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 翌日、一輝は久しぶりに大学の授業に出席した。
 不快になる出来事があったわけではない。それなのに気分が晴れないし、昼食も美味しくない。午後からも授業がある日だったが、教室には行かずに帰途に就いた。

「……どうしよう」
 散らかった六畳間の隅、万年床の上に一輝は仰向けに寝そべり、ため息をついた。
 このままでいいはずがない。それは一輝が一番分かっている。家族に知られればこっぴどく叱られるだろうし、なにより自分自身にとって望ましくない。

「どうにかしないと。なにかを変えないと」
 そうは思うものの、原因が分からないのだから対策を立てようがない。未来は暗く、過去は無意味なもののように思え、今が憂鬱で仕方がない。

「……寝るか」
 現実逃避したいときにはそうするに限る。

 毛布をたぐり寄せ、上半身をすっぽりと覆った直後、インターフォンの音色。
 毛布をはねのけて上体を起こす。遊びに来るような友人はいないし、宅配物は届く予定がない。では、誰が?
 インターフォンがもう一度鳴った。慌てて応対に出ると、

「こんにちは。……あ、こんばんは、かな」
 既視感のあるはにかみ笑いを浮かべて、緑の黒髪の少女が立っていた。西崎瀬理だ。その手には、花模様が描かれた白い皿。

「お皿、返しに来てくれたんだね。わざわざごめんね。ありがとう」
 お辞儀をして皿を受け取った。
 瀬理はその場から動かない。足元に視線を落とすのと、一輝の顔を恐る恐る見るのと、二つの動作を落ち着きなく反復している。薄桃色の唇がもどかしそうに蠢いている。

「えっと、まだ俺になにか用? 遠慮なく言ってよ」
 その言葉に、瀬理の緊張は少し緩んだようだ。なおももじもじしていたが、やがて思い切ったように一輝と目を合わせ、こう言った。

「チャーハン、わたしのためにもう一度作ってくれませんか?」


* * *


 さすがに汚い部屋に上げるわけにはいかず、玄関で五分ほど待ってもらった。万年床を片づけ、ごみを片っ端からごみ袋に放り込んでスペースを作ると、なんとか形になった。

「失礼します」
 瀬理は礼儀正しく挨拶をしてから上がり、六畳間中央のローテーブルの前に座った。座布団がなく、床に直接座ってもらう形となる。申し訳なく思う気持ちと、急な申し出に戸惑う気持ち、両方が一輝の胸にはある。

「でも、どうしてまた食べたいと思ったの?」
 キッチンでペットボトルの茶をグラスに移しながら、一輝は尋ねる。

「ご両親が出かけていて、夕食のあてがないとか?」
「親が出かけているのは事実ですけど、食事くらい自分でなんとかできます。だけど、買ってきて食べるんじゃなくて、大倉さんに作ってほしくて」
「俺に? そんなに美味しかったかな、あのチャーハン」

 ドキッとさせられる一言に、危うく茶をこぼしそうになりながらも、平静を装って言葉を返す。
 相手はまだ中学生。事情は分からないが、困っていることがあるらしい。だから大人として、頼りになるところを見せないといけない。瀬理を部屋に上げると決めた瞬間に誓ったことだ。

「もともと自分一人で食べるために作ったから、言ってみればひとりよがりの味になっていたと思うんだけど。また食べたいと思ったということは、西崎さんの舌に合ったんだね」
「はい、美味しかったです。また作ってほしいなって思いました」
「そこまでの味かな? 喜んでもらえたのは光栄だけど、過大評価されているみたいで戸惑うよ」

 二つのグラスをテーブルに置く。「どうぞ」とすすめると首を縦に振ったが、口はつけずに一輝をじっと見つめる。この子は大人しそうに見えて、実は強い意思の持ち主なんじゃないか。そんな気がした。

「じゃあ、チャーハンを作るね。ごはんは炊けているから、そんなに待たなくてもいいと思う。いつもあり合わせの食材で適当に作っているんだけど、それで構わない?」
「はい、もちろん。よろしくお願いします」

 一輝はさっそく調理に取りかかった。
 さあなにチャーハンにしようかと冷蔵庫を開けて、誤算に気がつく。残っている食材が乏しいのだ。

「……そうか。大学帰りに買い物に行く予定だったんだ」
 しかし授業を受ける気力がなくなったせいで、買い物のことをすっかり忘れてさっさと帰宅したのだった。

「どうしたもんかね」
 小声でひとりごちて頭をかく。
 事情を伝えて買い物に行くのも手ではあるが、瀬理にはすでに「そんなに待ってもらわなくてもいい」と伝えてある。それに、「あり合わせの食材で適当に作る」とも言っている。ならば、いくら乏しかったとしても、今ある食材で作るべきだ。
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