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素晴らしいアイデア
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とうとう素晴らしいアイデアを思いついた。
アイデアは本来、思いつこうと思っても思いつけるものではないから、アイデアを要求されたこの一週間、わたしは大変苦しい思いをした。しかしアイデアを、それも素晴らしいアイデアを思いついたことで、名状しがたい苦しみに終止符が打たれた。
アイデアをメモしようと、上着の内ポケットからペンを取り出す。メモ用紙が見当たらない。家に忘れてきたのだ。地肌に書くという手もあったが、ペンのインキが薄いので、帰宅するまでに消えてしまいそうだ。
薄いインキでもしっかりと書き残せるもの――白――便器。
どうやらわたしは、立て続けに素晴らしい思いつきをしてしまったようだ。
公衆トイレを探し出し、男子トイレに入る。一つしかない個室のドアを開けると、洋式便器の内側で河童が胡座をかいていた。河童の外見は、頭には皿、口には嘴、両手足の指の間には水かき、体色は緑という、二十一世紀に生きる日本人が思い浮かべる河童のイメージと寸分違わない。体の大きさは発育が悪い男子中学生程度だ。
面食らったが、空咳をして気を取り直し、便器の縁にペンでメモしようとすると、
「書くな!」
河童が怒鳴った。見かけほど恐ろしい声ではなかったが、そんなことよりも問題なのは、言うまでもなく、アイデアをメモすることが許されなかったことだ。
「いや、河童くんね、公衆トイレはみんなのものでしょ」
なにがなんでもメモしておきたいわたしは、食い下がる。
「従って便器もみんなのもの。だから別にメモしてもいいでしょ」
「みんなのものということは、俺のものでもあるはずだ。所有者の俺が書くなと言っているんだから、書いてはならない。違うか?」
言っていることが無茶苦茶だ。こんな河童の相手をしていたら、いくら時間があっても足りない。さっさとメモしてさっさと出て行こう。敵意を剥き出しにして睨んでくる河童を無視して便器に書こうとすると、
「書くんじゃない、この野郎!」
いきなり掴みかかってきた。体は大きくないが、力はかなり強い。このままだと、打ち負かされるどころか殺されてしまう。
河童の頭の皿を思い切り殴りつけた。破砕音が響き、嘴から悲鳴が迸り、河童は倒れた。分かりやすい弱点を持つ相手で助かった。
呼吸を落ち着かせ、今度こそメモしようとした瞬間、予想だにしない事態が起きた。河童の嘴から緑色の液体が放水され始めたかと思うと、あっという間に便器の内側を満たし、溢れ出し、床の上に広がり始めたのだ。
驚きのあまり、ペンを取り落としてしまった。緑色の液体に触れた瞬間、ペンは肉が焼けるような音を立てて溶け始めた。
「腐食液……!」
わたしは脇目も振らずにトイレを飛び出した。
我に返った時には、せっかくのアイデアをすっかり失念してしまっている。
項垂れて道を歩いていると、進路に女が立ち塞がった。目鼻立ちもスタイルも十人並み以上の、目を瞠るような美人だ。
美女はわたしに微笑みかけると、おもむろに服を脱ぎ始めた。
ああ、これはわたしのアイデアだ。素晴らしいアイデアを失ったわたしが苦し紛れに捻出した、低俗なアイデアだ。
情けない気持ちで胸がいっぱいになり、涙が頬を使った。全裸になった低俗なアイデアは、わたしの前に跪き、わたしのジーンズのファスナーを開いた。
アイデアは本来、思いつこうと思っても思いつけるものではないから、アイデアを要求されたこの一週間、わたしは大変苦しい思いをした。しかしアイデアを、それも素晴らしいアイデアを思いついたことで、名状しがたい苦しみに終止符が打たれた。
アイデアをメモしようと、上着の内ポケットからペンを取り出す。メモ用紙が見当たらない。家に忘れてきたのだ。地肌に書くという手もあったが、ペンのインキが薄いので、帰宅するまでに消えてしまいそうだ。
薄いインキでもしっかりと書き残せるもの――白――便器。
どうやらわたしは、立て続けに素晴らしい思いつきをしてしまったようだ。
公衆トイレを探し出し、男子トイレに入る。一つしかない個室のドアを開けると、洋式便器の内側で河童が胡座をかいていた。河童の外見は、頭には皿、口には嘴、両手足の指の間には水かき、体色は緑という、二十一世紀に生きる日本人が思い浮かべる河童のイメージと寸分違わない。体の大きさは発育が悪い男子中学生程度だ。
面食らったが、空咳をして気を取り直し、便器の縁にペンでメモしようとすると、
「書くな!」
河童が怒鳴った。見かけほど恐ろしい声ではなかったが、そんなことよりも問題なのは、言うまでもなく、アイデアをメモすることが許されなかったことだ。
「いや、河童くんね、公衆トイレはみんなのものでしょ」
なにがなんでもメモしておきたいわたしは、食い下がる。
「従って便器もみんなのもの。だから別にメモしてもいいでしょ」
「みんなのものということは、俺のものでもあるはずだ。所有者の俺が書くなと言っているんだから、書いてはならない。違うか?」
言っていることが無茶苦茶だ。こんな河童の相手をしていたら、いくら時間があっても足りない。さっさとメモしてさっさと出て行こう。敵意を剥き出しにして睨んでくる河童を無視して便器に書こうとすると、
「書くんじゃない、この野郎!」
いきなり掴みかかってきた。体は大きくないが、力はかなり強い。このままだと、打ち負かされるどころか殺されてしまう。
河童の頭の皿を思い切り殴りつけた。破砕音が響き、嘴から悲鳴が迸り、河童は倒れた。分かりやすい弱点を持つ相手で助かった。
呼吸を落ち着かせ、今度こそメモしようとした瞬間、予想だにしない事態が起きた。河童の嘴から緑色の液体が放水され始めたかと思うと、あっという間に便器の内側を満たし、溢れ出し、床の上に広がり始めたのだ。
驚きのあまり、ペンを取り落としてしまった。緑色の液体に触れた瞬間、ペンは肉が焼けるような音を立てて溶け始めた。
「腐食液……!」
わたしは脇目も振らずにトイレを飛び出した。
我に返った時には、せっかくのアイデアをすっかり失念してしまっている。
項垂れて道を歩いていると、進路に女が立ち塞がった。目鼻立ちもスタイルも十人並み以上の、目を瞠るような美人だ。
美女はわたしに微笑みかけると、おもむろに服を脱ぎ始めた。
ああ、これはわたしのアイデアだ。素晴らしいアイデアを失ったわたしが苦し紛れに捻出した、低俗なアイデアだ。
情けない気持ちで胸がいっぱいになり、涙が頬を使った。全裸になった低俗なアイデアは、わたしの前に跪き、わたしのジーンズのファスナーを開いた。
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