わたしの流れ方

阿波野治

文字の大きさ
上 下
26 / 77

素晴らしいアイデア

しおりを挟む
 とうとう素晴らしいアイデアを思いついた。
 アイデアは本来、思いつこうと思っても思いつけるものではないから、アイデアを要求されたこの一週間、わたしは大変苦しい思いをした。しかしアイデアを、それも素晴らしいアイデアを思いついたことで、名状しがたい苦しみに終止符が打たれた。
 アイデアをメモしようと、上着の内ポケットからペンを取り出す。メモ用紙が見当たらない。家に忘れてきたのだ。地肌に書くという手もあったが、ペンのインキが薄いので、帰宅するまでに消えてしまいそうだ。
 薄いインキでもしっかりと書き残せるもの――白――便器。
 どうやらわたしは、立て続けに素晴らしい思いつきをしてしまったようだ。
 公衆トイレを探し出し、男子トイレに入る。一つしかない個室のドアを開けると、洋式便器の内側で河童が胡座をかいていた。河童の外見は、頭には皿、口には嘴、両手足の指の間には水かき、体色は緑という、二十一世紀に生きる日本人が思い浮かべる河童のイメージと寸分違わない。体の大きさは発育が悪い男子中学生程度だ。
 面食らったが、空咳をして気を取り直し、便器の縁にペンでメモしようとすると、
「書くな!」
 河童が怒鳴った。見かけほど恐ろしい声ではなかったが、そんなことよりも問題なのは、言うまでもなく、アイデアをメモすることが許されなかったことだ。
「いや、河童くんね、公衆トイレはみんなのものでしょ」
 なにがなんでもメモしておきたいわたしは、食い下がる。
「従って便器もみんなのもの。だから別にメモしてもいいでしょ」
「みんなのものということは、俺のものでもあるはずだ。所有者の俺が書くなと言っているんだから、書いてはならない。違うか?」
 言っていることが無茶苦茶だ。こんな河童の相手をしていたら、いくら時間があっても足りない。さっさとメモしてさっさと出て行こう。敵意を剥き出しにして睨んでくる河童を無視して便器に書こうとすると、
「書くんじゃない、この野郎!」
 いきなり掴みかかってきた。体は大きくないが、力はかなり強い。このままだと、打ち負かされるどころか殺されてしまう。
 河童の頭の皿を思い切り殴りつけた。破砕音が響き、嘴から悲鳴が迸り、河童は倒れた。分かりやすい弱点を持つ相手で助かった。
 呼吸を落ち着かせ、今度こそメモしようとした瞬間、予想だにしない事態が起きた。河童の嘴から緑色の液体が放水され始めたかと思うと、あっという間に便器の内側を満たし、溢れ出し、床の上に広がり始めたのだ。
 驚きのあまり、ペンを取り落としてしまった。緑色の液体に触れた瞬間、ペンは肉が焼けるような音を立てて溶け始めた。
「腐食液……!」
 わたしは脇目も振らずにトイレを飛び出した。
 我に返った時には、せっかくのアイデアをすっかり失念してしまっている。
 項垂れて道を歩いていると、進路に女が立ち塞がった。目鼻立ちもスタイルも十人並み以上の、目を瞠るような美人だ。
 美女はわたしに微笑みかけると、おもむろに服を脱ぎ始めた。
 ああ、これはわたしのアイデアだ。素晴らしいアイデアを失ったわたしが苦し紛れに捻出した、低俗なアイデアだ。
 情けない気持ちで胸がいっぱいになり、涙が頬を使った。全裸になった低俗なアイデアは、わたしの前に跪き、わたしのジーンズのファスナーを開いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

妊娠中、息子の告発によって夫の浮気を知ったので、息子とともにざまぁすることにいたしました

奏音 美都
恋愛
アストリアーノ子爵夫人である私、メロディーは妊娠中の静養のためマナーハウスに滞在しておりました。 そんなさなか、息子のロレントの告発により、夫、メンフィスの不貞を知ることとなったのです。 え、自宅に浮気相手を招いた? 息子に浮気現場を見られた、ですって……!? 覚悟はよろしいですか、旦那様?

処理中です...