堕ちる人魚

中原 匠

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エピローグ

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 季節は初夏になっていた。
 陽光が眩しい。
 それはこの外人墓地にも、変わりなく降り注いでいる。
 それ故、死者を悼む墓碑の冷たさが、余計に辛く感じるのかもしれない。

 木々の葉の緑も深く、その陰に天使の姿をした像がいくつか点在していた。
 それに眩しそうに目を遣りながら、山岡はゆっくりと歩いていた。
 その手には少々不釣合いな、真紅の薔薇の花束を携えている。
 死の天使は、近付いてくる時は恐ろしいが、来てしまえは最大の恵みだという。
 『死』が救いになるのなら、ここに眠る者たちは幸せなのだろうか…

 そんな事を考えながら、ふと顔を上げ、立ち止まる。自分の目的の場所に、先客が居たのだ。
 見覚えのあるその姿に、山岡は小さく微苦笑を浮かべる。立っていたのは、三条るり子だった。
「いらしてたんですか…」
 相変わらずの静かな口調で訊く山岡に、るり子は応えない。
 ただ目の前の墓碑を凝視しているだけだ。
 墓碑に刻まれた名は『YUICHIRO SHINOHARA』。
 あの後、るり子にここを知らせたのは、ある種の警告の意味もあったからだ。
 二度と危険な『アルバイト』に足を突っ込まないように、と。
 それは篠原の意思でもあったはずだ。
 何も言わないるり子に、山岡は寂しげな笑みを浮かべると、持参した薔薇の花束を静かに墓碑の上に置いた。

「血ね・・・」
 るり子が呟く。
「あの日、篠原さんが流してた、血の色よ。その薔薇…!私、一生忘れない。あんなに幸せそうに見ていた人を殺せるなんて!」
 そう言うやいなや、るり子はその薔薇の花束を掴むと、山岡の頬を思いっきり打った。
 陽光の中、緑の芝と白い墓石に真紅の薔薇の花弁が散り、まるで白昼夢のように美しかった。
 薔薇の棘で擦ったのか、山岡の頬に一筋の血が滴る。
「悪い冗談ね…あなたにも、赤い血が流れてるなんて」
 そう吐き捨てるように言うと、るり子は激情を抑えきれぬ様子で走り去った。
 山岡は血を拭おうともせず、ただ真紅の花弁が散った墓碑を見詰めていた。


「教えてやれば、いいのに」
 不意に背後から声がかかる。
 肩越しに見ると、長身の男が一人、木の陰から出てくるところだった。
 目深に帽子を被るその男に最初から気付いていたのか、山岡は特に驚きもせず溜息を吐く。
「とんでもない。あなたが生きてるなんて知ったら、あのお嬢さん、また何をしでかすか。素人に銃を向ける恐ろしさを、機長はご存知ないんですよ…」
 山岡は――他人事だと思って――と言わんばかりに、その男、篠原を睨んだ。
「すまん」 
「い、いえ。そんなつもりで言ったんじゃ」
 真顔で頭を下げる篠原に、山岡の方がうろたえ気味に押し止める。
「冗談だよ」
 そう言って悪戯っぽく笑う顔は、少しも変わっていない。
「機長~!」
「俺はもう、機長じゃないぜ」
 笑みを口の端だけに残して、篠原は言う。
「篠原という名前ですら無い。篠原雄一朗というパイロットだった男は、そこに眠ってるよ」
 そうだろう?と言うように、山岡を見た。
「ええ…」
 山岡は小さく頷いた後、帽子を目深に被った男の顔を真正面から見詰め返す。
「…それでも」
 初夏の風が、また真紅の花弁を揺らし、舞い上げる。
「私にとっての機長は、あなただけ…なんですよ」
「………ずるいな」
 見合わせた表情が、どちらからとも無く和んだ。

「今夜の予定は?山岡ちゃん」
「特には」
「なら、飲みに行こう。付き合ってくれるかな?」
「喜んで。機長」
 

 並んで歩き出し、山岡はふと目を上げる。
 木々の陰の天使の手に、ハート型の真紅の花弁が乗っていた。

 その顔は、微笑んでいるように見えた。 


 
 
                               

  -終-

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