目指した。
店の中は新入生歓迎会とかのお客さんが多い時期のせいか結構繁盛してるようだった。
岸先生に腕を引っ張られるように予約席に入る。
「とりあえず、生でいいですか?」
「あっ、はい。」
岸先生は早々にビールといくつかのつまみを注文した。
先に来たビールで軽く乾杯をした。
「よかった。本当は武本先生には断られるかもしれないって思ってたんで。」
「こちらこそ、色々とサポートして頂いてるのに。」
「…で、堅苦しい挨拶は抜きにして、実は…武本先生に、恋愛相談に乗ってもらいたくて。」
「ゴホッ。なっ。僕に恋愛相談ですかー?なんでまた。」
ビールでむせてしまった。
恋愛相談って、この僕に?
「武本先生と違って、僕は恋愛経験も少ないし、友達も少ない。
ほら、この前彼女いるって。だから…その。」
「僕だって別に恋愛経験豊富って訳じゃありませんよ。」
「いや~。僕よりはありますよ。
今、僕は初めて自分から好きになった娘がいるんです。
でも、何をどうしていいか…。武本先生は自分から告白とかしたんですか?」
顔を少し赤らめながら岸先生は照れ臭そうに聞いてきた。
「僕は…。告白は彼女からでした。」
言いながら思い出す。
そうだ、僕は今の今まで1度も自分から告白した事がなかった。
いつも、相手からの告白から付き合いが始まっていた。
今思えば…過去の彼女を本気で好きだったかさえ解らない。
流されていた気がする…。
「やっぱり、モテるんだな。武本先生は。なんていうか…イケメンとかじゃないけど周りに気を使ってくれる感じが、優しく思うんじゃないかな。
本音は見えづらい感じするけど。」
「優しいはないかな~。毒吐くでしょ僕。
それに、彼氏にしたら当たり障りのないタイプなんじゃないですか?顔もスタイルも平均ど真ん中って。
学生時代によく言われました。」
自虐的に笑ってみせた。
「優しくない人が、生徒と対立しただけであんなに落ち込みませんよ。」
「あれは…。」
こっちも少し顔が赤くなった。
「で、僕は今、キチンと告白した方がいいのか悩んでいて。」
「その娘は、岸先生に気がありそうなんですか?」
「多分。その、デートというかそういうのも何度か。手作りのお弁当とかも作ってくれたりして。」
「僕は自分から告白した事はないですけど、その娘からしたらやっぱり相手からの告白が嬉しいんじゃないんですか?
特に女の子はそういうのに夢持ってそうだし。」
「…本当は、告白するのは怖いんだよ。
告白した先を色々考えちゃって。」
そうだな。本当に。
男の方が告白するのに物凄い慎重になるのに女は以外に軽く告白してくる。
時間を掛ける事が無駄なように。
こっちが考える暇を与えてはくれなかった。
僕は…恋なんて…していなかったんじゃ…。
じゃあ、恋ってなんだ。
人を好きになるって何だ…やっぱり、僕は大人になりきれていない。
学校の猿達と同じだ…。
「いや~。遅くなってごめんな。球技大会の日程やらスケジュールの調整で揉めてな。」
清水先生が息を切らして入ってきた…かと思うと、僕の飲みかけのビールを飲み干した。
「ちょっと!また清水先生は!僕をイジリすぎですよ!」
「そう、怒んなよ。
急いで来たから喉が渇いたんだよ。
男が小さい事でグチるなよ。」
ドカッと僕の正面に座ると、ビールを追加しながら清水先生は僕に間髪入れずに問いただして来た。
「武本、お前。真朝ちゃんとどうい関係だ?何もない風には見えないな。
何か、怪しいんだよな。」
突拍子もない質問に半ギレ気味に答えた。
「真朝ちゃんって…!怪しいって…!確かに好きとか嫌いじゃありませんけど、ちょっと気になる事があるだけです。」
「ほうほう。」
岸先生も清水先生と一緒に身体を乗り出して来た。
「今は…言えません!」
「えー。何だよそれ。」
2人同時に引いた。
「僕自身だって確証がない事なんですよ!だから話したくても話せないんです!
とにかく、そのうち本人に確認とって解決したら、話しますよ!」
「ふーん。やっぱり秘密があるのか。でも、先に言っておく。
彼女には近づきすぎないようにしろ。
危険…いやむしろ彼女を危険な目に合わせる可能性がある。」
急に真面目な顔で僕を見据えた。
「危険…って。まさか…田宮美月が関係してるんじゃ…。」
「おっとぉ。それ以上はこちらも言えないな。
何せ恋のライバルには!」
また、話をはぐらかしにかかった。
「田宮美月って、あの人気者の美人副会長ですよね。
生徒にも教師の間でも好かれてますよね。何かあるんですか?」
1人、話しについて行けない岸先生が疑問を投げかけた。
「お前は純粋だな!岸~!そこがお前の可愛いとこだな。
田宮美月みたいな女を魔女って言うんだよ。騙されるなよ~。」
魔女…確かに。あのいくつもの仮面を使い分けてる言動はまさに魔女そのものだ。
「珍しく、清水先生と意見があいました。僕も彼女には醜悪を感じてます。」
「へぇ。以外だなぁ。武本も騙されるタイプかと思ってた。」
「おかげさまで、僕も毒持ってますので。」
「なるほどねー。だははは。」
バカ笑いしながらビールを仰ぐ、清水先生は何処までが本気なのかさっぱり判らなかった。
そんな、こんなで馬鹿騒ぎ状態になり僕もストレスが溜まっていたせいで飲みすぎてしまった。
頭がボーっとする。
遠くで彼女の…田宮真朝の声が聞こえた気がした。
『ダメだよ…先生…。』
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