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血は争えない<前編>
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リオちゃんは赤ん坊のとき、コウノトリに運ばれてママとパパの家にやって来た。そうリオちゃんのママが言っていた。
ママによると、ママとパパの家に来て二年が経っても、リオちゃんは「だー」とか「あー」とかしか喋れなかったらしい。同じ年頃の幼児は「ママ」や「だっこ」や「ネコさん」などの言葉を口にしているのに、リオちゃんだけが「だー」に「あー」。
(この子は脳に障害があるのかしら?)
そう疑ったママは、丑三つ時、すやすやと眠るリオちゃんをベビーカーに乗せ、近所の神社へ行った。参道を道なりに進んで本殿まで行き、賽銭箱に硬貨を投げ入れる。柏手を打ち、心中で願い事を唱える。
(神様、リオをどうか当たり前の女の子に成長させてください)
それからというもの、ママは毎夜のように神社に参拝した。ママによると、願いが叶うまで続けるつもりだったらしいが、記録は六十二で途切れた。六十二日目の夜、ママは境内で烏天狗に襲われ、そのショックから、神社に足を運ぶことができなくなったのだ。
ママによると、烏天狗は頭部が烏で、股間を真っ赤な天狗の面で隠した、人型の生物らしい。事件の日の夜、烏天狗は股間から突き出た天狗の鼻で、ママを嫌というほど小突き回したのだそうだ。
リオちゃんのパパによると、ママは昔から時折「おかしな行動」をとっていたが、被害に遭ってからは、その頻度が格段に高まったという。
*
リオちゃんは小学一年生のときに初めて、ママの「おかしな行動」を目の当たりにした。
早春の昼下がり、リオちゃんはママと一緒に駅前の大通りを歩いていた。事件は花屋の前に差しかかったときに起こった。リオちゃんの他愛もない話に相槌を打っていたママが、急に店に向き直った。そうかと思うと、額を地面に押しつけ、ジーパンに包まれた尻を高々と持ち上げ、舌を噛みそうなほどの早口で謝り始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。死んでお詫びします。ごめんなさい、ごめんなさい……」
通行人の視線がママに集中する。店内にいた従業員が慌てて飛んできた。このちょっとした騒動がどのような形で収束したのかをリオちゃんは覚えていないが、ママと張り合うかのように店員も頭を下げていたのを記憶している。
小学二年生のときには、こんなこともあった。
十月の深夜、リオちゃんは庭から聞こえてくる微かな音に目を覚ました。
聴覚に意識を集中したが、音の正体は判然としない。
ママを呼びにママの寝室まで行こうかとも考えたが、音は小さく、不穏な気配も感じなかったので、怖い目に遭うことはないだろうと判断し、一人で音がする方へ行ってみた。
玄関のドアを開けると、庭の芝生の上にネグリジェ姿のママがいた。月光のスポットライトを浴びながら、踊るようにステップを踏み、両手でリズミカルに太鼓を叩いている。肩紐がついていて、直径がフライパンほどある、オモチャの太鼓だ。打ち鳴らされる音はさほど大きくはないが、音色は濾過した水のように澄んでいて、耳に残った。
ママの眼前には犬の死体が横たわっている。中型犬だ。毛が茶色く、痩せこけていて、頭部がなかった。
「ママ、なにをしてるの?」
リオちゃんは単刀直入に尋ねた。
「復活の儀式よ。月夜に儀式を行うと、死んだ動物を生き返らせることができるの」
ママは太鼓を叩く手を止めずに、娘には見向きもせずに答えた。
リオちゃんは興味津々に犬の死体を見つめたが、四肢も尻尾も微動だにしない。
一向に変化が起きないので、ほどなく飽きた。眠たかったし、寒かった。相も変わらず踊るように太鼓を叩いているママに背を向け、自室に戻って布団に入った。太鼓の音が子守歌代わりとなり、すぐに眠ることができた。
ママがとった「おかしな行動」を列挙すれば際限がないが、最も印象深かったのは、リオちゃんが小学三年生のときに起きた、おはぎの一件だろう。
ゴールデンウィーク明けの夕方だった。リオちゃんがリビングでテレビを観ていると、いきなりドアが勢いよく開かれ、ママが駆け込んできた。興奮しているらしく、頬が紅潮している。
ママは目を剥いてリオちゃんの顔を凝視し、右の掌でテーブルを連打した。
「リオ、見て見て見て」
テーブルの上に左手を出し、開いた。悪臭が鼻を突いた。ママが握っていたのは、長さが十センチほどの、うんこだった。
「できる、できる、ようやくできるわ」
歌うように口ずさみながら炊飯器に歩み寄り、しゃもじでご飯をすくう。寿司のシャリほどの分量のその塊は、テーブルの上に直に置かれた。ママの両の掌がうんこを押し潰し、平べったくする。うんこはありのままの状態でも充分に臭いが、形が崩れるとより臭くなることをリオちゃんは知った。
「おはぎ、おはぎ、おはぎができるわ」
ママは潰れたうんこでご飯の塊を包み始めた。リオちゃんの目には、随分と慣れた手つきに見えた。
作業は一分もかからなかった。テーブルに置かれた完成品は、どこからどう見てもおはぎだった。
ママは魔法を使ってうんこをあんこに変身させたのだ、とリオちゃんは思った。
甘い物に目がないリオちゃんは、おはぎに手を伸ばした。透かさずママの手がそれを掴み上げた。
「これは、ママのものです」
凜とした口調で断言し、おはぎを口に放り込む。あーっ、という声がリオちゃんの口からこぼれた。何回か咀嚼したあと、大きく喉が蠢き、おはぎはママの胃の腑に消えた。
「晩ご飯まで時間があるから、トイレを掃除してくるわね」
ママは何事もなかったかのようにリビングをあとにした。
食べたかったな、おはぎ、と思いながら、リオちゃんはテレビに注目を戻した。
*
おはぎの一件があった半年後、リオちゃんのママは死んだ。
会社で仕事をしていたパパを電話で自宅に呼び戻し、斧で惨殺したあと、首を吊ったのだ。
リオちゃんは授業中にその報せを受けた。担任の先生の車に乗り、病院へ向かった。
霊安室に入ると、ママとパパは変わり果てた姿で横たわっていた。ママの死に顔は美しかった。パパの死に顔は普通だった。
日付が変わり、通夜が行われ、また日付が変わった。
リオちゃんが控え室の椅子に腰かけて告別式が始まるのを待っていると、喪服を着た小太りのおばさんが話しかけてきた。
「あんたのお母さん、斧で旦那を殺したんやってな」
おばさんの声と表情は不機嫌そうだ。声量は抑えられていたので、周りの人たちは誰もリオちゃんたちに注目しない。
「電話でその報せを聞いたとき、とうとうやったか、って思ったわ。なにせ親があれやったからな。……ん? その顔、もしかしてあんた、知らんのか? ええ機会やから、教えたる。あんたのお母さんのお母さん、つまりあんたのお祖母さんは、人殺しなんや。年号が平成に変わった年に頭の具合がおかしくなって、家族や近所の人から疎まれていると思い込んで、自分の旦那の首を斧で切り落として、それから近所の人を包丁で刺して回って、最後に自分の腹を刺して死んだんや。殺した人数は、旦那も含めて四人。あんたのお母さんは、修学旅行に行って留守にしとったから命拾いしたんや」
おばさんは膝に手をついてリオちゃんと目の高さを同じにする。
「血は争えん。望もうが望むまいが、子は親に似るもんや。気ぃつけとかんと、あんたも将来、人を殺すかもしれへんで」
「どうして? あたし、ママの子供じゃなくて、コウノトリが運んできた子供だよ?」
小首を傾げての返答に、おばさんは目を丸くした。
「コウノトリが運んできた? それ、あんたのお母さんが言ったんか?」
頷くと、はー、という溜息に似た声がおばさんの口からこぼれた。
「どうしようもないな、ほんまに」
捨て台詞を残し、おばさんはリオちゃんのもとを去った。
告別式が終わると、ママとパパは霊柩車で火葬場に運ばれ、焼かれて骨になった。二人の骨は大きすぎる箸で拾われ、別々の骨壺に納められた。
ママによると、ママとパパの家に来て二年が経っても、リオちゃんは「だー」とか「あー」とかしか喋れなかったらしい。同じ年頃の幼児は「ママ」や「だっこ」や「ネコさん」などの言葉を口にしているのに、リオちゃんだけが「だー」に「あー」。
(この子は脳に障害があるのかしら?)
そう疑ったママは、丑三つ時、すやすやと眠るリオちゃんをベビーカーに乗せ、近所の神社へ行った。参道を道なりに進んで本殿まで行き、賽銭箱に硬貨を投げ入れる。柏手を打ち、心中で願い事を唱える。
(神様、リオをどうか当たり前の女の子に成長させてください)
それからというもの、ママは毎夜のように神社に参拝した。ママによると、願いが叶うまで続けるつもりだったらしいが、記録は六十二で途切れた。六十二日目の夜、ママは境内で烏天狗に襲われ、そのショックから、神社に足を運ぶことができなくなったのだ。
ママによると、烏天狗は頭部が烏で、股間を真っ赤な天狗の面で隠した、人型の生物らしい。事件の日の夜、烏天狗は股間から突き出た天狗の鼻で、ママを嫌というほど小突き回したのだそうだ。
リオちゃんのパパによると、ママは昔から時折「おかしな行動」をとっていたが、被害に遭ってからは、その頻度が格段に高まったという。
*
リオちゃんは小学一年生のときに初めて、ママの「おかしな行動」を目の当たりにした。
早春の昼下がり、リオちゃんはママと一緒に駅前の大通りを歩いていた。事件は花屋の前に差しかかったときに起こった。リオちゃんの他愛もない話に相槌を打っていたママが、急に店に向き直った。そうかと思うと、額を地面に押しつけ、ジーパンに包まれた尻を高々と持ち上げ、舌を噛みそうなほどの早口で謝り始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。死んでお詫びします。ごめんなさい、ごめんなさい……」
通行人の視線がママに集中する。店内にいた従業員が慌てて飛んできた。このちょっとした騒動がどのような形で収束したのかをリオちゃんは覚えていないが、ママと張り合うかのように店員も頭を下げていたのを記憶している。
小学二年生のときには、こんなこともあった。
十月の深夜、リオちゃんは庭から聞こえてくる微かな音に目を覚ました。
聴覚に意識を集中したが、音の正体は判然としない。
ママを呼びにママの寝室まで行こうかとも考えたが、音は小さく、不穏な気配も感じなかったので、怖い目に遭うことはないだろうと判断し、一人で音がする方へ行ってみた。
玄関のドアを開けると、庭の芝生の上にネグリジェ姿のママがいた。月光のスポットライトを浴びながら、踊るようにステップを踏み、両手でリズミカルに太鼓を叩いている。肩紐がついていて、直径がフライパンほどある、オモチャの太鼓だ。打ち鳴らされる音はさほど大きくはないが、音色は濾過した水のように澄んでいて、耳に残った。
ママの眼前には犬の死体が横たわっている。中型犬だ。毛が茶色く、痩せこけていて、頭部がなかった。
「ママ、なにをしてるの?」
リオちゃんは単刀直入に尋ねた。
「復活の儀式よ。月夜に儀式を行うと、死んだ動物を生き返らせることができるの」
ママは太鼓を叩く手を止めずに、娘には見向きもせずに答えた。
リオちゃんは興味津々に犬の死体を見つめたが、四肢も尻尾も微動だにしない。
一向に変化が起きないので、ほどなく飽きた。眠たかったし、寒かった。相も変わらず踊るように太鼓を叩いているママに背を向け、自室に戻って布団に入った。太鼓の音が子守歌代わりとなり、すぐに眠ることができた。
ママがとった「おかしな行動」を列挙すれば際限がないが、最も印象深かったのは、リオちゃんが小学三年生のときに起きた、おはぎの一件だろう。
ゴールデンウィーク明けの夕方だった。リオちゃんがリビングでテレビを観ていると、いきなりドアが勢いよく開かれ、ママが駆け込んできた。興奮しているらしく、頬が紅潮している。
ママは目を剥いてリオちゃんの顔を凝視し、右の掌でテーブルを連打した。
「リオ、見て見て見て」
テーブルの上に左手を出し、開いた。悪臭が鼻を突いた。ママが握っていたのは、長さが十センチほどの、うんこだった。
「できる、できる、ようやくできるわ」
歌うように口ずさみながら炊飯器に歩み寄り、しゃもじでご飯をすくう。寿司のシャリほどの分量のその塊は、テーブルの上に直に置かれた。ママの両の掌がうんこを押し潰し、平べったくする。うんこはありのままの状態でも充分に臭いが、形が崩れるとより臭くなることをリオちゃんは知った。
「おはぎ、おはぎ、おはぎができるわ」
ママは潰れたうんこでご飯の塊を包み始めた。リオちゃんの目には、随分と慣れた手つきに見えた。
作業は一分もかからなかった。テーブルに置かれた完成品は、どこからどう見てもおはぎだった。
ママは魔法を使ってうんこをあんこに変身させたのだ、とリオちゃんは思った。
甘い物に目がないリオちゃんは、おはぎに手を伸ばした。透かさずママの手がそれを掴み上げた。
「これは、ママのものです」
凜とした口調で断言し、おはぎを口に放り込む。あーっ、という声がリオちゃんの口からこぼれた。何回か咀嚼したあと、大きく喉が蠢き、おはぎはママの胃の腑に消えた。
「晩ご飯まで時間があるから、トイレを掃除してくるわね」
ママは何事もなかったかのようにリビングをあとにした。
食べたかったな、おはぎ、と思いながら、リオちゃんはテレビに注目を戻した。
*
おはぎの一件があった半年後、リオちゃんのママは死んだ。
会社で仕事をしていたパパを電話で自宅に呼び戻し、斧で惨殺したあと、首を吊ったのだ。
リオちゃんは授業中にその報せを受けた。担任の先生の車に乗り、病院へ向かった。
霊安室に入ると、ママとパパは変わり果てた姿で横たわっていた。ママの死に顔は美しかった。パパの死に顔は普通だった。
日付が変わり、通夜が行われ、また日付が変わった。
リオちゃんが控え室の椅子に腰かけて告別式が始まるのを待っていると、喪服を着た小太りのおばさんが話しかけてきた。
「あんたのお母さん、斧で旦那を殺したんやってな」
おばさんの声と表情は不機嫌そうだ。声量は抑えられていたので、周りの人たちは誰もリオちゃんたちに注目しない。
「電話でその報せを聞いたとき、とうとうやったか、って思ったわ。なにせ親があれやったからな。……ん? その顔、もしかしてあんた、知らんのか? ええ機会やから、教えたる。あんたのお母さんのお母さん、つまりあんたのお祖母さんは、人殺しなんや。年号が平成に変わった年に頭の具合がおかしくなって、家族や近所の人から疎まれていると思い込んで、自分の旦那の首を斧で切り落として、それから近所の人を包丁で刺して回って、最後に自分の腹を刺して死んだんや。殺した人数は、旦那も含めて四人。あんたのお母さんは、修学旅行に行って留守にしとったから命拾いしたんや」
おばさんは膝に手をついてリオちゃんと目の高さを同じにする。
「血は争えん。望もうが望むまいが、子は親に似るもんや。気ぃつけとかんと、あんたも将来、人を殺すかもしれへんで」
「どうして? あたし、ママの子供じゃなくて、コウノトリが運んできた子供だよ?」
小首を傾げての返答に、おばさんは目を丸くした。
「コウノトリが運んできた? それ、あんたのお母さんが言ったんか?」
頷くと、はー、という溜息に似た声がおばさんの口からこぼれた。
「どうしようもないな、ほんまに」
捨て台詞を残し、おばさんはリオちゃんのもとを去った。
告別式が終わると、ママとパパは霊柩車で火葬場に運ばれ、焼かれて骨になった。二人の骨は大きすぎる箸で拾われ、別々の骨壺に納められた。
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