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変化
第十話 変化1
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六月。気温は日に日にあがり、湿気を纏う生暖かい風が吹く。多くの人が半袖へ衣替えをする時期となった。神楽小路も長い髪をゆるくまとめ、半袖の開襟シャツに、麻素材のパンツ姿へと切り替え、登校する。
「おはよう神楽小路くん。ちゃんと新聞完成したよ」
佐野は神楽小路を見つけると、手渡されたA4サイズの高質紙に印刷した「新聞」を見せた。写真の代わりにイラストで一品一品紹介されている。そのイラストはリアルでありつつも、かわいらしさがある。文章も読みやすい文体で書かれている。
「いいんじゃないのか」
「よかったぁ」
佐野は力が抜けたように笑った。
授業が始まると、一グループごとに隣の教室に呼ばれ、新聞をその場で見てもらい、評価をもらうというものだった。佐野・神楽小路のグループは最後から二番目だった。
教室に呼ばれ、佐野は新聞を渡す。教授は慣れた手つきで五分もかからず読みきってしまった。
「君たちは学食をテーマに記事にしていくんだね。うんうん。わかりやすいし、学生向けという点に置いても良いと思う。写真ではなく、イラストを使っているのも目を引くね」
「ありがとうございます!」
良い感想をもらえ、佐野は目を輝かせる。
「だけどね」
この一言で空気は変わった。腕を組んで明後日の方向を見ていた神楽小路も教授を見る。
「読みやすすぎるね。読みやすくて、脳の中ですぐに流れて忘れてしまう。こう、ガツンとインパクトある言葉がこの新聞の中にはない」
「なるほど……」
「あと、この文は佐野さん一人で書いているね?」
黙っていても「バレてしまった」と顔に出ている佐野を横目に、神楽小路は頷く。
「神楽小路さんの文は、文芸学科の教授間でも『よく書けている』と話題になっていてね。書いていないことはすぐわかったよ」
神楽小路は「はぁ」と嬉しいのか、バレて恥ずかしいのか曖昧に返事をする。
「そういうわけだから、神楽小路さんはちゃんと課題に取り組むこと。佐野さんは読みやすさは落としすぎず、もっと凝った言葉選びを」
「わかりました」と二人は礼をして、教室へ戻った。席に着くと、佐野が明らかに落ちこんでいた。
授業が終わり、昼休憩に入って一食に行ってもいつもより口数も少なく、食べ終わると、「先に出るね」と出ていった。
(気にすることはない)
神楽小路はそう言い聞かせた。しかし、いつもと様子の違うまま放置しておくのも、寝つきが悪くなる気がした。だが、追いかけてわざわざ首を突っ込むのか? と、心の中で葛藤したのち、数分遅れで神楽小路は食堂を出た。
(あいつは次の授業、どこの棟だっただろうか……)
そう思いながら歩いていると、突然振った炭酸水のペットボトルを開けた時のように、水が勢いよく出る音が聞こえて、神楽小路は思わずそちらを見た。
音楽学科が主に使っている棟の前に、「ドレミの広場」と呼ばれるコロシアムのような半円形型の広場がある。その広場の一番下は水に囲まれたステージになっていて、新入生歓迎会や文化祭などで演奏会が行われる。演出の一部で使えるように噴水が設置されていて、その噴水が噴射した音だった。階段は客席も兼ねてあり、そこの一番上の段に座ってぼんやりと噴水を眺めている女性がいた。見覚えのある後ろ姿に神楽小路が近づくと、足音に気づき、その人は振り返った。
「び、びっくりした! 神楽小路くんか……」
佐野の横に神楽小路は座る。急にやってきて、特に何も言ってこない状態に少々戸惑うも、佐野はゆっくり口を開いた。
「神楽小路くんはすごいね。教授間で話題になってるって」
「書いてないと見つかって怒られるということもよくわかった」
「一回生にして唯一無二の存在になってて、羨ましいよ」
「そこまで言われるような存在ではない。ただの学生の一人だ」
「すぐ言い切れるところも……すごいよ」
そう言うと佐野は顔を伏せた。髪が顔にかかり、カーテンを閉めたかのように彼女の表情を隠す。
「芸大って、みんなそれぞれの道のプロになりたくて、たとえ自分が目指していた世界じゃなかったとしても『特別な何者か』になろうと思ってる人が大半で。だからさっき神楽小路くんが言われたような誉め言葉を受けたら、それだけで調子に乗っちゃうと思うの」
言葉を紡ぐたびに佐野の声が、身体が、小さく震えだす。
「反対に、わたしは今日言われた通りで。『インパクトがない』、普通、平凡、無個性とか。言われ慣れてたから、もう大学生だしって思ってたけど、やっぱり、何度言われても気にしちゃうんだよ。何をしても、いつも認められるのは横にいる子だった。小説は一番自信があったけど、ああやっぱりそうなんだって……。わたしはいつも祝福する側で、いつまで経ってももがき続けるしかない。悔しい……」
大きな涙の粒が落ちていくのが見えた。子どものように手の甲で乱暴に拭く。
「こんなことで何度も泣くのもバカみたい……」
「おはよう神楽小路くん。ちゃんと新聞完成したよ」
佐野は神楽小路を見つけると、手渡されたA4サイズの高質紙に印刷した「新聞」を見せた。写真の代わりにイラストで一品一品紹介されている。そのイラストはリアルでありつつも、かわいらしさがある。文章も読みやすい文体で書かれている。
「いいんじゃないのか」
「よかったぁ」
佐野は力が抜けたように笑った。
授業が始まると、一グループごとに隣の教室に呼ばれ、新聞をその場で見てもらい、評価をもらうというものだった。佐野・神楽小路のグループは最後から二番目だった。
教室に呼ばれ、佐野は新聞を渡す。教授は慣れた手つきで五分もかからず読みきってしまった。
「君たちは学食をテーマに記事にしていくんだね。うんうん。わかりやすいし、学生向けという点に置いても良いと思う。写真ではなく、イラストを使っているのも目を引くね」
「ありがとうございます!」
良い感想をもらえ、佐野は目を輝かせる。
「だけどね」
この一言で空気は変わった。腕を組んで明後日の方向を見ていた神楽小路も教授を見る。
「読みやすすぎるね。読みやすくて、脳の中ですぐに流れて忘れてしまう。こう、ガツンとインパクトある言葉がこの新聞の中にはない」
「なるほど……」
「あと、この文は佐野さん一人で書いているね?」
黙っていても「バレてしまった」と顔に出ている佐野を横目に、神楽小路は頷く。
「神楽小路さんの文は、文芸学科の教授間でも『よく書けている』と話題になっていてね。書いていないことはすぐわかったよ」
神楽小路は「はぁ」と嬉しいのか、バレて恥ずかしいのか曖昧に返事をする。
「そういうわけだから、神楽小路さんはちゃんと課題に取り組むこと。佐野さんは読みやすさは落としすぎず、もっと凝った言葉選びを」
「わかりました」と二人は礼をして、教室へ戻った。席に着くと、佐野が明らかに落ちこんでいた。
授業が終わり、昼休憩に入って一食に行ってもいつもより口数も少なく、食べ終わると、「先に出るね」と出ていった。
(気にすることはない)
神楽小路はそう言い聞かせた。しかし、いつもと様子の違うまま放置しておくのも、寝つきが悪くなる気がした。だが、追いかけてわざわざ首を突っ込むのか? と、心の中で葛藤したのち、数分遅れで神楽小路は食堂を出た。
(あいつは次の授業、どこの棟だっただろうか……)
そう思いながら歩いていると、突然振った炭酸水のペットボトルを開けた時のように、水が勢いよく出る音が聞こえて、神楽小路は思わずそちらを見た。
音楽学科が主に使っている棟の前に、「ドレミの広場」と呼ばれるコロシアムのような半円形型の広場がある。その広場の一番下は水に囲まれたステージになっていて、新入生歓迎会や文化祭などで演奏会が行われる。演出の一部で使えるように噴水が設置されていて、その噴水が噴射した音だった。階段は客席も兼ねてあり、そこの一番上の段に座ってぼんやりと噴水を眺めている女性がいた。見覚えのある後ろ姿に神楽小路が近づくと、足音に気づき、その人は振り返った。
「び、びっくりした! 神楽小路くんか……」
佐野の横に神楽小路は座る。急にやってきて、特に何も言ってこない状態に少々戸惑うも、佐野はゆっくり口を開いた。
「神楽小路くんはすごいね。教授間で話題になってるって」
「書いてないと見つかって怒られるということもよくわかった」
「一回生にして唯一無二の存在になってて、羨ましいよ」
「そこまで言われるような存在ではない。ただの学生の一人だ」
「すぐ言い切れるところも……すごいよ」
そう言うと佐野は顔を伏せた。髪が顔にかかり、カーテンを閉めたかのように彼女の表情を隠す。
「芸大って、みんなそれぞれの道のプロになりたくて、たとえ自分が目指していた世界じゃなかったとしても『特別な何者か』になろうと思ってる人が大半で。だからさっき神楽小路くんが言われたような誉め言葉を受けたら、それだけで調子に乗っちゃうと思うの」
言葉を紡ぐたびに佐野の声が、身体が、小さく震えだす。
「反対に、わたしは今日言われた通りで。『インパクトがない』、普通、平凡、無個性とか。言われ慣れてたから、もう大学生だしって思ってたけど、やっぱり、何度言われても気にしちゃうんだよ。何をしても、いつも認められるのは横にいる子だった。小説は一番自信があったけど、ああやっぱりそうなんだって……。わたしはいつも祝福する側で、いつまで経ってももがき続けるしかない。悔しい……」
大きな涙の粒が落ちていくのが見えた。子どものように手の甲で乱暴に拭く。
「こんなことで何度も泣くのもバカみたい……」
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