5 / 7
父の肖像
第五話
しおりを挟む
合意した青年は空いていたオレの前の席に座る。寒暖差で曇ったメガネをポケットから取り出したクロスで丁寧に拭いている。
「さっきは素敵な喫茶店を教えてくれてありがとう」
「いえいえ。迷われたりしませんでしたか?」
「問題なく辿り着きました」
「それなら良かったです」
「コーヒーを飲みながら本を読むのにピッタリの店でした。先程、一冊読みきってしまいました」
さっきの本を見せる。
「その本、今話題になってますよね。店でもよく売れています」
「もう読まれましたか?」
「はい。頭から衝撃的な表現ばかりで最初は読みきれるか不安でしたが、気がついたら最後の一行まで噛みしめてました」
読み終わってることを知り、年甲斐もなく嬉しくなってしまい、しばらく作品について感想を話し合った。話が落ち着いたあと、青年はホットコーヒーをすすった。大きい瞳に、長い睫毛、オレにないものだから羨ましくて見てしまう。するとバチっと視線が合い、首をかしげる青年に、オレは見てたことを悟られないように、大慌てで違う話題を出す。
「しょ、書店員さんはいつもここを利用されるんですか」
「月に数回ほど。この近くのお店で僕の彼女が働いていて、その待ち合わせに利用させていただいています」
「じゃあ、今日も?」
と訊くと、青年は頬を赤く染めて、「ええ」と頷いた。
「いつもなら一緒の時間にバイト終わりなんですけど、あとのシフトの人が電車遅延に巻き込まれたそうで。その人が到着するまで残業になったみたいなんです」
「電車遅延とは厄介だ」
「仕方ないですよね。このあと合流して晩ご飯を食べる約束をしていたので、『いつもの喫茶店で待ってて』というメッセージが来ました」
「そうだったんですね」
「ここ、土日の夕方ごろはよく満席になるので、今日もダメじゃないかと思いました。本当にありがとうございます」
「気になさらず」
なんというか付き合いたての初々しさが漂っている。彼の彼女もきっと本が好きな、落ち着きのある女性なのだろうか。咲も文学少女と言われればその部類なんだろうが……もっと落ち着きがあって、言葉遣いも丁寧だったなら……。さらにカワイイんだがなぁ。
「それにしても、この辺りは車や人の通りは多いですけど、どこかのんびりしているんですね」
「ええ。家賃もそんなに高くないので、大学生の僕でも住みやすいです」
「大学生なんですか」
「はい。今一回生です」
「ほぉ。オレの娘と同じだ」
「そうなんですね」
「娘もこの付近で一人暮らししていて、今日は会いに来たんです」
「いいですね。お会いされていろいろお話しされたんですか?」
「……まだ会えてなくて」
「あっ、今からだったんですね」
「いや、実は何も言わず、ここに来ちまって……」
「えっ⁉」
目を丸くしている青年を横目に見つつ、オレはこめかみを掻く。
「娘が新年なのに帰省しねぇって……。妻には伝えてたようなんだが、オレは昨日聞いて、もうなんていうか寝耳に水というか。しかも、その時にアイツに彼氏がいるってことも知って……」
「それは驚きますよね」
「だよなぁ⁉」
思わず大声を出してしまう。「すいません」と一言謝ってから続ける。
「見知らぬ土地で、友達と彼氏が出来て、帰省もしないときた。どういうことなのか気になって。ほら、大学に入ったら全国からいろんなヤツがやってくる。口車にのせられて騙されたなんて話もよく聞く。ウチの子も例外じゃないのではと、いても立ってもいられなくなってしまった」
「なるほど」
「特に彼氏だ。娘は少し抜けているところがあるからな。その隙をつく悪意ある男だったらオレは許さん。どんなヤツなのか確認しない限り、オレは帰れん」
「心配してしまうのも無理はないかと思います」
「と、まあ、そういう経緯なのだが、道に迷うし、娘に連絡する決心もつかず……。初対面だというのにこんな話をして申し訳ない」
「いいえ。素敵なお父様だなと思います。僕はその……、両親と折り合いが悪くて。帰省という選択肢がありません。父親はあまり家に帰らず、会話もなかったので。むしろ心配してもらえる娘さんがどこか羨ましいです」
こんな好青年でもいろいろあったんだろうか。さっき読んだ小説も親子のすれ違いだったしな。家族の姿はそれぞれだが……。彼の瞳の奥に寂しさが漂っていた。
「そんな僕でよければ、話を続けてください」
「ありがとう。なんだかキミは初めて会った気がしない。とても話しやすい」
「僕もなんだか話しやすいって思ってました」
「なんだろうな? 娘と同い年で、互いに本が好きだからか……?」
「かもしれませんね」
そう言って笑い合う。
「娘さんはどんな方なんですか?」
「本当に人見知りが激しいヤツでな。小さい頃から人と話したり、遊ぶのが苦手だった。学校に通い始めても、学校や友達のことはあまり話したがらん。部屋に籠っては本を読みふける。そんな娘が大学に通い始めて、妻に『毎日楽しい』と連絡を頻繁によこすらしい」
「僕も大学がとても楽しいので、その気持ちはわかります」
「そうなのか? オレん時は、そんなに楽しくなかったがなぁ……」
おふくろにこれ以上の苦労をかけさせないため、絶対に教員免許を取る。教師になって、昔から聞かされていたオヤジのような立派な教師を目指そうと。その目標のためだけに大学進学をした。周りはちゃらちゃら遊ぶヤツが多かったが、オレはひたすら勉強を続けた。そのおかげで今の生活があるといっても過言ではない。だが、教職はこんなに休みがないのなら、少しくらい遊んでもよかったかもなと、少し後悔している。
「僕の場合、授業もですが、気の許せる友達が出来たことが大きいのかもしれません。そのうちの一人が彼女なんですけど、その子はとても明るくて、でも少し恥ずかしがり屋な面もあったり。なにより僕に誰よりも寄り添ってくれる優しい子なんです。あ、僕、誕生日が一月三日で――」
「一昨日じゃないか。おめでとう」
「ありがとうございます。――三が日って皆さん忙しいじゃないですか? 彼女は共通の友達も呼んでサプライズで誕生日会を開いてくれたんです。今まで誕生日会はおろか、両親からも祝われたことがなかったので、本当に嬉しかったです。気がついたら泣いてしまって」
「素敵な彼女さんだ」
「ええ、世界一の彼女です」
そう言うと、彼の頬が一気に紅く染まった。オレも紗子を世界一の妻だと思っているが、口に出したことはない。恥ずかしいし、紗子に伝えたらきっと笑い転げるだろう。それをしっかりと口に出せる彼はカッコイイ。
「いやぁ、彼女さんが見てみたいですなぁ」
「もうすぐ来ると思うのでよかったら……」
「さっきは素敵な喫茶店を教えてくれてありがとう」
「いえいえ。迷われたりしませんでしたか?」
「問題なく辿り着きました」
「それなら良かったです」
「コーヒーを飲みながら本を読むのにピッタリの店でした。先程、一冊読みきってしまいました」
さっきの本を見せる。
「その本、今話題になってますよね。店でもよく売れています」
「もう読まれましたか?」
「はい。頭から衝撃的な表現ばかりで最初は読みきれるか不安でしたが、気がついたら最後の一行まで噛みしめてました」
読み終わってることを知り、年甲斐もなく嬉しくなってしまい、しばらく作品について感想を話し合った。話が落ち着いたあと、青年はホットコーヒーをすすった。大きい瞳に、長い睫毛、オレにないものだから羨ましくて見てしまう。するとバチっと視線が合い、首をかしげる青年に、オレは見てたことを悟られないように、大慌てで違う話題を出す。
「しょ、書店員さんはいつもここを利用されるんですか」
「月に数回ほど。この近くのお店で僕の彼女が働いていて、その待ち合わせに利用させていただいています」
「じゃあ、今日も?」
と訊くと、青年は頬を赤く染めて、「ええ」と頷いた。
「いつもなら一緒の時間にバイト終わりなんですけど、あとのシフトの人が電車遅延に巻き込まれたそうで。その人が到着するまで残業になったみたいなんです」
「電車遅延とは厄介だ」
「仕方ないですよね。このあと合流して晩ご飯を食べる約束をしていたので、『いつもの喫茶店で待ってて』というメッセージが来ました」
「そうだったんですね」
「ここ、土日の夕方ごろはよく満席になるので、今日もダメじゃないかと思いました。本当にありがとうございます」
「気になさらず」
なんというか付き合いたての初々しさが漂っている。彼の彼女もきっと本が好きな、落ち着きのある女性なのだろうか。咲も文学少女と言われればその部類なんだろうが……もっと落ち着きがあって、言葉遣いも丁寧だったなら……。さらにカワイイんだがなぁ。
「それにしても、この辺りは車や人の通りは多いですけど、どこかのんびりしているんですね」
「ええ。家賃もそんなに高くないので、大学生の僕でも住みやすいです」
「大学生なんですか」
「はい。今一回生です」
「ほぉ。オレの娘と同じだ」
「そうなんですね」
「娘もこの付近で一人暮らししていて、今日は会いに来たんです」
「いいですね。お会いされていろいろお話しされたんですか?」
「……まだ会えてなくて」
「あっ、今からだったんですね」
「いや、実は何も言わず、ここに来ちまって……」
「えっ⁉」
目を丸くしている青年を横目に見つつ、オレはこめかみを掻く。
「娘が新年なのに帰省しねぇって……。妻には伝えてたようなんだが、オレは昨日聞いて、もうなんていうか寝耳に水というか。しかも、その時にアイツに彼氏がいるってことも知って……」
「それは驚きますよね」
「だよなぁ⁉」
思わず大声を出してしまう。「すいません」と一言謝ってから続ける。
「見知らぬ土地で、友達と彼氏が出来て、帰省もしないときた。どういうことなのか気になって。ほら、大学に入ったら全国からいろんなヤツがやってくる。口車にのせられて騙されたなんて話もよく聞く。ウチの子も例外じゃないのではと、いても立ってもいられなくなってしまった」
「なるほど」
「特に彼氏だ。娘は少し抜けているところがあるからな。その隙をつく悪意ある男だったらオレは許さん。どんなヤツなのか確認しない限り、オレは帰れん」
「心配してしまうのも無理はないかと思います」
「と、まあ、そういう経緯なのだが、道に迷うし、娘に連絡する決心もつかず……。初対面だというのにこんな話をして申し訳ない」
「いいえ。素敵なお父様だなと思います。僕はその……、両親と折り合いが悪くて。帰省という選択肢がありません。父親はあまり家に帰らず、会話もなかったので。むしろ心配してもらえる娘さんがどこか羨ましいです」
こんな好青年でもいろいろあったんだろうか。さっき読んだ小説も親子のすれ違いだったしな。家族の姿はそれぞれだが……。彼の瞳の奥に寂しさが漂っていた。
「そんな僕でよければ、話を続けてください」
「ありがとう。なんだかキミは初めて会った気がしない。とても話しやすい」
「僕もなんだか話しやすいって思ってました」
「なんだろうな? 娘と同い年で、互いに本が好きだからか……?」
「かもしれませんね」
そう言って笑い合う。
「娘さんはどんな方なんですか?」
「本当に人見知りが激しいヤツでな。小さい頃から人と話したり、遊ぶのが苦手だった。学校に通い始めても、学校や友達のことはあまり話したがらん。部屋に籠っては本を読みふける。そんな娘が大学に通い始めて、妻に『毎日楽しい』と連絡を頻繁によこすらしい」
「僕も大学がとても楽しいので、その気持ちはわかります」
「そうなのか? オレん時は、そんなに楽しくなかったがなぁ……」
おふくろにこれ以上の苦労をかけさせないため、絶対に教員免許を取る。教師になって、昔から聞かされていたオヤジのような立派な教師を目指そうと。その目標のためだけに大学進学をした。周りはちゃらちゃら遊ぶヤツが多かったが、オレはひたすら勉強を続けた。そのおかげで今の生活があるといっても過言ではない。だが、教職はこんなに休みがないのなら、少しくらい遊んでもよかったかもなと、少し後悔している。
「僕の場合、授業もですが、気の許せる友達が出来たことが大きいのかもしれません。そのうちの一人が彼女なんですけど、その子はとても明るくて、でも少し恥ずかしがり屋な面もあったり。なにより僕に誰よりも寄り添ってくれる優しい子なんです。あ、僕、誕生日が一月三日で――」
「一昨日じゃないか。おめでとう」
「ありがとうございます。――三が日って皆さん忙しいじゃないですか? 彼女は共通の友達も呼んでサプライズで誕生日会を開いてくれたんです。今まで誕生日会はおろか、両親からも祝われたことがなかったので、本当に嬉しかったです。気がついたら泣いてしまって」
「素敵な彼女さんだ」
「ええ、世界一の彼女です」
そう言うと、彼の頬が一気に紅く染まった。オレも紗子を世界一の妻だと思っているが、口に出したことはない。恥ずかしいし、紗子に伝えたらきっと笑い転げるだろう。それをしっかりと口に出せる彼はカッコイイ。
「いやぁ、彼女さんが見てみたいですなぁ」
「もうすぐ来ると思うのでよかったら……」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
サラリーマン博士 ~ 美少女アンドロイドは老人です
八ツ花千代
ライト文芸
万能工具を手に入れた主人公は、神の制裁に怯えながらも善行を積むために活動を開始しました。
目立つ行動を極端に嫌う主人公は美少女アンドロイドの影に隠れながら暗躍するのですが、特ダネを狙うマスコミや警察に目を付けられ尾行されてしまいます。
けれど易々とは尻尾を掴ませません。
警察は主人公の背後に巨大な組織がいるのではないかと疑い、身辺捜査をするのですが、どこを探しても秘密基地などありません。
そこへ、TV局が謎のヒーローに襲われる事件が発生。これも主人公が関係しているのではないかと警察は疑いをかけます。
主人公の行動に疑念を抱くのは警察だけではありません。同じ会社に勤める女性社員も目を光らせます。
しかし、疑念はいつしか好意になり、主人公を愛してしまうのでした。
女性社員を騒動に巻き込みたくない主人公は冷たく突き放しますが諦めてくれません。
そんな女性社員ですが会社の上司と秘密裏に交際しているのです。
主人公は恋愛に無関心なので、ドロドロの三角関係オフィスラブには発展しません。
恋よりも世界の命運のほうが大事なのです!!
※この物語はフィクションです。登場する国・人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
地球のために
須賀マサキ(まー)
ライト文芸
夏休み直前に出された宿題に戸惑うハヤト。毎日を精一杯生きる中学生には、なかなか思いもよらないテーマだった。
宿題の行方を片隅におきつつ、ハヤトと仲間たちは中学二年の夏休みを、恋愛やバンド活動をして楽しく過ごす。
そしてひと夏を終えたとき、ハヤトの得たものとは?
☆ ☆ ☆
ロックバンドのメンバーとその仲間たちを描いた「オーバー・ザ・レインボウ」シリーズの番外編です。
『あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて』でキーパーソンとなるハヤトを主人公にした話です。『あなたの……』の大きなネタバレを含んでいるので、未読の方は読後にお読みすることをお勧めします。
夢文駅
汽部
ライト文芸
夢文〈むぶみ〉、それは生者の夢に届く手紙なのだと『駅長』と呼ばれた少年は言う。
これは死んでしまった僕が夢文を書くために、ハトを確保する話。
さて、餌のおかわりは出来るのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる