生きるのに向いていない

阿波野治

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決別⑥

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 フローリング張りの六畳間の定位置、万年床の上に胡坐をかく。室内には、ヘンリエッタに起因する香りが淡く、淡く漂っている。一分ほど前まで同じ空間にいたからではなく、一週間同じ空間で寝食を共にしたからこそ、嗅覚がその情報を取得できたのだろう。そう考える。
 二人が当たり前になりつつあった場所で、一人きりで黙して座するうちに込み上げてきたのは、後悔の念。

 無策だったのは、追放処分もやむなしの大罪なのだろうか。
 秘密にしたことが、そんなにも悪いというのか。
 あのときの俺は、どうしてあんなにも怒ったのだろう。

 冷静になれないなりに冷静になるように努めて、振り返ってみた。振り返れば振り返るほど、俺が選んだ選択は愚かな誤りであり、過ちだという思いが高まっていく。

 ヘンリエッタの無策は、咎めれられるべきものだったかもしれない。しかし俺だって、小説に興味を失っていることを秘密にしていた。非があるのはお互いさまということで、丸く収めることもできたはずだ。というよりも、そうするべきだった。

 そんな簡単なことが、なぜできなかったのだろう?
 俺はそんなにも、隠していた事実を打ち明けるのが嫌だったのだろうか?

 抵抗感が決して弱くなかったのは確かだ。しかし、彼女を犠牲にしてまで守るべき秘密だとは、到底思えない。どの角度から何度検討しても、絶対にそうだとは信じられない。
 それとも、本心では彼女のことを疎ましく思っていて、嘘が発覚したのを契機に、なにがなんでも追い出してやろうと考えた?

 それは違う。絶対に違う、と力強く断言できる。

 その説が正しいのであれば、俺は今、泣きそうになってはいないはずだ。

 失ってみて初めて、失った存在の大きさを痛感している。
 ヘンリエッタは俺が心理的な抵抗なく会話ができる、数少ない人間の一人だった。しがらみがない分、家族よりも楽に、なおかつ楽しく話せた。
 そのヘンリエッタを、俺は失ってしまった。愛想を尽かされて出て行かれたのではなく、俺が自らの手で追放した。ヘンリエッタについて把握している個人情報は、金に困っていること、年齢が近いこと、京都で暮らし始めて俺よりも長いということ、くらいしかない。再会を果たすのは恐らく、というよりもほぼ間違いなく不可能だ。

 自らの手で選び取った現実を噛みしめれば噛みしめるほど、自分が惨めに思えてきて、情けなくなる。泣きたくなる。
 しかしどうやら、涙は遠そうだ。実感としては、いつ落涙してもおかしくないほど悲しいし、切ない。その現象が発生するのをなにがなんでも阻止したい、という気持ちがあるわけではない。それなのに、泣けずにいる。自分があまりにも情けないと、却って泣けないものなのだと、十九年弱生きてきて初めて知った。

 時は刻々と、止まることも淀むこともなく、直線的に流れていく。
 足並みを揃えて、ヘンリエッタとは二度と会えないのだ、という思いが深まっていく。
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