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気分がすぐれないときは体力の消費スピードが速い。まだ十分も歩かないのに足が疲れてきた。
休憩をとろうと、たまたま見かけた小さな公園に足を踏み入れる。最低限の遊具が置かれているだけで、遊んでいる人間もおらず閑散としている。鎖が錆びついたブランコに腰を下ろすと、特大のため息が口からあふれ出した。
頭が上手く回ってくれない。そもそも、なにを考えればいいのか。空は見る見る暗くなる。ただ時間だけが過ぎていく。
やがて脳裏に浮かんだのは、西崎瀬理は俺の手には負えない、という思い。
彼女の問題ではなく、一輝の問題だ。
彼は今、不登校だ。芸大の高い学費を親から出してもらい、自らが望む大学に通っているにもかかわらず、授業に出席できていない。なんらかの問題を抱えている他者の手助けをする余裕など、そもそもない。
西崎さんのことは他の人に任せよう。彼女は引っ込み思案なところがあるけど、いよいよ切羽詰まったら、信頼できる大人に相談するだろう。ただ家が隣同士という関係なだけの俺に「チャーハンを作ってほしい」と願い出たときのように、引っ込み思案な性格らしからぬ思いきりを発揮して。
彼女の力になる人間は、必ずしも俺である必要はない。むしろ、問題を抱えている俺なんかに頼らないほうがいい。俺は彼女の問題ではなく、俺自身の問題を解決するために、頭と時間と労力を使うべきだ。チャーハン作りに精を出すのも今日でおしまいにしよう。簡単に作れるとはいえ、それでもやはりいくらか手間がかかるのだから。
これで一応は納得がいく結論が出た。少なくとも、一輝はそう感じた。
しかし、腰は重い。立ち上がることができない。まるでブランコの座面と尻が接着剤でくっついているかのようだ。
本当にそれでいいのか? 西崎さんを切り捨ててしまってもいいのか? そうすればたしかに、俺は今よりも少し楽になれるだろうけど。
雨が強まった。それでも一輝は立ち上がれない。方針は定まったし雨も降ってきたからさっさと帰ろう、という気持ちにはなれない。
これは罰なのだ、と思う。
雨に打たれるのは、西崎さんを斬り捨てた罰。だから、甘んじよう。ずぶ濡れになるまで雨に打たれて、それから帰ろう。そうすれば、今後は彼女のことをきれいに忘れて生きていけるかもしれない。
不意に雨が途切れた。雨音は聞こえているのに、体に雨がかからなくなった。
はっとして顔を上げると、いつの間にか真っ赤な傘を頭上に差しかけられていた。
差しかけたのは、小柄な初老の男性。見慣れた制服姿ではなかったので、一瞬誰なのか分からなかったが、間違いない。
「あなたは、『竜水亭』の店主さん?」
店主は頷く。怒っているのでも、心配しているのでもない顔。無表情。
「傘、いいんですか。濡れていますけど」
「常連客の体調も大事だからな」
ぶっきらぼうに店主は言う。愛想は悪いが、突き放す冷たさは感じられない。
「顔、覚えていてくれていたんですね。でも、どうして公園なんかに?」
「野暮用があって帰っていたところ、偶然君を見かけて、ただごとではないと思って話しかけただけだ。……言葉を発したのは君が先だったがな。私は無理に傘はいらない。どうせ古いものだから、返さなくてもいい。君が差して帰るといい」
返さなくてもいい。
瀬理に初めてチャーハンをご馳走したとき、一輝もチャーハンを盛った皿を指して、店主と同じことを言った。
懐かしくて、胸が締めつけられて、目に雫がたまった。
「帰れない、もしくは帰りたくない事情でもあるのか?」
涙に気がついたらしい店主が確認をとってきた。心なしか、声はさっきまでよりも柔らかい。
一輝は無言で頷いた。自分が瀬理か、それよりも年下の子どもになった気がした。
「私の野暮用はもう済んでいる。話したいことがあるなら話すといい」
一輝は言葉に甘えることにした。
休憩をとろうと、たまたま見かけた小さな公園に足を踏み入れる。最低限の遊具が置かれているだけで、遊んでいる人間もおらず閑散としている。鎖が錆びついたブランコに腰を下ろすと、特大のため息が口からあふれ出した。
頭が上手く回ってくれない。そもそも、なにを考えればいいのか。空は見る見る暗くなる。ただ時間だけが過ぎていく。
やがて脳裏に浮かんだのは、西崎瀬理は俺の手には負えない、という思い。
彼女の問題ではなく、一輝の問題だ。
彼は今、不登校だ。芸大の高い学費を親から出してもらい、自らが望む大学に通っているにもかかわらず、授業に出席できていない。なんらかの問題を抱えている他者の手助けをする余裕など、そもそもない。
西崎さんのことは他の人に任せよう。彼女は引っ込み思案なところがあるけど、いよいよ切羽詰まったら、信頼できる大人に相談するだろう。ただ家が隣同士という関係なだけの俺に「チャーハンを作ってほしい」と願い出たときのように、引っ込み思案な性格らしからぬ思いきりを発揮して。
彼女の力になる人間は、必ずしも俺である必要はない。むしろ、問題を抱えている俺なんかに頼らないほうがいい。俺は彼女の問題ではなく、俺自身の問題を解決するために、頭と時間と労力を使うべきだ。チャーハン作りに精を出すのも今日でおしまいにしよう。簡単に作れるとはいえ、それでもやはりいくらか手間がかかるのだから。
これで一応は納得がいく結論が出た。少なくとも、一輝はそう感じた。
しかし、腰は重い。立ち上がることができない。まるでブランコの座面と尻が接着剤でくっついているかのようだ。
本当にそれでいいのか? 西崎さんを切り捨ててしまってもいいのか? そうすればたしかに、俺は今よりも少し楽になれるだろうけど。
雨が強まった。それでも一輝は立ち上がれない。方針は定まったし雨も降ってきたからさっさと帰ろう、という気持ちにはなれない。
これは罰なのだ、と思う。
雨に打たれるのは、西崎さんを斬り捨てた罰。だから、甘んじよう。ずぶ濡れになるまで雨に打たれて、それから帰ろう。そうすれば、今後は彼女のことをきれいに忘れて生きていけるかもしれない。
不意に雨が途切れた。雨音は聞こえているのに、体に雨がかからなくなった。
はっとして顔を上げると、いつの間にか真っ赤な傘を頭上に差しかけられていた。
差しかけたのは、小柄な初老の男性。見慣れた制服姿ではなかったので、一瞬誰なのか分からなかったが、間違いない。
「あなたは、『竜水亭』の店主さん?」
店主は頷く。怒っているのでも、心配しているのでもない顔。無表情。
「傘、いいんですか。濡れていますけど」
「常連客の体調も大事だからな」
ぶっきらぼうに店主は言う。愛想は悪いが、突き放す冷たさは感じられない。
「顔、覚えていてくれていたんですね。でも、どうして公園なんかに?」
「野暮用があって帰っていたところ、偶然君を見かけて、ただごとではないと思って話しかけただけだ。……言葉を発したのは君が先だったがな。私は無理に傘はいらない。どうせ古いものだから、返さなくてもいい。君が差して帰るといい」
返さなくてもいい。
瀬理に初めてチャーハンをご馳走したとき、一輝もチャーハンを盛った皿を指して、店主と同じことを言った。
懐かしくて、胸が締めつけられて、目に雫がたまった。
「帰れない、もしくは帰りたくない事情でもあるのか?」
涙に気がついたらしい店主が確認をとってきた。心なしか、声はさっきまでよりも柔らかい。
一輝は無言で頷いた。自分が瀬理か、それよりも年下の子どもになった気がした。
「私の野暮用はもう済んでいる。話したいことがあるなら話すといい」
一輝は言葉に甘えることにした。
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