切言屋

阿波野治

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美咲の葛藤②

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 ひきこもった当初は、母親とは毎日のように筆談していたが、それは新生活を送るにあたって、家族に遵守してほしい規則、母親にしてもらわなければならない作業などについて、情報を共有する必要があったから。その作業が一段落したあとは、事務的なやりとりばかりを交わした。

 必ずしも必要ではなくても構わないから、会話する機会を持たなければ、娘はだめになってしまう。帰ってこられない場所にまで行ってしまう。
 母親はそう考えていたらしく、機会を見つけては無駄話を振ってきたが、美咲は断固として拒絶した。

 母親はやがて、必要不可欠以外のコミュニケーションを慎むようになった。試みのいっさいを放棄したわけではないが、頻度は一日に一回以下に激減した。
 一抹のさびしさを感じたが、対応としては間違っていないと美咲は確信している。

 のどかは仕事だから美咲の相手をしている。だから本質的には、母親と会話する場合と大差ないのかもしれない。
 明確な相違点は、建設的だということ。
 実の娘との必要最低限以上のコミュニケーションを断念した母親とは違い、のどかは美咲を現状から救い出そうとしている。

 彼女とやりとりを重ねていけば、美咲の人生は劇的に変わるかもしれない。
 これまでは絵空事に過ぎないと思っていた「普通の生活」を獲得できるかもしれない。

 現状、美咲は暗闇の中にいる。一条の光すらも射し込んでいない。
 しかし、もう少しすれば、か細くも眩い希望をお目にかかれるのではないか。射し込む場所ははるか遠くかもしれないが、とにかく光、たしかな光を。そんな漠然とした予感を、期待を、美咲は抱いている。

「……それにしても」

 おとといまで赤の他人、今だって顔すらも知らない少女に、私はどうして気を許したのだろう? 惹かれているのだろう?
 煎じ詰めれば、その疑問についてばかり考えているといっても過言ではない。

 不登校・ひきこもり・人としゃべれない状態から解放してくれる救世主だと見なしているから。煎じ詰めれば、そういうことなのだろう。
 ただ、救世主とはいってもただの人間だから、患者である美咲が非協力的な態度でいては、得られるものも得られない。

 求められるのは、美咲の協力、ならびに努力。
 第一のハードルとして、自分が不登校になり・自室にひきこもり・人としゃべれなくなった理由をのどかに伝えなければならないのだが、

「……怖い」

 薄手の掛け布団にしがみついたベッドの上、染み一つない殺風景な天井の白さを凝視する美咲の唇から、そんな言の葉がこぼれ落ちた。

 自分が現在の状態になるに至った経緯を、理路整然と伝えられる自信がない。その課題は、切言屋の存在を知った当初から続いている。
 しかし、それに負けず劣らず美咲を悩ませているのは、他者に自分自身の胸の内を開示することへの恐れだ。
 ドア越しだろうが、筆談だろうが、のどかは仕事として耳を貸しているだけだと割り切ろうが――怖いものは怖い。
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