切言屋

阿波野治

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突然の報せ①

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 美咲は今日、一文字も書かなかった。
 音沙汰がなかったおかげで読書がはかどったので助かった、と言いたいところだが、万全の集中力で没頭できたとは言いがたい。昨日に引き続き、今日もなにかしらの進展があるはずだと無意識に思い込んでいて、それを裏切られたから。
 母親以外の人間との初めての筆談。殻を一枚破ったのはたしかだが、学校には行かず、部屋にひきこもり続けている現状に変わりはない。

 進展がないのは当たり前。
 その状態からいかにポジティブな漣を立てていくか、その勝負なのだ。
 確実な変化をほとんど前提のようにしていたわたしが楽観的すぎて、愚かだっただけであって。

 のどかはため息をつく。実際に唇から解き放つのではなく、心の中で。

 明日からはなにも起きないものと思おう。説得ではなく、読書をするために吉村家に行く。それでいい。

 説得のやりかたは自由でいい。のどかに任せる。
 草太朗からはそう伝えられている。報告に応じて指示を追加することはあるが、基本的には口出ししない、とも言っていた。
 だからのどかは、明日も、おおまかな方針は変えずに説得に臨むつもりだ。

 わたしから積極的にあなたを説得はしない、話したいことがあるなら聞くから自由に話してくれていいし、もちろん話さなくても構わない。
 まだ二日とはいえ、今のところその方針を堅持できているのは、わたしが吉村美咲という一個人に、広い意味で無関心だからだ。のどかはそう考えている。

 ただ、ドア越しとはいえ共有する時間が重なるにつれて、また、おとといに小さくも大きな変化が起きたことによって、美咲への興味は緩やかに上昇カーブを描いていた。

 だから、肩透かしを食らった今日の帰り道、そして帰宅後、何度かこう考えた。
 言いたいことを言えずにいるあいだ、吉村美咲はなにを考えていたのだろう?

 自問への自答は出さずに、読んでいた文庫本を閉ざす。グラスの麦茶に口をつけながら、対面のソファをうかがう。

 のどかが本を手に考えごとをしているあいだ、草太朗はずっとスマホをいじっている。どことなく眠たげで気だるそうな表情。規則的な指の動き。暇を持て余した挙げ句ゲームをしているときに見られる姿だ。
 草太朗のことだから、若者に人気のアプリ専用ゲームではなく、人口に膾炙したシンプルなルールのゲームをやっているのだろう。たとえば、リバーシだとか。
 そんなもので遊んで、なにが面白いのだろう。
 冷ややかな気持ちに磨きがかかる。

 一方で、父親は純粋に楽しむ目的でその手のゲームで遊んでいるわけではない、と理解している。
 暇つぶし、でもない。その目的も兼ねてはいるが、あくまでもサブ的な目的に過ぎない。

 草太朗は、一定量以上のストレスに晒されたさいに、それから逃避するために単調な作業を黙々とこなしている。
 そう教えてくれたのは、他ならぬ草太朗本人だ。
 そのようなやりかたでストレスに対処するようになったきっかけも、併せて伝えられた。切言屋の創設者であり、のどかの父親でもある男は、己がいかなる人間なのかを見事なまでに熟知していた。
 悲しいきっかけだった。ちょっとのことでは動じないのどかの心も、さすがに揺れた。ただし、同情はしなかった。お互いさまだと思ったからだ。

 ゲームに耽る草太朗を見ても、のどかはやめさせようとは思わない。ああやっているな、とただ思う。なにか厄介なことがあったんだな、と。
 今の状況を考えれば、美咲の件が関係しているのは疑いようがない。

 パパは甘い。ターゲットや依頼者のことを、人間として見るから苦しくなる。わたしみたいに、割り切ればいいのに。斬り捨ててしまえばいいのに。

 ほんの小さく、今度は実際にため息をつき、再び文庫本に注意を戻した。
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