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 新原家の二階の寝室からは花見ができる。日本人の俺が花見という言葉を使うからには、観賞の対象となる花はもちろん、桜の花だ。

 発見のきっかけは、結婚して最初の春の午後に、部屋の掃除をしていたときのこと。何気なく窓外に目を向けると、ピンク色が見えた。寂れた商店街がある方面で、足を運んだことは一度もなかった。

 妻を誘って様子を見に行ったところ、Y字路の上部を構成するVの底に当たる地点に、一本の桜の木が生えていた。栄養不良なのか、それとも若い木なのか。毎年春になるたびに足を運んでいる城址公園の桜と比べると、枝振りが貧相で、開いている花の数も少なかった。さらに言えば、近くに花見ができそうなスペースもない。我が家とY字路の直線距離は二百メートル以上もあったが、その間に障害物が立ち塞がっていないため、枝の先端についた花が窓越しに見えたらしい。

 その発見以来、桜が咲く季節には、窓のカーテンを開けて就寝前のひとときを過ごすのが習慣化した。
 そうはいっても、世界は夜。おぼろな桜色は濃密な闇に埋没し、桜花を認識することは叶わない。Y字路を走行する自動車のヘッドライトに照らし出されれば、一瞬でも、不明瞭でも、かろうじて視認できるかもしれない。その可能性に期待して、あるいは端から期待などしないで、カーテンを全開にしていた。

 ダブルベッドの上で、妻を前にして、俺たちは密着して座っている。まるでカーテンだけではなく窓まで開いていて、流入してくる夜気の冷たさのせいで、くっつき合っていなければ凍えてしまうとでもいうように。俺が着ているのはスカイブルーと白のストライプのパジャマで、妻は漆黒のシースルーのベビードール。ベビードールはネット通販でふざけ半分で購入した代物だが、着心地がいいらしく、ずっと愛用してくれている。

 俺の両腕は妻の細い胴体に巻きつき、豊かな乳房の下に宛がわれ、半ば押し上げている。鷲掴みするよりも、こちらの触れ方の方が俺は好きだ。妻の大きな胸を俺は愛しているが、年齢や付き合い始めてからの長さによって、愛で方は当然変化する。俺たちは夫婦だ。いつでも触れられるのだから、がっつく必要はどこにもない。

 妻は両足を投げ出すようにして座り、俺に背中を預けている。完全にフリーな両手が位置する場所は、一定しない。ベッドのヘッドボードに置かれることもあるし、俺の体を撫でることもあるし、指先で壁に記録にも記憶にも残らない落書きを描くこともある。口はもっぱら、俺と会話するために動かされる。振ってくるのは漏れなくだらない話だが、高度な知能を有さない俺にとっては、そのくだらなさが楽しかったりする。

 なにせ見えないので、ベッドの上でだらだらしている間、桜が話題に上るのは本当に稀なのだが、その日はその稀な日に該当した。

「この場所から桜が見えるってことは、桜からも、いちゃついている俺たちのことが見えているわけだよな。そう考えると、なんかぞくぞくしない?」

 桜に見られているという意識を持ったことはこれまで一度もなかったし、仮にそうだとしてもなんとも思わない。話の種として、気軽な気持ちで、思ってもみないことを口にしてみただけだ。

「いきなり言われても、ぴんと来ないよー。植物じゃなくて動物なら分かる気がするけど。猫ちゃんとか」
 共感か否定かなら後者だろう、と予想していたが、予想通りの返答だ。桜は動物じゃないんだから、人がいちゃついているところを見るわけないじゃん。そう小馬鹿にしている気配が感じられた。

 予想通りの反応とはいえ小癪に障ったので、報復として脇腹を軽くつねってやる。ベビードールは極めて薄い布で作られているので、目で楽しむだけではなく、悪戯をするのにも好都合だ。むっとした顔が肩越しに睨んできたので、「悪い、悪い」とばかりに軽佻浮薄な笑みで応じ、反対側の肩に顎をのせる。
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