生きるのに向いていない

阿波野治

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決別③

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「なあ、ヘンリエッタ。話は変わるんだけど」

 自分が食べているハンバーガーが半分になったのを、口火を切るきっかけにした。語尾が少し震えたような気がするが、ヘンリエッタにはどう聞こえただろう。

「気になることがあるから、一つ訊いていいか? いつかの夜に、『三四郎』の内容が気になったから質問したみたいに」

 少し、空気の質に変化が生じたらしい。しかし、その意味についていちいち考察を巡らせていては、諸々支障が出そうだ。

「ヘンリエッタは、俺の不登校問題を解決するために努力してくれているんだよな。それはありがたいことだし、嬉しいことなんだけど――。でも、どういうやり方で解決に導こうとしているのか、そろそろちゃんと教えてくれないかな? 救ってもらう立場なのに偉そうかな、とは思うんだけど、知る権利くらいはあるだろうから」

 即座に言葉が返される、ということはなかった。
 このリアクションを受けて、話を切り出して初めて、俺はヘンリエッタの顔を直視した。その顔に、物理的な胸の痛みを堪えているような表情が浮かんでいるのを見て、思わず息を呑んだ。

 隠しごとがあるのだ。俺に打ち明けるとまずいと、彼女自身は認識しているなんらかの事実を、彼女は胸に秘めている。

「ごめんなさい」

 唐突な謝罪の言葉は、発言者自身の膝に向かって吐かれた。視線の先、食べかけのハンバーガーの歪なかじり跡が、深刻な現実を暗喩しているかのようだ。

 ヘンリエッタは顔を上げた。眉根を寄せ、眉尻は下がっている。今にも泣き出しそうな、という形容が適当なほど水分量は多くないものの、瞳は潤んでいる。なんらかのネガティブな感情に心を苛まれていることに、疑いの余地はない。
 ほんの僅かに震えているようにも見える桃色の唇が、おもむろに開かれた。それに続いて、その奥に見える、唇の色合いを濃くしたような舌が蠢く。

「なにも考えていない……」

 解き放たれた言の葉は、俺を驚愕させ、頭の中を疑問符まみれにし、呆然自失の境地へと追いやった。

 ――なにも考えていない。
 なにか計画や作戦があって、それにもとづいて行動していた、ではなくて。

「だって、裕太が学校に行くようになったら、あたしと同居するっていう異常な状態が許されるはずないでしょ。あたしは用済みの邪魔者になって、追い出されてしまう。その事態は、あたし的には絶対に避けたいことなの。だから、裕太が抱えている問題について、なにも考えなかった。考えないようにした。取引の相手としてではなくて、歳が近い、心置きなく楽しく過ごせる相手として、裕太と接してきた。問題はほったらかしにして、あなたと過ごす時間をただ楽しんできた……」

 なにも考えていなかった。無策だった。
 信頼して全てを任せてきたのに、裏切られた。
 任せきりにするという、ある意味では無責任な態度に対する自責。自分も隠しごとをしていることに対する自責。それらが脳裏を過ぎらなかったわけではない。ただ、込み上げてくる激烈な感情に圧倒され、薄れ、あっという間に掻き消された。胃の内容物が逆流するように、体内をなにかが物理的に上昇する感覚を覚えるほどの、強く激しい込み上げ方だ。

 その感情の名は、怒り。
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