生きるのに向いていない

阿波野治

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取引④

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「あっ、おかえりー」

 俺が部屋に戻ってきての、ヘンリエッタの第一声だ。好奇心丸出しで根掘り葉掘り追及してくるのと、無関心なのと。どちらのビジョンも、等しい割合で現実と化すと予想していたのだが、

「かけてきたの、お母さんだよね。なにを話したの? あたしが部屋にいることも話した?」

 前者だった。こちらとしてはありがたくない態度ではあるのだが、強く出てやろうという気分にはなれない。会話を盗み聞きされたわけではないと分かっているのに、なぜだろう、弱みを握られているような気分だ。

「話すわけないだろ。お前のことなんて、一言も口にしてないよ。匂わせてもいない。分かるだろ? 恥ずべきではない関係だとして、いざ異性関係に関する話題となると、親は普段の十倍はうざったくなるからな。ていうかそもそも、面倒くさくて話す気になれないんだよ。お前と出会ったいきさつ、突拍子もなさすぎるからさ」
「あはは、ほんとそうだね。最初の一文字から最後の一文字まで、裕太の言う通りだ。面倒くさいよねぇ、確かに」

 ヘンリエッタはげらげら笑う。責任の半分以上はヘンリエッタにあるというのに、まるで他人事だ。

「毎日電話で現状を報告することになってるんだよ。コンビニでも言ったように、俺は人とまともにしゃべれない人間だろ。だから、まあ、親としても……」
「心配しているわけね。……ん? 裕太は確か、学校には行っていないって言っていたけど」
「実は、まだ親には言ってない。隠してるんだ。いずれ学校から連絡がいくだろうから、それまでの儚い命なんだけど」

 一瞬ではあったが、ヘンリエッタの眉根と眉根は極度に接近した。

「そうだったんだ。こういう言い方もプレッシャーかもしれないけど……。それ、大きな問題だよねぇ」
「まあな。もちろん分かってはいるんだけど、だからこそ言い出しづらいと言うか」
「そっかー。うん、それはそうだよね」

 話が脱線し始めていると感じる。それが俺にとって望ましいことなのか、不都合なことなのかは、判断を下すのが難しい。それがなんともいえず気持ち悪い。ヘンリエッタのこれまでの言動からして、一度本線から外れたが最後、予想外の地平まで連れ去られるのを覚悟する必要がある。

「ようするに、裕太は困っているわけだよね。ご両親に現状を伝えられていないから」
「そうなるな。……お前、もしかしてなにか企んでる?」
「あ、分かった? 数時間だけでもいっしょにいると、他人だった人のことも理解できるものなんだね。なんか嬉しいなー」

 ヘンリエッタは食事に好物の料理が出たときのような顔をした。俺は「早く本題に入れ」というメッセージを込めて、睨むような強い眼差しを送りつける。意思が伝わったのか、最初から脱線させるつもりはなかったのか、朗らかな表情のままこう述べた。

「じゃああたしが、裕太が学校へ行けるように手伝ってあげる。今はまだなにも思いついていないけど、なんとかして秘策を打ち出すよ。裕太の方にこうしたらどうだろうっていう案があるのなら、全面的に協力するし」
「協力……」
「そう、協力。大学に行くか行かないかの問題って、人生にかかわる大問題だよね? 義務教育じゃないから、最悪退学もあり得るっていう意味で。その問題を解決できるっていうなら、かわいい女の子に毎日の食事と寝床を提供するくらい、なんでもないことだよね? そうだよね?」

 俺は頷く。頷いたあとで、本当にそうなのか、腰を据えて考えてみた。……確かに、なんでもないことだという気がする。

「というわけで、取引しよう。裕太は、あたしがこの部屋で生活することを許可する。その代わりあたしは、裕太が学校へ行けるようにしてみせる。どうかな?」

 今度は、取引が自分の利益がもたらされるか否かについて思案してみる。……どこをいくら探しても、断る理由は落ちていない。
 ヘンリエッタと視線を合わせる。今までさんざん拒絶してきたというのに、今さらどんな顔をして、居候に肯定的な言葉を返せばいいというんだ?
 そんな俺のちっぽけな懊悩を、ヘンリエッタは穢れを知らない子供にしかできないような、満面の笑みで笑い飛ばした。

「目は口ほどにものを言うっていうのは、今の裕太のことだね。あたしという存在を受け入れてくれて、ありがとう。これからよろしくね」
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