わたしの流れ方

阿波野治

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瀕死の魚

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 積雪が観測される季節になったにもかかわらず、ソメイヨシノが咲いている。咲く時季が見当外れなら、咲く場所も見当外れだ。ソメイヨシノは、市道の中央分離帯で咲き誇っているのだ。片側二車線、通行する車両が全くない道の、ちょっとした公園のように広い中央分離帯で。
 ソメイヨシノは今がちょうど満開で、後は散りゆくだけ、といった状態に見えた。風が吹き抜けるたびに降り注ぐ花びらのシャワーを浴びながら、車道を横断して樹に近づく。
 裏手に回ると、樹の根本に子供がしゃがんでいた。小学校に入学するかしないかの年齢の男の子だ。昭和初期の裕福ではない家庭の子供、といった身なりをしていて、手元に視線を落としている。
 男児が手にしているのは、魚。体長二十センチほどの、青っぽい鱗の細長い魚だ。時々微かに体を動かしているが、もう長い命ではないように見える。
 男児の足元には、直径三十センチ、深さ二十センチほどの穴が穿たれている。
 魚は土の中から掘り出されたのか。それとも、今から埋めようとしているのか。
「君、その魚、どうしたの?」
 薄気味悪さを感じながらも男児に声をかける。振り向いた。わたしの姿を視界に捉えると、悲しげに眉をひそめ、こう答えた。
「魚は水があるところにいるのが普通でしょ。この魚、水の中に戻してあげないと、死んじゃうよ」
 死という言葉が出た瞬間、男児の顔色の悪さに気がついた。蒼白を通り越して土気色をしている。もしかすると、男児は既に死んでいるのでは?
「おじさんが水のあるところまで案内してあげるから、魚を放してあげるといい。さあ、おいで」
 ついてくるよう手振りで促し、わたしは歩き出す。男児は素直に言いつけに従った。
 このあたりに、川や湖はあっただろうか。そもそも、男児への対応はこれでよかったのだろうか。――彼は死んでいるかもしれないのに。
 悶々としながら歩いていると、不意に周囲の景色が一変した。いつの間にか、わたしたちは漁港にいた。地面に無数に散らばった、漁に使用されると思われる大小の道具の数々。それらを時に踏みつけ、時に踏み越えながら、埠頭の最果てへ。
「さあ、魚を放してあげなさい」
 頷き、男児は魚を海へと投げた。「水の中に戻してあげなければ死んでしまう」と語った思いやりとは裏腹の、ゴミを投げ捨てるような投げ方だった。魚は海中に浅く沈み、すぐさま海面に浮上した。白い腹を上にして、身じろぎ一つしない。
「死んでしまったね。弱っていたから仕方ないとはいえ――」
「どうでもいいよ。帰ろうよ」
 死にゆく魚を思う気持ちと行動の落差、これをどう解釈すればいいのだろう? 気持ちの整理がつかなかったし、無力感を覚えもした。
「帰ろうよ。ねえ、帰ろうよ」
 男児の声に急かされ、漁港を後にする。
 山間の細道をしばらく歩くと、道路脇にかやぶき屋根のみすぼらしい家屋が建っていた。その建物の前で男児の足が止まる。
「お兄ちゃん、じゃあね。またどこかで会おうね」
「君、ここが家だったの?」
「ううん。違うけど、子供は家に帰るものだから」
 寂しそうに微笑み、男児は家の中に入っていった。
 さて、わたしはどこに帰ろう?
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