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 煎じ詰めれば、米と卵とチャーシューを油で炒めて、塩コショウとその他の調味料で味つけし、仕上げに刻んだ青ネギを混ぜ込んだだけの一皿。
 なのに、なぜこうも美味しいのだろう?

 窓外の空は刻一刻と夜を深めている。中華料理店『竜水亭』で、大倉一輝はレンゲを黙々と動かしてチャーハンを食べている。
『竜水亭』で食事をするのも、チャーハンを注文したのも、これで三日連続だ。

 チャーハン以外の料理を頼むことはあまりない。チャーシュー麵、羽根つきギョーザ、エビチリ。他人が注文したものを目にするたびに美味しそうだと思うし、実際に食べてみると美味しかった。しかし、どの味もたまに食べれば充分というのが率直な感想で、蓋を開けてみれば今日もチャーハンを注文している。
 四百円で、一皿で満腹になれるボリュームはお得感があるから。バイトをしていない大学生である一輝にとってはそれも理由の一つだが、なによりも美味しいから。さらに言えば、何度も食べても飽きない味だから。この二つに尽きる。

 一輝が座るカウンター席からは、中華鍋を振るっている初老の店主の姿が見える。規則的に宙に躍る食材から判断して、作っているのはホイコーロー。気難しそうな顔をきりりと引き締め、重たそうな鉄鍋を軽々と操っている。
 中国出身で、日本人の奥さんと暮らすために日本に来たと、常連客が話していたのを耳に挟んだことがあるが、詳しいプロフィールは知らない。ザ・料理人といった風貌とオーラ、さらには寡黙な店主は、気軽に話しかけるのはためらってしまう。

「ごちそうさま」

 チャーハンの皿を空にし、千円札一枚で会計を済ませた一輝は、お決まりの一言を残して店を去る。
 アルバイトの従業員がいっせいに挨拶を返したのも、店主が一輝には見向きもせずに調理に専念していたのも、いつもどおりだった。


* * * 


 一輝は帰り道、俯いてとぼとぼと歩く少女とすれ違った。
 雰囲気がどこか異様だったので、思わず顔をまじまじと見つめた。見知った顔だったので、もう一度驚きに襲われた。

 西崎瀬理。
 一輝が暮らすアパートの隣に建つ、西崎家の長女。たしか、今年で中学二年生になったという話だった。

 一輝と西崎家に直接の交流はない。平凡な男子大学生と、四十代の夫婦と中学生の娘の家族のあいだには、なんの共通点もない。住まいが隣り合っているため、意識して関わろうとしなくても、個人情報の一部がたまに目や耳に入ってくるだけで。 

 瀬理はさらさらの黒い長髪が目を惹く、大人しそうな女の子だ。植物が好きらしく、庭に並べられた植木鉢にじょうろで水をあげる姿をよく見かけた。葉の上から浴びせかけるのではなく、ノズルを根元に近づけてじょうろを傾けるそのやりかたからは、草木に対するたしかな愛情が感じられる。
 優しい子なんだろうな、と思う。思春期でいろいろ難しい年ごろなのだろうが、家族と口論する声がアパートまで聞こえてきたことはない。 

 その瀬理が、いかにも「わたしは不幸な悩みを抱えていますよ」という暗鬱なオーラをまとって、一人道を歩いている。 

 二人は気軽に言葉を交わす間柄ではない。せいぜい、道ですれ違ったさいに会釈する程度。ようするに、お隣さんの域を出ていない。
「しょせんは他人、自分には無関係だ」と切り捨てるのは心理的な抵抗がある。だからといって、声をかける勇気は一輝にはない。

 すれ違ったあと、一輝は何度も後ろを振り返った。何度見ても瀬理は下を向いていて、歩きかたは元気がない。

「まあ、いろいろあるよね。中学生なんだから」

 自分に言い聞かせるように呟いたが、気持ちはまったく晴れない。
 西崎家の前を通るさいに、無意識に庭を覗き込んだ。花壇に咲き誇った春の花が眩しいくらいに色鮮やかで、彼は顔を背けた。
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